老人福祉法第2条で「高齢者は敬愛の対象である」と謳われているが、現代社会においては一般に、物質的金銭的な価値が優先され、尊敬の対象になるのは、それを勝ちとるための技術や知識、知能や技能・運動能力であり、その結果である学歴や年収、そして社会的地位である。かつては、儒教思想の影響から年長のものを敬う文化があったが、現代では、高齢者は、体力・知力が衰え、「社会の動向についていけない役に立たない存在」(注1)、つまり社会的弱者として烙印を押され、触れたくないもの、避けたいもの、あるいは蔑視の対象とされることもある。さらに、「高齢者の社会的地位は、経済の不安定化や高齢社会の進展の中で一層不透明になっていくものと考えられる。」(注2)とテキストに書かれているように、今後、高齢者の社会的地位はさらに揺らいでいくと考えられている。「敬愛の対象」とはもはや、空虚な理念や倫理観でしかないのだろうか。一人ひとりの高齢者が、尊厳を持つ人格としてとらえられるためにはどうしたらよいのだろうか。
「人は死を迎えるまで生涯にわたって発達する存在である」(注3)とする生涯発達の視点は、一人の人間を全人格的に捉えようとするときに有効である。なぜなら、我々人間の現実の存在は、生まれ、成人し、老い、そして死に行く存在であり、高齢者の存在は、我々人間の全存在の一部であって、我々と切っても切れない関わりの中にあるからである。この視点は、高齢者を総合的に理解するためにも大変重要である。そしてこの視点に立つとき、一人ひとりの高齢者は人間として尊厳を持ち、権利を守られるべき存在となる。そして、その高齢者はミルトン・メイヤロフがその著書『ケアの本質』で述べた「自分と補充関係にある対象」(注4)となり得るのではないか。そしてその対象となった時、その高齢者をケアする人は、「私と補充関係にある対象を見出し、その成長をたすけていくことをとおして、私は自己の生の意味を発見して創造していく。」(注5)ことを経験するのである。
老い、「死すべき存在」である高齢者が、「その人らしく生きていくための自己表現、自己決定を保証し、生きる意欲を引き出すことが、介護における自立支援の考え方」(注6)であるが、この介護がメイヤロフの言うケアであるとき、介護の対象である高齢者のみならず、介護者、更には介護者を支える地域社会も成長し、それぞれの自己実現が可能となることを我々は認識すべきである。特にソーシャルワーカーは、認知症高齢者やその家族など生きることに困っている人々を社会的にケアしていくことが、その地域社会全体の真の豊かさと成長を助けることを理解し、その実現に向けて関係諸機関との連携をリードすべきである。このことによって、高齢者は空虚な建前だけの「敬愛の対象」から脱し、真に豊かで幸福な社会を実現するためになくてはならない存在として社会に認められるようになる。
〔引用文献〕
(注1) 「高齢者福祉の世界〔補訂版〕」
編者 直井道子 中野いく子 和気純子、補訂版第2刷 有斐閣アルマ、2016年 p.236
(注2) 新・社会福祉士養成講座 13 「高齢者に対する支援と介護保険制度」
第5版 中央法規、2016年 p.8
(注3) 同上 p.24
(注4) 「ケアの本質 生きることの意味」 ミルトン・メイヤロフ
田村 真・向野 宜之訳 ゆるみ出版、1987年 p.124
(注5) 同上 p.132
(注6) 新・社会福祉士養成講座 13 「高齢者に対する支援と介護保険制度」
第5版 中央法規、2016年 p.368
〔参考文献〕
1. 新・社会福祉士養成講座 13 「高齢者に対する支援と介護保険制度」第5版
中央法規、2016年
2. 「高齢者福祉の世界〔補訂版〕」 編者 直井道子 中野いく子 和気純子、
補訂版第2刷 有斐閣アルマ、2016年
3. 「ケアの本質 生きることの意味」 ミルトン・メイヤロフ 田村 真・向野 宜之訳
ゆるみ出版、1987年
4. 「死すべき定め 死に行く人に何ができるか」 アトゥール・ガワンデ
原井弘明訳 みすず書房 2016年