セルビアはバルカン半島における汎スラブ主義の中心勢力であったらしい。
「1908年、ハプスブルク帝国がボスニア=ヘルツェゴヴィナの統治を促進するために正式に同州を併合した。セルビア政府は、ボスニアのセルビア人のための公然とした「解放運動」を展開することで対応した。同時に、セルビアは、ロシアの後押しでもって、バルカン半島からのオスマン帝国の最終的追放を目的とする、ギリシア・ブルガリア・モンテネグロとのバルカン同盟の成立を主導した。」
オスマン・トルコ帝国はいつからバルカン半島における支配力をうしなてしまったのだろうか。
「オスマン帝国がイタリアの攻撃に対してリビア防衛に専念していた1912年に、彼らのチャンスは到来した。その年に起きた第1次バルカン戦争では、バルカン同盟はオスマン帝国をアドリアノーブル周辺を除いた全バルカン半島から追い出した。」
(マイケル・ハワード『第一次世界大戦』より抜粋)
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