女性の意識が以前とは違って来ている。ウーマンリブに始まった女性の変化がここに来て一段と加速して、女性はセクシーでありながらも「心は男性化した存在」という、新しい人格が出来上がった。カッコいい女は、セクシーでなおかつ鋼の心を持った人間、という位置づけなのだ。一方で男はどうなのかと言うと、セクシーな鋼の肉体を持ってはいるが、心はもはや従順な「奴隷」に変化してきたのである。セクハラやストーカーなどの男女の戦いはすでに「女性側の勝利」に終わりな勢いだ。カッコいい男はもう「理論的には」存在出来なくなってしまったと言える。それが平成も終わろうとしているこの時にやってきたのも何かの因縁かもしれない。
有史以来、人類にとってエサの確保と外敵への備えが最重要課題であり、男女がまだ遺伝子的に分かれていなかった単性生殖の時代はいざ知らず、現在の人類が誕生してからずっと「女性は種の為に男性を利用」してきた。ミツバチの社会に見られるような形態は女王蜂1匹のために全ミツバチが奉仕する。女王蜂も普通の蜂も、元は一緒である。しかし人類では、女性が自己再生産するために「男性という戦闘員」を作り出して、それと生殖行為することで種の保存が図られるという形態を取った。哺乳類は皆こうである。YYの遺伝子は女性・XYの遺伝子は男性、という2種類の遺伝子の交配という方法で人類が保たれた。概ね男女の性差は、この目的に合致するように出来ている。つまり男は筋肉が発達し、敏捷で攻撃的で狩りに適している。一方女性は脂肪が多く環境の変化にも忍耐強く耐えて種を保存するのに適している。男女は協力して生き延びるように出来ているのだ。もちろん、これは原始時代の話である。
聖書にあるアダムとイブの話では、イブは「アダムの脇腹の骨」から作られたというが、私の考えでは話は逆で、「アダムの方が」イブの脇腹から作られたというのが本当だろう。男は子供を育てる器官をもっていないのだから、人類原初の性が男性ということはありえない(すぐ絶滅してしまうから)。最初はみな女性(原始的な)だったのが、後から男性が分かれて別々になったのである。私の独自の説だが、人間は元々は原始的な「管体生物=つまり腸」から発達してきた。人類は「腸」が、進化の過程で骨や筋肉や神経や脳を獲得し、現在の人間になったのだ。人間の本来の姿は「口から胃・腸と続いて肛門に至る消化器官」そのものである。脳とか精神とかは、ずっと後から必要に応じて追加された「パーツ」である。その人類の歴史を考えれば、自ずと男性の役割が見えてくる。近代にいたる人類の歴史は、つい最近まで「食料確保」の戦いであった。人が飢えに困らないで人生を謳歌出来るようになったのは「やっと、ここ100年」である。種の保存の為の食料確保を男性に頼ったため、女性は見かけ上「従順な子宮」という子供を生む機械のような存在になっていたが、いよいよ長年の仮の姿を脱ぎ捨てて「本来あるべき理想の女性像」を現し始めた、それが現在の女性である。人類が食料問題を「男性抜き」で確保出来る見通しがついたためなのだ。つまり、女性にとって男性は「精子」以上でも以下でもない存在になったのである。
人類の究極の目標は、家族を持って幸せな家庭を築き子孫を繁栄させることである。それを外敵が多く食料が少なかった時代は「男女分業」で乗り切ってきた。今は分業の必要が亡くなって「男女平等」の時代に成りつつある。つまり生物学的には「単性生殖」へと戻りつつある過渡期である。男は「精子」があればいい。言い換えれば「男性的な価値観」はいらなくなったのである。女性は子供を生む道具、と言った議員がいた。その言葉をそっくり男性に当てはめると、逆に「ぴったり符合する」のである。いやむしろ、男性は子供を生む道具である、と言ったほうが相応しく思えてきた。原始の時代に戻ってまた「女系家族の時代」がやって来る。
女性の結婚観を聞いてみると、一様に「彼氏に選ぶ条件には、外見は関係ありません」という。当然なのだ、男性の役目は「自分と子供の生活を安全で豊かにする」ことだからである。だから男性の役目が済めば、本来の人生を愉しむためには男は必要ない。現代女性にとっての人生の楽しみには、もはや「男」は入ってこないのではないだろうか。女性の頭の中が「自分中心」になってきているのである。これは画期的なことである。「自分中心」だけで生きていける、という時代が来ているのだ。勿論失敗例もある、過渡期だから。だが女性の夢が「社会で成功する男を生み育てること(結果として自分が裕福になる)」だった時代は終わり、今は「自分が気に入った生活を愉しむ」ことに変化している。もうその夢の中には「男性はいない」、あるいは「いても主役ではなく片隅にいるだけ」なのだ。主役はあくまで「私自身」である。こういう生活を選択する女性にしてみれば男は飾りに過ぎないから、見てくれは大事であるけどもどんなに外見が良くても「それだけ」である。主役にはなれないのだ。女性が「自分の夢を持ち始めた時代だ」と言える。再度いう、これは人類始まって以来の出来事である。
そう思って男の夢ってなんだろうかと考えたら、要するに「外敵と戦って勝つこと」しか無いことに気づく。男は所詮「戦闘要員か食料調達要員」である。ミツバチがそうであるように、文字通り「働き蜂」である(もちろん総体的に、であるが)。最近のAKBブームをテレビで眺めていると、昔のアイドルは男に媚びていたが「近頃は女が自立している」と強く感じている。可愛いとかセクシーとか言ってはいるけども、それはあくまで「外面」や「技術」を磨いているのであり、彼女たち本来の姿(=内面)は、「男という存在を必要としていない」女性だけの世界に向かっているように見える。家族を持つ喜びがだんだんと人生の喜び・理想ではなくなって、女性の目標に「男性的な物」がどんどん入ってきている。例えば会社の社長、ITエンジニア、医療機関、学校の先生、弁護士・などなど、あらゆる分野に女性が進出して来ている。土木建築業やエネルギー開発や運送業など、まだまだ「力がないと務まらない職業」は女性進出が遅れているが、それもロボットが解決する日もそう遠くない。もはや男性でなければならない職業は「無くなる」のだ。
世の中の凶悪事件の殆どは男が犯している。男は戦うように出来ているのだ。だが現代では「それも必要ない」レベルになって来た。現代人にとって、戦うことは文字通り「過去の遺物」である。ヤクザ・半グレ・チンピラ・非行少年、今ではひとまとめにして反社会的な人々と言われているようであるが、昭和の時代ならいざ知らず「現代では、ただの不要な人間」に成り下がった。昔は兵隊かヤクザが男の理想であったが、いまや「男の理想」はスポーツ選手以外に見当たらない。いったい男は何を目指せばいいのだろう?
と、ここまで考えてきて私は、いままで「セクハラ」とか「ME TOO」とか「LGBT」とかニュースに乗せられてつい雰囲気に流された発言をしてきたが、物事の本質を見誤っている事に気がついたのである。女は相変わらずセクシーな衣装に身を包み、ますます美しくなった肢体を見せつけてはいるが、彼女たちの本心は「決して笑ってはいない」のだ!。もう男に媚を売る必要はない、男は生物学的な種の保存に必要なだけで、決して「人生目標でも何でも無い」のである。将来の夢は「お嫁さんになる事」です、と嬉しそうに語った少女はいまはいない。いまは「瀟洒な家に住んで夕食にはワインとフレンチ」的なリッチな生活を、「自力で獲得する時代」なのである。男のような不確定要素を将来の夢に託すのはリスキーだ、と考える女性が増えたのだ。しかも女性が独りで生活するのに困らない環境が揃いつつある。とうとう女性は自由を手に入れたのだ!(もちろん全部ではないが)。どうも最近女性たちが「勝手気ままに生きている」姿が目につくようになったな、と感じていたがようやくその理由が分かった。ミニスカートから覗いているスラリとした長い足を見て「カッコいいな」と思うことがあっても、もうそれは我々老齢年金を貰っている人間には「絵に描いた餅」であるだけでなく、若い男性に取っても「釣り堀のエサ」なのだ。決して「泳いでいる魚の方」ではない、立場は逆転したのだ。
いまでは「狩り」をするのは女性である。男性に選択権はない。そういう世の中が、もうそこに来ているのである。つまり女性と、「道具としての男性」の世の中が。そのことに気付いてからは、世の中を見る目が変わってきた。
男が男であるためには、もう一度「戦国の世の中」に戻るしか無い・・・かも?
有史以来、人類にとってエサの確保と外敵への備えが最重要課題であり、男女がまだ遺伝子的に分かれていなかった単性生殖の時代はいざ知らず、現在の人類が誕生してからずっと「女性は種の為に男性を利用」してきた。ミツバチの社会に見られるような形態は女王蜂1匹のために全ミツバチが奉仕する。女王蜂も普通の蜂も、元は一緒である。しかし人類では、女性が自己再生産するために「男性という戦闘員」を作り出して、それと生殖行為することで種の保存が図られるという形態を取った。哺乳類は皆こうである。YYの遺伝子は女性・XYの遺伝子は男性、という2種類の遺伝子の交配という方法で人類が保たれた。概ね男女の性差は、この目的に合致するように出来ている。つまり男は筋肉が発達し、敏捷で攻撃的で狩りに適している。一方女性は脂肪が多く環境の変化にも忍耐強く耐えて種を保存するのに適している。男女は協力して生き延びるように出来ているのだ。もちろん、これは原始時代の話である。
聖書にあるアダムとイブの話では、イブは「アダムの脇腹の骨」から作られたというが、私の考えでは話は逆で、「アダムの方が」イブの脇腹から作られたというのが本当だろう。男は子供を育てる器官をもっていないのだから、人類原初の性が男性ということはありえない(すぐ絶滅してしまうから)。最初はみな女性(原始的な)だったのが、後から男性が分かれて別々になったのである。私の独自の説だが、人間は元々は原始的な「管体生物=つまり腸」から発達してきた。人類は「腸」が、進化の過程で骨や筋肉や神経や脳を獲得し、現在の人間になったのだ。人間の本来の姿は「口から胃・腸と続いて肛門に至る消化器官」そのものである。脳とか精神とかは、ずっと後から必要に応じて追加された「パーツ」である。その人類の歴史を考えれば、自ずと男性の役割が見えてくる。近代にいたる人類の歴史は、つい最近まで「食料確保」の戦いであった。人が飢えに困らないで人生を謳歌出来るようになったのは「やっと、ここ100年」である。種の保存の為の食料確保を男性に頼ったため、女性は見かけ上「従順な子宮」という子供を生む機械のような存在になっていたが、いよいよ長年の仮の姿を脱ぎ捨てて「本来あるべき理想の女性像」を現し始めた、それが現在の女性である。人類が食料問題を「男性抜き」で確保出来る見通しがついたためなのだ。つまり、女性にとって男性は「精子」以上でも以下でもない存在になったのである。
人類の究極の目標は、家族を持って幸せな家庭を築き子孫を繁栄させることである。それを外敵が多く食料が少なかった時代は「男女分業」で乗り切ってきた。今は分業の必要が亡くなって「男女平等」の時代に成りつつある。つまり生物学的には「単性生殖」へと戻りつつある過渡期である。男は「精子」があればいい。言い換えれば「男性的な価値観」はいらなくなったのである。女性は子供を生む道具、と言った議員がいた。その言葉をそっくり男性に当てはめると、逆に「ぴったり符合する」のである。いやむしろ、男性は子供を生む道具である、と言ったほうが相応しく思えてきた。原始の時代に戻ってまた「女系家族の時代」がやって来る。
女性の結婚観を聞いてみると、一様に「彼氏に選ぶ条件には、外見は関係ありません」という。当然なのだ、男性の役目は「自分と子供の生活を安全で豊かにする」ことだからである。だから男性の役目が済めば、本来の人生を愉しむためには男は必要ない。現代女性にとっての人生の楽しみには、もはや「男」は入ってこないのではないだろうか。女性の頭の中が「自分中心」になってきているのである。これは画期的なことである。「自分中心」だけで生きていける、という時代が来ているのだ。勿論失敗例もある、過渡期だから。だが女性の夢が「社会で成功する男を生み育てること(結果として自分が裕福になる)」だった時代は終わり、今は「自分が気に入った生活を愉しむ」ことに変化している。もうその夢の中には「男性はいない」、あるいは「いても主役ではなく片隅にいるだけ」なのだ。主役はあくまで「私自身」である。こういう生活を選択する女性にしてみれば男は飾りに過ぎないから、見てくれは大事であるけどもどんなに外見が良くても「それだけ」である。主役にはなれないのだ。女性が「自分の夢を持ち始めた時代だ」と言える。再度いう、これは人類始まって以来の出来事である。
そう思って男の夢ってなんだろうかと考えたら、要するに「外敵と戦って勝つこと」しか無いことに気づく。男は所詮「戦闘要員か食料調達要員」である。ミツバチがそうであるように、文字通り「働き蜂」である(もちろん総体的に、であるが)。最近のAKBブームをテレビで眺めていると、昔のアイドルは男に媚びていたが「近頃は女が自立している」と強く感じている。可愛いとかセクシーとか言ってはいるけども、それはあくまで「外面」や「技術」を磨いているのであり、彼女たち本来の姿(=内面)は、「男という存在を必要としていない」女性だけの世界に向かっているように見える。家族を持つ喜びがだんだんと人生の喜び・理想ではなくなって、女性の目標に「男性的な物」がどんどん入ってきている。例えば会社の社長、ITエンジニア、医療機関、学校の先生、弁護士・などなど、あらゆる分野に女性が進出して来ている。土木建築業やエネルギー開発や運送業など、まだまだ「力がないと務まらない職業」は女性進出が遅れているが、それもロボットが解決する日もそう遠くない。もはや男性でなければならない職業は「無くなる」のだ。
世の中の凶悪事件の殆どは男が犯している。男は戦うように出来ているのだ。だが現代では「それも必要ない」レベルになって来た。現代人にとって、戦うことは文字通り「過去の遺物」である。ヤクザ・半グレ・チンピラ・非行少年、今ではひとまとめにして反社会的な人々と言われているようであるが、昭和の時代ならいざ知らず「現代では、ただの不要な人間」に成り下がった。昔は兵隊かヤクザが男の理想であったが、いまや「男の理想」はスポーツ選手以外に見当たらない。いったい男は何を目指せばいいのだろう?
と、ここまで考えてきて私は、いままで「セクハラ」とか「ME TOO」とか「LGBT」とかニュースに乗せられてつい雰囲気に流された発言をしてきたが、物事の本質を見誤っている事に気がついたのである。女は相変わらずセクシーな衣装に身を包み、ますます美しくなった肢体を見せつけてはいるが、彼女たちの本心は「決して笑ってはいない」のだ!。もう男に媚を売る必要はない、男は生物学的な種の保存に必要なだけで、決して「人生目標でも何でも無い」のである。将来の夢は「お嫁さんになる事」です、と嬉しそうに語った少女はいまはいない。いまは「瀟洒な家に住んで夕食にはワインとフレンチ」的なリッチな生活を、「自力で獲得する時代」なのである。男のような不確定要素を将来の夢に託すのはリスキーだ、と考える女性が増えたのだ。しかも女性が独りで生活するのに困らない環境が揃いつつある。とうとう女性は自由を手に入れたのだ!(もちろん全部ではないが)。どうも最近女性たちが「勝手気ままに生きている」姿が目につくようになったな、と感じていたがようやくその理由が分かった。ミニスカートから覗いているスラリとした長い足を見て「カッコいいな」と思うことがあっても、もうそれは我々老齢年金を貰っている人間には「絵に描いた餅」であるだけでなく、若い男性に取っても「釣り堀のエサ」なのだ。決して「泳いでいる魚の方」ではない、立場は逆転したのだ。
いまでは「狩り」をするのは女性である。男性に選択権はない。そういう世の中が、もうそこに来ているのである。つまり女性と、「道具としての男性」の世の中が。そのことに気付いてからは、世の中を見る目が変わってきた。
男が男であるためには、もう一度「戦国の世の中」に戻るしか無い・・・かも?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます