天涯孤独男のつぶやき!

もうこの歳になると怖いモノはない。何でも好き勝手書かせてもらいます。多少辛口になります。ジャンルは世の中のことすべて。

関越道、立往生。僕も阪神・淡路大震災で立往生を経験!

2020-12-19 11:47:48 | 日記

いきなりドカ雪が降って関越道で2000台もの車が立往生してエライ騒ぎになった。
僕も26年前の1.17阪神・淡路大震災の時、同じような経験をした。
今思い出してもゾッとする。
あの時は大地震の大混乱の中で先行きが全く見えなかったし。
僕は震災の直前、岡山に車で取材に行っていた。
取材を終え、翌日が休みだったので、温泉に浸かり、旨いものを食べ、作家気取りで取材原稿を書いて寝た。
翌日、グラリと揺れて目が覚めた。
阪神地区がエライことになってるとのニュース。

すぐ帰らねば、と車に飛び乗るが、中国自動車道は閉鎖されていた。
唯一通っているのは国道2号線だった。
東に帰るにはそのルートしかなかった。
南下して無事、2号線にたどり着いたが、大渋滞。
ノロノロだが岡山から明石、須磨、西神戸まで何とか帰れた。
夜中になってたが、自宅のある尼崎までは後少しだ。
しかしそこから全く動かなくなった。
立往生だ!
朝ご飯しか食べてないが、エアコンをつけてまあまあ眠った。
神戸は壊滅的で火の手は見えるし、煙り臭かった。
18日の朝になっても全く車は動かなかった。
後ろのトラック野郎がお握りとお茶をくれた。
美味かったな~。
今でもハッキリ覚えている。
その日も昼間は全く立往生だった。
夜になって、少しずつ前進できるようになった。
「これで帰れる」と喜んだ途端、ガソリンメーターを見て愕然とした。
殆んどガソリンが切れかけている。
このままじゃエンスト必至。
尼崎の家まで帰れない!
僕は苦渋の決断をして、地震にやられてない明石に戻り、ホテルにでも泊まり、翌日、ガソリンを入れて帰ることにした。
しかし、明石も地震の混乱にあった。
夜中だし、どのホテルも満室で泊めてくれない。
ヘトヘトだが仕方ないのて、路上で2日目の車中泊。
何も食べてないし、ガソリンもないのでエアコンもつけられない。
コートにくるまってガタガタ震えながら、殆んど眠れず一晩を過ごした。
朝、ガソリンを入れ牛乳とパンを食べ、ヘトヘトで頭は朦朧としてたが、すぐ帰ることにした。
今度は三田、宝塚経由の迂回コースがあると聞き、そちらにした。
ここもノロノロだったが、ひたすらハンドルを握って前進した。
そして真夜中になって、やっと家にたどり着いた。
19日の夜中だった。
人生でこんなに疲れたのは初めてだった。
正に九死に一生を得るとは、このことだ。
しかし僕の部屋は天井まで届く2つのスチール製の本棚が倒れて、グジャグジャだった。
家で寝てたら大怪我してたかな?あるいは死んでたかな?
人生は分からない。
以来、僕は背の高い本棚は使っていない。
当時は携帯電話がまだ普及してなかったので、会社では「地震でwadaが行方不明になった」と言われてたそうだ。