思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

「何らかの意図があったわけではない」

2013-02-12 14:41:25 | 随想



 先日の朝日新聞によれば、国会の事故調査委員会が、緊急時に原子炉を冷やすための復水器が地震で壊れた可能性があるとして、調査に入ろうとしたとき(2012年3月5、6日に予定)、東京電力から、建屋内は照明もなく真っ暗で危険だという説明を執拗に受けた(2012年2月28日)ため、その危険性を考慮し、調査を断念したとのこと。最近、その説明が嘘であったことがわかった。すると、東京電力は、「何らかの意図があって虚偽の報告をしたわけではない」と弁明したとのこと。2011年11月28日から、その場所には強力な水銀灯による照明もあり、外光も入る状態で、真っ暗ではなかった。もし、調査の結果、地震で非常用復水器が壊れたことになると、従来の緊急時対策には大きな問題があることになり、既存の原子力発電施設の見直しが必要になる。そうなると、再稼働が遅れたり、新たな対策を講じなければならなくなったりで、電力会社にとって、経済的損失が非常に多大なものになってしまう。事故調査委員会が調査を断念したことによって、それを回避できたわけである。現場は調査できるような状態ではないと嘘の報告をして調査を断念させておきながら、その嘘がバレると、「何らかの意図があって虚偽の報告をしたわけではない」とはよく言えたものである。もちろん、これから調査をすることになるが、東京電力にとって都合が悪いものはすでに隠され、処分されてしまっていることだろう。

 以前問題になった東京電力のテレビ会議の記録映像についても、すぐに押収すべきであった。東京電力が出し渋り、長い時間その提出を拒んだということは、そこに東京電力にとって都合が悪い内容、責任を問われるかもしれない内容が含まれていたに違いない。実際に提出されたのは、それらを消去するに十分な時間が経過してからのことであった。プライバシーがどうだとか言うが、普通に行なわれている犯罪者の家宅捜索はプライバシーの侵害にはならないのだろうか。これだけの事故を起こした東京電力に対してだけ、どうしてプライバシーを最大限に考慮するのだろうか。東京電力が今回の事故に対して責任を感じているのであれば、その原因調査に最大の協力をすべきではないのか。東京電力がやっているのは、責任について、負うべき範囲をいかにして小さくするかという努力だけのような気がする。

 邪推と言われるかもしれないが、政府は、お友達が多い東京電力に対して、都合の悪いことを処理するための時間を十分に与えてから、国民の怒りを緩和するために、形ばかりの調査をしているのではないかとも思ってしまう。実は、政府の事故調査委員会は、非常用復水器について「機能を損なうような重要な配管破断が生じたことをうかがわせる形跡は何も見当たらず、配管破断はなかったと考えるのが合理的であると思われる」と結論付けている。国会の事故調査委員会は、地震の直後に、非常用復水器のタンク2基と配管がある場所から「出水があった」という目撃証言を複数の下請会社の労働者から得たため、地震の揺れで非常用復水器が壊れた可能性があるとして調査を決めたということである。少し余談になるかもしれないが、この新聞記事の範囲では、政府の事故調査委員会は現場に入ったのだろうかという疑問が出てくる。「重要な配管破断が生じたことをうかがわせる形跡は何も見当たらず」と言うからには現場に入ったのだろう。では、どうして政府の事故調査委員会の委員は現場に入れ、国会の事故調査委員会の委員は危険だと脅されたのだろう。それとも、政府の事故調査委員会は現場に入らず、現場を見ていないのに、「形跡は何も見当たらず」と言っているのだろうか。何を根拠にそういう結論を出したのだろう。どうもよくわからない。

 今日(2/12)のニュースでは、東京電力の広瀬社長が衆議院予算委員会に参考人として招致され、「真っ暗で危険」という説明をした玉井俊光企画部部長(当時)を「原子力のある意味プロ」としたが、「中は暗いとの思い込みのもと説明した」と答え、意図はなかったとの従来の主張を述べたとのこと。玉井氏に対し、会社組織として誰がどのような指示を出していたかに関しては、「(玉井氏は)全く上司には説明していなかった」と答え、組織的関与を否定した。「参考人招致」は証人喚問と異なり、嘘を言っても罪に問われない。いま、東京電力の嘘が問題になっているときに、どうして、嘘を言うと罪に問われる「証人喚問」をしないのだろう。これでは、また嘘を言ってもいいですよと言っているようなものだ。そういう条件のもとでは、広瀬社長が上記のように弁明するのは最初からわかっていることではないか。

 この他にも、活断層の疑いがある土地の上に建てられている原子炉があって、電力会社側は、活断層だと断言できる科学的根拠がないなどと言っており、政府はなかなか廃炉の決定をしない。活断層ではないと断言できない限り、そこに原子力発電所など建設してはならないはずだが、話が逆転している。この「美しい国」は、いまだに「原子力ムラ」関係の人々によってコントロールされているようだ。安倍首相は民主党政権が目指した脱原発路線を「ゼロベースで見直す」と言っている。いかにも官僚的な表現であり、ことばの意味だけを取り出すと、「見直す」と言っているのであって、継続するとは言っていない。見直した結果、継続するかもしれないし、廃止するかもしれないということになる。しかし、廃止する方向でそのスケジュールを検討していたときに、それをご破算にして、見直すということは、継続の意図があるからであって、「何らかの意図があってのことではない」わけではない。つまり、何とかして継続ができるようにしたいという意図があるわけだ。かくして、これほど多くの被害者を出し、今後何十年もその影響が継続するということの代償として与えられたこの上ない貴重な経験から何も学ばず、その被害者の気持ちも無視して、これからも原子力発電はその事故の危険を抱えたまま、運転が続けられるに違いない。そして、責任はうやむやにされるだろう。本当に日本はこれでいいのかと思う。

 こんなありさまを見ていると、石原慎太郎という極右(アメリカからはそう見られているようだ。実際に彼の言動はまさに極右そのものであり、外から見るとよくわかるのではないか)の人間を使って、尖閣問題で中国を刺激し、両国間の緊張を高めたのも、原子力発電の問題や経済不況から派生している各種の国内問題から国民の目をできるだけそらそうという意図からかもしれないとも考えてしまう。中国や北朝鮮と同じことをやっているわけだが、もっと国内問題で国民の不満が高まってきたときは、実際に戦争を始めるかもしれない。こういう国が、安倍首相の言う「美しい国」なのだ。安倍首相たちは、学校教育で、もっと道徳教育をしっかりやらなければならないと言っている。しかし、道徳教育はこのような「原子力ムラ」の住人、そこに群がって甘い汁を吸っている政治家たちに対してこそ行なうべきなのではないか。彼らのような大人たちが大手を振って歩いている様子を見ている子供たちに、いったいどんな教育ができるというのだろう。JRが用意した普通電車の席に後から乗ってきて座り、抗議をした初老の男性に逆切れをして、座ったまま席を譲らなかった安倍首相が、子供たちに対してどんな道徳教育をするのか聞いてみたいものだ。



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