前回のブログで、責任を取って退いたかに見える官吏が、実際には、別の形で既存の仕組みの中で甘い汁を吸い続けるのがこの世界だという意味のことを述べたが、6月21日付けの朝日新聞に、引責辞任したはずの東京電力の元役員たち(会長、社長、副社長、常務、取締役、監査役)が、ちゃっかりと別の会社の社長や社外取締役、監査役などに天下って収入を得ていることが暴露されていた。東京電力の役員は官吏ではないが、完全 . . . 本文を読む
「国に責任がある」「国は責任をとれ」などとよく言われる。東京電力福島第1原子力発電所の事故についても、国の責任が問われている。しかし、国が責任を取るということをもう少し具体的に考えてみると、どういうことになるのだろう。
国がしたこと、あるいはすべきことをしなかったことによってある事態が生じ、国民に損害を与えたと言うとき、実際にその事態を引き起こす行為をした、あるいはすべきことをしなかった . . . 本文を読む
東京電力福島第1原子力発電所の事故に対して責任があった人たちは口を揃えて「想定外」と言う。だったらどうしたというのだろう?「だから責任はない」と言いたいらしい。想定外だったらどうして責任がなくなるのだろう?だいたい事故というのはほとんど想定外ではないのか?自動車運転だって、多くの人は自分が事故を起こすことなど想定外として運転しているのではないか。しかし、実際には事故を起こし、人を傷つけたり、 . . . 本文を読む
人の本性を話題にするとき、よく出てくるのが性善説と性悪説というものだ。これについてはつぎのように考えている。人は進化的産物であり、その進化の過程の各環境において、生存にとって必要であった性質をDNAの中に積み重ねて残し、持っているはずだ。その性質は、あらゆる意味での環境の中で、必要に応じて発現する。(身体の構造に関わり、身体の構造の変化によって発現不能なものも多いとは思うが)いわゆる「善」と . . . 本文を読む