明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

戦争と経済の理論、およびトランプ

2017-01-08 18:00:00 | ニュース
人間は生きるために戦争をする。太古の昔、他の部族を戦争で殺すのは余程のことが無い限り効果の薄い政策であったと思う。今でも動物園や猿山などで見られるように、エサの取り合いが元で喧嘩が始まることは良くある。しかし死ぬまでやることは滅多にない。どちらが強いかは素手である場合、割と簡単に双方の間でわかるものなのだろう。片方が死ぬ最後の瞬間までどちらが勝つのかわからないというのは、近代兵器の登場を待つまでもなく、人間が道具を使うようになって以来の悪癖である。本来は素手で戦えば早いうちに決着し、部族内のヒエラルキーも確定して、自然の動物社会では安定した序列が平和を生み出す事ができる。結局はエサの確保が戦争の最大の原因である。つまり経済が戦争という手段を必要としたのだ。

だがエサという自然な果実を奪い合う社会から稲作技術を獲得したアジアの歴史は、稲を作る労働力を必要として階級的奴隷制度を発達させていった。作る人間を含めたエサという考え方である。作られたエサを奪って生産者を飢えさせるのは得策ではない。当然エサを作る集団を外敵から守る戦闘力が必須となり、自然と戦闘者と生産者が分離し、出来たエサを優先的に食べる人間は最終的に消費層となってピラミッドの最上層を形成していく。地域の気候風土から肉食狩猟民族となった北方民族が他人を味方と敵に区別して徹底的に戦うのと異なり、南方民族はエサの作り手を必要とするために奴隷制度を作り上げた。全ては経済である。ここ数十年の技術革新で、経済が単にエサを確保すればいいという視点で世界を見ていたのが、消費という新しい観点から世界を見直す状況に考えが変わってきた。世界の消費動向がお金の流れを作り出し、結果的に世界を動かしている。イギリスやアメリカは、金融という革命で世界を牛耳ってきた。それをトランプは「忘れられていた製造」という切り口で、消費とモノと作り手の関係に光を当てることで革命を起こそうとしている。金融という人間不在の経済から、製造という生身の人間を主役とした経済に変えようとしている、いや、世界は変わろうとしている。世界を支配しようという野望は、もう旧石器時代的な妄想であり、現代では経済的な意味を持たないのだ。

では、そのような時代における安全保障とはなにか。アフリカや中東の前時代的世界ではまだ戦争が領土と人民を奪う効果的な手段として維持されているが、日本のような先進国ではもう鎖国でもしない限り何の役にも立たない方法である。経済の活性化の目的が贅沢な暮らしをするということに置かれている現状は間違っている。が今はその問題に触れない事にしよう。いずれにしても価値を生み出す根本の手段は、消費を呼び起こすことである。呼び起こした消費という果実を誰が手にするのか、というのが今の経済における「安全保障の意味」である。政治と経済は同一のもの、見方を変えただけで分けることは出来ないのである。トランプはビジネスマンであり、これからの時代にまさにうってつけの大統領ではないだろうか。イギリスもアメリカも先を読んで手を打ってきている。これからは生き延びるために、アメリカも実質的な製造力による国の再編を図ることになるだろう。

そこで日本がいつまでたっても領土問題に関わっているようだと、世界から最終的に置いていかれるしかない。尖閣や北方領土を経済の観点から見直す必要が必ず近々にやってくる。日本国民はいい加減に目を覚ましたほうがいい。いまでも慰安婦問題で騒いでいる韓国のようにならないためにも、日本人は考えを改める必要があると私は思う。

そういうわけで、これからの世界の動きに以上の理論を当てはめて考えて行きたい。全ては経済である。そして活性化した経済から得られる成果として豪華な家や贅沢な生活を持ってくるのではなく、絵画や音楽などの「芸術の花」を咲かせることがパックスジャポネーゼを創りあげる一番良い方法である。まだ日本人に、その力が残っているといいが。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿