3年前に始まったコロナのパンデミックのために人と人とのかかわりが医学(科学技術)や政治国家(権力)によって著しく制限されたという経験は、死という現実を超えて、死ぬかもしれないという恐怖に慄きながらも人と人とのかかわりの中で生きていくことの大切さを私たちに強く再認識させました。そして、この経験により私は、「福祉」に対する自分の考え方をより確かなものにすることができました。福祉は従来からいわれているような「困っている人を手助けする、支える」ものだけではなく、本来人間がもっている「他者とかかわっていこうとする」力を支援し育んでいくものだと。この他者とかかわっていこうとする力は、ユダヤ人宗教哲学者のマルティン・ブーバーの言葉を借りれば「われー汝」の語りかけであり、「関りへの参入」と表現されるでしょうし、仏教的には縁や縁起とでもいえるのではないでしょうか。
元来、宗教はこの「他者(神・人間)と関わっていこうとする」力をひとり一人の人間に発揮させることで、人と人とを結びつける役割を担ってきましたが、フランス革命以降、あるいは産業革命以降、西洋で自由主義と資本主義が燎原の火のように広がっていくと、キリスト教のもつ宗教の力は徐々に個人主義の中に収斂されいきました。そして、コミュニティや家族は個人個人に分断され、巨大な集団主義(国家権力)が分断された個人を席巻していったのと時を同じくして、全世界的に宗教の力が減衰し、各宗派の宗教団体もかつてその優勢を誇っていた「人と人とを結びつける」力を失いつつあるようです。そのような世界の流れの中で、わたしにはこれからの世界で、人と人とを結びつける力となる可能性を秘めたものの一つとして「社会福祉・地域福祉」があるのではないかと思うのです。ここでいうの「福祉」とは決して行政の政策・施策としての福祉ではなく、ひとり一人の人間とともにあり、ひとり一人の人間の「他者とかかわっていこうとする力」を支え、必要に応じて科学技術(医学)や権力(政治国家)とも対峙することもいとわない人間復権のための福祉です。
かつて、ブーバーは著作「ユートピアの途」の中で「協同組合運動の客観的真髄は、社会の構造的更新への、新しい構造学的形態における内部的関連の奪還への、新しいconsociatio consociationum(諸組合の組合)への傾向として認められるべきである。(中略)それは根本において全く局地的でありまた建設的である。すなわちそれは与えられた条件のもとで与えられた手段をもって達成しうる改革を考えるのである。そして心理的にはそれは、たとえ多くの場合抑圧され、それどころか麻痺せしめられているにしても、人間の永遠の欲求に、すなわち人間がそこでくつろぎ、共に住む人びとが彼との出会い、彼との協働のうちに彼の固有の本質と生活を確認するところのより広大な建物のなかの一つの部屋として自己の住居を感じたいという欲求に根ざしている。(p.210)」と述べました。わたしが上述した「人間復権のための福祉」とは、正にここでブーバーが言うところの「人間の永遠の欲求」の実現を支援すること意味します。当時の「協同組合運動」という言葉は、もはや資本主義・自由主義の大津波に呑まれてほとんど死語となってしまいました。しかし、昨今声高に唱えられている「地域共生社会」という概念が、行政の政策や施策だけに止まらず、地域住民が本当に主体となって地域共生社会の実現を推し進めていくようになれば、人間復権のための福祉の途は、決して無い所(ユートピア)への途ではなく、地域に暮らすだれもが、そこでくつろぎ、共に住む人びとが彼との出会い、彼との協働のうちに彼の固有の本質と生活を確認するところのより広大な建物のなかの一つの部屋として自己の住居を感じられるように支援する途となるのではないでしょうか。
社会福祉士 和智 章宏
引用文献・参考文献
ユートピアの途 M.ブーバー著 (原著1950年) 長谷川進訳 理想社 初版1969年
対話の倫理 M.ブーバー原著 野口 啓祐訳 創文社 初版1967年