荒天の兆し(レンズ雲?)
「政治の話はやめよう」大変気になる言葉です。普段の生活の中でも、職場でも(飲み会を含めて)あまり政治の話はしませんね。あえてそういう話をする人はちょっと距離を置かれますね。また、テレビタレントやコメンテーターなどが政権の批判をすると非難され、テレビに出演できなくなったりもします。特に問題だと思われるのは、多くの公共施設が政治的集会の目的には使えないという規定を設け、政治の話はできないようになっていることです。
* 2017年5月3日の憲法記念日に市民団体「石川県憲法を守る会」が市庁舎前広場で憲法施行70周年を記念した護憲集会を開こうとしましたが、市は集会について「政治への批判や問題提起が含まれる」などと判断し、管理規則に基づいて申請を却下しました。この件は裁判になり、最高裁は「広場は市庁舎と一体となった公務のための「公用物」で、公園などの「公の施設」とは異なる」とし、公用物で行なわれる集会で特定の政策を訴えると市の政治的中立性に疑義が生じうると述べ、市の不許可は「違憲ではない」としました。しかし、市が申請を却下した理由は、「政治への批判や問題提起が含まれる」からであり、最高裁の言う「公用物」だから申請を却下したのだとは一言も述べていません。最高裁は憲法上、「政治への批判や問題提起が含まれる」ことを理由に申請を却下することは困難なことがわかっているので、市側を勝たせるための別の詭弁的理由にすり替えています。最高裁のこの判例により、今後、集会ができる広場や公園、ホールなどについて、市、県、国が「公用物」だと主張することによって、政治への批判や問題提起をしたり、集会で特定の政策を訴えたりすることを禁止することが可能になります。しかし、たとえ「公用物」だとしても、集会ができる場所でどうして「政治への批判や問題提起」をする集会をしてはならないのでしょう。「政治への批判や問題提起」をするのは市、県、国ではなく、集会の主催者、参加者であり、「市(や県、国)の政治的中立性に疑義が生じうる」ことなどありません。ここに、立法、司法、行政の三権分立という民主主義国家として最も重要な原則が破られているのを見ることができます。司法が行政に従属しているのです。それは、裏金を作り、脱税していた80人を超える政権党の議員が、検察庁の判断で全員不起訴になったことを見てもわかります。同じことを庶民がすれば、確実に逮捕され、罪を問われますが、彼らは国会議員を辞めることさえしません。
反対に、「政府はよくやってくれているよね」「政府の悪口ばかり言っている奴らは許せないね」「そうだ、そうだ」という話(これも政治の話)をすることは問題ないようです。そのような発言をするテレビタレントやコメンテーターはかえって重宝され、出演の機会が増えているような気もします。要するに、「政府を批判するような話はやめよう」ということですね。上記の「憲法守ろう」という集会は、現政権の「憲法を変える!」という姿勢に反するためにつぶされたということです。「憲法を変えよう!」という集会であれば、きっと申請は却下されなかったでしょう。「天下のご政道はお上のやること。庶民がその批判をするなどもってのほか」というこの国の歴史が作り出した悪しき伝統がそのまま残っているような気がします。法政大学の元総長で日本の江戸文学・江戸文化・比較文化研究者の田中優子さんは「この国はいまだに長州藩による藩閥政治が続いている」と述べています。
* 憲法第九十九条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定されています。「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」ものが、「憲法を変えよう!」と前のめりになり、旗を振りまわしているのが現状です。とんでもないことです。彼ら自身が明らかにしているように、改憲によって条文に盛り込もうとしているのは、「緊急事態条項」です。国会が開けないような状況に陥った際などに、政府が法律と同じ効力を持つ政令を好きなように定めることができるという「緊急政令」の発動ができるようにすることです。それにより、政府に全権委任をし、国民の基本的人権(人が人として生きる権利)を停止できることになります。そして恐ろしいのは、「今が緊急事態かどうか」を判断するのは政府なのです。自民党総裁選に関する会見で河野太郎候補の後ろの壁に「有事の今こそ河野太郎」と書いてありました。彼にとって「今は有事」であり、「緊急事態」の宣言が可能な状態だと思っているのでしょう。彼が総理大臣になれば、改憲を急ぎ、すぐにでも緊急事態を宣言しかねません。かくして、政府のやりたい放題の国ができあがるわけです。ヒトラーも同じことをしました。「授権法」と呼ばれるもので、政府が立法権を手に入れ、ヒトラーにとって必要な法律が作られ、彼のやりたい放題の国になりました。「緊急事態条項」とまったく同じです。昨年、麻生副総理が講演で憲法改正をめぐって「ナチスドイツに学んだら」と発言したことを思い出しました。
憲法は第九十九条で「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」が勝手なふるまいをしたり、勝手な規則を作ったりすることを禁止しているのです。だから「義務を負ふ」ものの中に「国民」は入っていないのです。少しでも法律を学んだ人にとって、これは常識です。このことに学説上の争いはありません。そんな憲法が邪魔な人たちがいて、自分たちが憲法に縛られることなく、好き勝手ができるようにしたいわけで、それを実現するのが「緊急事態条項」なのです。つまり、彼らも実は憲法が自らを縛るものだということがわかっているわけです。そのくびきを解きたいのです。そもそも、現行憲法があるためにいったい誰が困っていると言うのでしょう。困っているのは好き勝手をしたい為政者だけです。
<いまこそもっと政治の話を>
国民の誰からどれだけ税金を徴収するか、その使い道をどうするかは政治によって決められます。国民が守らなければならないいろいろな法律も政治によって作られます。(議員や内閣が立案し、委員会で議論し、国会で承認されます)また、政治は、時に国民を強制的に駆り出し、他国の国民と殺し合いをさせたりもします。「国のために死ぬ覚悟をせよ」と言う国会議員が少なからずいて、増えてきているような気がします。その時が近いぞということなのでしょうか。自分は戦場に行って死ぬ気などまったくないのに、庶民を戦場に送って殺し合いをさせるような人を国会議員として庶民自身が選んでいるのです。だから、政治は国民と強く、深く関係しています。一人一人の国民が日々を生きてゆくことについて大変重要な意味を持っているのです。それにもかかわらず、政治にはあまり関心を持たず、考えないように暮らすのが模範的な国民であるようなイメージさえつくられています。そうすることによって最も利益があるのは政治を行なっているもの、つまり為政者です。
そもそも「政治の話はやめよう」と言うことそのものが、まさに政治的な発言です。「いまの政府はおかしいとか、納得できないなどというのは政治の話だ、そんな話はやめよう」と言うことは「おかしくても、納得できなくても、この政治を受け入れろ!認めろ!反対するな!」ということであり、政治的発言そのものです。
この国はその憲法に規定されているように、民主主義国家ということになっており、主権は国民にあります。つまり、この国のあり方を決めるのは一部の特権階級ではなく、国民だということになっています。実際に政治を行なうのは、選挙で選んだ代議員であり、時の政権の指揮下で動く官僚たちですが、選挙で代議員を選ぶということは、その代議員に白紙委任状を渡すわけではありません。代議員が自分たちのためではなく国民のために働いているかを常に監視してゆくのは民主主義国家においては国民の義務です。そのときの政権が行なっている政治を評価し、問題があれば批判をし、そうすることで国民のための政治が行なわれるようにしてゆく必要があります。そうであれば、その国民は常日頃、政治に関心を持ち、まわりの人たちと政治の話をして意見の交換をすることは必須のことです。
<メディアの役割>
国民はもっと政治の話をし、政治に参加する必要があるということから、テレビや新聞などの各メディアの役割も導き出されます。一般の国民は日々の生活を営む中でそのような情報を自分自身で収集することは不可能です。メディアは、組織として、情報を収集する力を持っています。政府や議員などが何をしているのか、国権の最高機関である国会でどんな議論が行なわれているのか、この社会にどんな問題が起きているのかなどの情報を国民に提供することができます。そのような情報が提供されてこそ国民は政治についての議論ができるわけです。だから、メディアはその意味で大変重要な社会的役割を持っているのです。
いま、インターネットでは正しい情報も、いい加減なデマ情報も、混然として飛び交っています。個人がその中からまともな情報を見つけ出すのはなかなかむつかしいことです。メディアは、組織として、記者による取材を通じてデマ情報を排除し、正しい情報を提供できる力も持っています。その力で、国民にとって有用な情報を提供し、単なるののしり合いの議論ではなく、建設的な議論ができる場を作ってゆくことは、民主主義を標榜するこの社会でメディアに与えられた重要な役割であるはずです。だから、政府にとって都合の悪いことを言うと政府側から情報をもらえなくなることを恐れて政府に忖度したり、あるいは政府から「停波するぞ!」と脅されたりして情報をゆがめたり、隠したりすることはメディアにとって「死」を意味することなのです。特に、国民から強制的に集めたお金で運営されているNHKが「政府が右と言うのに、左とは言えない」と言うとはとんでもないことです。NHKは政府の広報機関ではありません。
* 国際的なNGO「国境なき記者団」による2024年の「報道の自由度ランキング」で、日本は昨年の68位から順位を下げて70位となり、G7の中で最下位になったそうです。
<話すべき政治問題は山積み>
国民はそれぞれが自分自身の問題として、もっと政治に関心を持ち、いろいろな場で議論し、その意味で政治に参加してゆく必要があります。国民が政治に無知だと、いくら選挙制度があってもとんでもない人が選ばれ、とんでもない政治が行なわれるようになってしまいます。その国は権力者によってボロボロにされてしまいます。
官房機密費:その使途を永久に明らかにしなくてもよいという官房機密費(正式には内閣官房報償費と言って、内閣官房長官の裁量で自由に使えます。年間約10億円です)を自民党の選挙活動のために使ったり、野党や報道関係者に配ったりしていたことを元官房長官が明かしています。選挙や報道を、税金を使ってゆがめていることになります。法的にも決して許されないことです。でも、大手メディアは知らん顔です。
不勉強な議員たち:自民党の総裁選挙があるようですが、人気があるらしい世襲議員(政治家としての資質に関係なく、親からその地位を受け継いだ議員で、確実に議席を確保できます。岸田内閣24人のうち世襲議員は11人となっています。自民党の役員になると14人のうち10人です)である小泉進次郎氏は、「労働者を解雇しやすくする」とか「労働時間制限をなくす」などと能天気なことを言っています。すでに派遣社員や契約社員など非正規労働者はそうなっていて、低賃金、長時間労働、不安定雇用という状態に置かれ、この国の経済停滞の原因にもなっているのに、それを正社員にまで広げようと言うのです。この人は、歴史的に、どうして解雇しにくいような法律ができたのか、なぜ8時間労働制ができたのかなど、まったく知らないのだと思います。そんな勉強などしたことがないのでしょう。それよりも恐ろしいのは、労働者自身が同じ程度の認識であるらしいことです。そうでなければ、彼が人気者になるわけがありません。だから、彼が総理大臣になどなれば、この国の労働条件は悲惨なものになるでしょう。
法治国家:この国は法治国家ということになっています。憲法第14条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定されています。しかし、いまこの国では同じ罪を犯しても、庶民は逮捕されるのに政権党の有力議員は逮捕されないません。80人以上の裏金、脱税議員は全員が不起訴になりました。国会議事堂付近の歩道上で、財務省の公用車で人をはね、救急車も呼ばずそのまま逃げた男を東京地検は不起訴にしました。その理由は秘密だそうです。はねられた人は死亡しました。典型的な業務上過失致死罪です。被害者を放置し逃げたのだから重罪です。でも不起訴です。これらを不起訴にしたのは、最近内閣によって任命された畝本直美検事総長です。その夫の畝本毅氏は検事長として森友事件の隠蔽を指揮した人です。
国会答弁の形骸化:「仮定の質問には答えられない」「個別の問題には答えられない」など、意味不明な理由で都合の悪い質問には答えないのが常態化しています。予算などすべて仮定の問題です。個別の問題だからこそ具体的な議論ができます。上記の畝本検事総長は就任あいさつで「真実の前に謙虚になることが大切」「常に検察の理念に立ち返り、責任感を持って、公正・誠実に取り組んでいく」と述べています。これは一般論であり、当たり前のことです。ところが、上記のような個別的問題はこの一般論に反しています。だからこそ追及されているのです。そうであるのに「個別の問題には答えられない」と言うのであれば、国会での答弁など無意味です。仮定の問題、個別の問題には答えなくてもよいというルールなどあるわけがないでしょう。また、都合の悪いことは「記憶にない」と言っておしまいにする答弁も飽きるほど聞きます。「記憶にない」は「悪いことはしていない」という意味にしたいようですが、「その人の記憶にないのだから悪いことをしたかもしれない」というのが正しい解釈です。だから、「記憶にある人」が「あなたはこういう悪いことをしたのです」と言えば、それに反論できません。なにしろ当人は「記憶にない」のですから。これらの国民をバカにした答弁をメディアは問題視しません。答弁そのものを伝えるだけでおしまいです。ほかにも、答弁のほとんどが、官僚が作成したメモを棒読みするだけになっています。再質問をしても、同じメモを繰り返し読むだけです。不勉強なので自分の言葉で語れないからです。
都知選挙:都知事選では学歴詐称をした人、選挙でたくさん掲げた公約を8年間の都政で1つも果たさなかった人、議会で自分にとって都合の悪いことには答弁拒否をするような人、数多くの証言、公的記録文書によって真実であることがわかっている「関東大震災の混乱の中で朝鮮半島にゆかりのある多くの人たちが虐殺されたこと」について、「いろいろな研究がある」(そんなことはなかったという研究などありません。なんの具体的根拠もなく、そんなことはなかったと勝手に言っている連中がいるだけです)と言って事実であることを認めない人が当選しました。また、石丸伸二という人が160万票を獲得し次点となりました。有効投票の中で、10代、20代の若者の半数以上が彼に投票したということです。彼が安芸高田市の市長であったとき、いったいどんな市長であったのか、それを知っている人であれば、まず彼に投票することはなかったでしょう。彼の街頭演説(自分の経歴自慢中心で、目指す具体的な都政は語らず)に惹かれたのでしょうか。それがSNSで拡散した結果でしょうか。何も知らないのに演説に熱狂する、それは演説のうまいヒトラーを連想させ、恐ろしいことだと感じました。他県の話ですが、自殺者も出ているパワハラぶりが話題になり、百条委員会で追及されている斉藤兵庫県知事についても同じようなことが言えます。どうしてこんな人が選ばれたのでしょう。はっきり言って有権者の多くが政治的に無知だからそうなるのだと思います。普段、政治の話をしないのだからやむを得ないことです。
アベノミクス:アベノミクスと言われる経済政策がどんな結果をもたらしたのでしょう。経済停滞と格差の拡大、労働者一般の貧困化です。この後に示したいくつかの比較表やグラフを見ただけでそれがわかるでしょう。かつては先進工業国であったこの国では車、家電、精密機械、半導体など各種工業製品が外貨を獲得する主な手段となっていましたが、どんどんと縮小しています。中でも主力であった自動車は世界の趨勢であるEV(電気自動車)化に乗り遅れ、危機に瀕しています。政府はインバウンドとか言って、観光を主要な外貨獲得の手段としようとしているように見えますが、そんなことで日本再生などできるのでしょうか。また、GDPは国内需要と海外需要を合わせたものと言えますが、日本の場合、国内需要の割合が70%を超えています。そういう条件の中で、実質賃金が上がっていないのに買い物をすれば罰金が取られる制度(消費税制度)を導入し、さらにその税率を上げるという政策を進めれば、国内需要は下がり、GDPが上がらなくなるのは当然のことでしょう。「アベノミクスは成功した」と言っている人たちがいます。つまり、その人たちはこの惨状(日本経済はボロボロになっても自分たちだけはしっかりと儲けが出る状態)を作り出したかったのだということになります。確かに大儲けをした人たちがいます。だから、「誰にとって成功であったのか」をはっきりと言わないとその話は成り立ちません。
原発と防衛:原発をつぎつぎと再稼働し、運転期間を60年まで延長できるようにし、さらに増設までしようとしていますが、原発は戦争になれば真っ先に攻撃され、確実に日本壊滅を招きます。それにもかかわらず、中国や北朝鮮を敵視して危機感を煽り、防衛予算を大幅に増額し、敵基地攻撃能力を持つとか、旧式武器の爆買いをするとか、政府はますます好戦的な姿勢を強めています。防衛を考えるなら、原発をどうするかは最も重要な課題であり、避けては通れないものです。それをスルーして、上記のような明確な矛盾がある政策を平気で推し進めています。狂気の沙汰としか考えられません。この政策を進めている連中は金持ちなので、日本に住めなくなったら海外に逃げればいいと思っているのかもしれません。しかし、以前のブログで述べたように、コントロール不能になった原発の放射能汚染は核兵器による放射能汚染とは比較になどならない壊滅的なものになります。偏西風などの大気の動きに乗って世界中に広がり、地球全体が人の住めなくなる状態になります。だから攻撃されないだろうと高をくくっているのでしょうか。戦争は人々の精神状態を異常にします。だから何が起きるかわかりません。
食料自給率:食料自給率が低いと、戦争によって輸入が絶たれれば、すぐに国民に飢餓が訪れます。日本は海に囲まれ、兵糧攻めにしやすい国です。制海権が奪われればすぐに兵糧は尽きます。農林水産省によれば10年くらい前のカロリーベースの食料自給率は約70%でした。しかし、昨年は38%まで落ち込んでいます。太平洋戦争前の1939年の食料自給率は86%であり、さらに中国や東南アジアを植民地化することで、そこから食料その他の資源を供給することを考えていました。しかしうまくはゆかず戦争に敗けました。太平洋戦争で亡くなった兵士の半数以上は餓死、病死でした。そのことを考えるだけでも、今はとても戦争などできない状態にあることはバカでもわかります。でも、政府は減反政策を続けています。
このほかにも政治問題は山ほどあります。それでも「政治の話はやめよう」ですか?
以下に、世界の中での日本の位置を示すいくつかの指標を挙げておきます。
経済力:厚生労働省のHPから(どういうわけか中国や韓国は除かれている)
https://www.mhlw.go.jp/content/12506000/001062025.pdf
実質賃金の国際比較
実質経済成長の国際比較
2000年から2020年までのGDP成長率(日本は12.5%で欄外)
このページも面白いですよ。是非見てください。
グラフで見る日本の国内総生産(実質GDP)成長率(年率)
https://graphtochart.com/economy/japan-gdp-growth-annual.php
企業の時価総額:1989年にはトップ50社のうち32社が日本企業でしたが、2023年には1社も入っていません。
ちょっと見にくいですが、左の表にある日の丸が右の表ではまったくありません。
経済ばかりではありません。教育というものについて無知な政治家が教育に口出しをし、介入してきた結果、研究開発のレベルも世界との比較でずいぶん落ちてきています。
補正論文数:論文の被引用数が各分野の上位10%に入る論文の抽出後、実数で論文数の1/10となるように補正を加えた論文数
教育への公的支出
Nature-Index:科学研究の影響力と出典を評価する指標で、主に高品質な科学論文の発表数を基に算出されます。
https://x.com/yuji_ikegaya/status/1820610651020259798
この結果をXに投稿した脳科学者の池谷裕二さんの感想:ランキンク上位 10 のうち 7つを中国が占めています。現場の実感として「そうだろうな」とは思いますが、やはりさすがです。
* 上位30のうち、半分が中国ですね。日本は東京大学が19位に入っているだけです。この違いはどこからくるのでしょう。真剣に考える必要があります。
技術力:以下の4つを評価して、ランキングしています。(Global Finance Magazine)
1) 国の人口に占めるインターネットユーザーの割合
2) LTE ユーザーの割合
3) IMD世界競争力センターが開発したデジタル競争力スコア
4) 研究開発(R&D)に費やされたGDPの割合
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