1、菅首相はいったい何にこだわっているのか
政治の透明性を保てなければ、国会の議論は成り立たない。自分の決定したことをキチンと説明できなければ、それはもう民主主義国家ではなくなってしまう。菅首相は、はっきり言えばいいではないか、「あの6人は、考え方が私と違っているから任命しなかった」と。別にそう言ったからといったって、問題は大して変わらない。任命権が首相にあるなら、理由がどうあれ「法的には」問題がないのだ。だが法的には問題ないにしても、「こんな首相じゃ不安だな」と国民が思うかどうか、という新たな問題が生じてくる。横暴だとか、独裁じゃないかとか、それじゃ学術会議の提言なんか「提灯記事」と同じになるとか、まあ色々と炎上するかも知れない。しかし一方では、政権を動かして「実行力」を発揮するには、出来るだけ反対勢力の力が弱いほうが都合が良い。菅首相が国民にとって「より大切な問題を早く解決したい」と言うのであれば、サッサと本当のことを言って、この不毛の議論を終わらせればいいだけなのだ。参議院予算委員会の答弁を見る限り、菅首相には「そういう、ズバッと本質を突く」ような、腹の据わった度量はないようである。
実際の菅首相の答弁は答えにもならない曖昧な言葉の繰り返しで、「頭の悪い子供の言い訳」にしか見えない稚拙なものだった。小池晃議員の舌鋒鋭い切込みに答えに窮しているさまは、バックの自民党も「助け舟を出せない」ほど静まり返っていた。多分心中を推し量れば「呆れ返っている」と思われる。孤立状態の菅首相、万事休すで「アウト!」となるのも時間の問題のようだ。この窮地をどう切り抜けるか。私は菅首相が我慢して我慢して、とうとう我慢しきれずに「爆発する」ような気がしてならない。菅首相は元々議論やネゴシエーションが大の苦手で、問答無用の「やれといったら黙ってやれ」式の人間ではないかと想像する。日本が太平洋戦争当時であれば、バリバリの叩き上げ陸軍将校って感じだ。やはり秋田出身の田舎武士、都会の洗練された会話には「慣れていない」のだろう。訥弁無骨の性格が裏目に出れば、せっかく付いてきている民衆の支持も「泡のように消えて」無くなってしまいそうである。もし菅首相が本当に「大将の器」として、細かいことには拘泥しないどっしりと腹が据わっている人間なら、こんなどうでもいいことはアッサリ間違いを認めて、ごめんなさいと言っていた気がする、・・・もう遅いが・・・。
多分思うに菅総理、自分の失敗を指摘されるのが「どうにも我慢出来ないタチ」なのかも。それとも自分は絶対だと過信していて、反対するやつは「有無を言わさず切って捨てるんだ」というのが自信ある大将の姿だと思い込んでいるのか。何れにしても、議論で相手を納得させる思考力・論理力は「ない」ようである。このまま学術会議問題が長引けば、菅政権の存続にも関わってくると思うのだが。
2、アメリカの郵便投票は記名式だった
こないだ投票を記名式にすればいいと書いたが、どうもアメリカの投票は「サイン」するらしい。投票用紙を透かし入りで印刷し、それを有権者に郵送して「本人が記入・サインして」返送するしくみのようだ。ところが投票用紙は各州が印刷するから「多めに擦っちゃうこと」も可能だし、ハンコじゃなくてサインだから「パット見には本物か偽造かが分からない」らしいのだ。まあハンコでも同じだけど、ハンコは作らなきゃいけないし、10万票偽造するのに10万個作るわけだから、いくらなんでもバレバレになる。
ところがウィスコンシンで郵便投票数を加算したら、有権者数より「投票数が多くなってしまった!」というんだから、これって不正だよね、と大騒ぎになった。マスコミは大抵バイデン支持の民主党だし、選挙管理委員会事務局も民主党に牛耳られているから、あちこちで投票数偽装工作が起きているという「噂」が出ているらしいのである(田中宇の国際ニュースより)。では何故トランプ陣営は民主党の不正に対して無防備のママだったのか?、という疑問が残る。実は、トランプも負けずに不正すれば良かったのにやらなかったのは、「民主党の不正の証拠を掴んでいて、裁判で大逆転を狙っている」というのだ。ホントかなぁ・・・。確かに郵便投票数は民主党が多いと言っても、バイデンの票の伸びが大きすぎる気もする。トランプの訴訟の行方も気になるが。
まあ、どっちにしても12月までの勝負。さしものトランプも、いよいよ退場させられるのか?
3、足立区議のLBGT発言
いろいろ取り沙汰されているが、要するに年寄りの「ごく当たり前」の感覚なのである。いいも悪いもない。彼の発言は時代的感覚から言うと、正しい意見なのだ(40年前なら、という話であるが)。勿論、区議という立場にある以上、年寄だからという言い訳は通用しない。もっと勉強してよ、と言われたらグーの音も出ないのである。何とか言う若い女性の国会議員が似たような発言をして炎上しているようだが、あれも昭和の感覚から未だに抜け出せない「古い時代の人」なのである(外見は若いが、気持ちは昭和枯れすゝき、だ。ガビョーン!)。その発言に一斉に批判が殺到しているが、当の本人は「何がいけないの?」と、全くチンプンカンプンの様子である。要するに、価値観が時代とともに変化していて、その変化に取り残された「前時代」の人間というだけなのだ。
これはある意味、誰にでも起こることで、仕方のないことと諦めるしか無いだろう。古い慣習を頑固に守り続ける人が、時として「昔は良かった」というノスタルジーと一緒になり、「いまどき珍しい硬骨漢」と称揚されたりする。人は迷惑にならなければ、何をやっても構わないというのも、ある意味正しいと言えるのだ。ただ、この足立区議などは、自分の信奉する道徳を「他人に強制しよう」としたから炎上したのである。世の中、自分の好みを「金科玉条のごとく信じ切って、他人に強要する」輩が、余りにも多い(自粛警察などは、その最たるものだ)。時代は「多様性の寛容」である。言葉を変えれば、「絶対はない」という事である。正しい答えが一つだけ存在する時代は、とうの昔に過去のものとなった。これからは人のやることに口を出しても、良いことは殆どないと知るべし、である。
結局あなたの正しいと考えることが、他人はそうは思わない、それだけの事なのだ。これからは、「世代ごとに」仲良く生きていくことにしようかな・・・っと。なんだかんだ言ってもいずれは我々は全員あの世に行ってしまって、今の若い人の時代になってしまうのだから。
4、はんこ廃止に猛反発の甲府市
山梨県が「印鑑廃止」に猛反発してるという。無駄なハンコをやめようという方針に正面切って反対しているわけじゃないけど、「印鑑業者への敬意が足りない」と搦手から文句を言っているらしい。何でもそうだが「何かを廃止する時」には、必ずそれによって生計を失う人が出てくるのは止むを得ない。石炭を原子力にする時も、炭鉱で大規模なデモが起きた。技術が進歩してツールが変われば、そのことで一つの文化が消えてしまうのも仕方がないと言える。ハンコ文化が消えるのは残念だと思う人がいるのは事実だが、電子メールに変えて「毛筆と飛脚」の時代に戻せと言ったら、とんでもない狂人だと思われるだろう。時代の流れは変えられない。「ハンコ文化を守れ!」などと叫んでいるヒマがあったら、いち早く「次の生活の道」を探したほうが利口である。
例えばどうしてもハンコから離れられないのであれば、アクセサリーとして「おしゃれ印鑑」を持ち歩く習慣を作るほうが、面白いように思うけど。例えば素敵な印鑑が付いたキーケースなんかを持ち歩いていて、何かプレゼントを送る時に、名前の脇に「ハンコを押したり」するのだ。そのハンコのデザインが素敵であればあるほど、あなたの評価は上がって、女性たちから「可愛いいーっ!」と溜息が漏れる、というわけである。まあ一つの「洒落」だね。
追加訂正:アメリカの郵便投票システムについて
前項で投票システムについて書いたが、今回はその訂正である。後から分かったことだが、実は事前登録で、有権者が「サインを登録」しておくらしい。それで選挙の時は、今度は投票のサインと一致しているか「一つ一つ筆跡を確認している」から時間がかかるってことみたいだ。だから一応、不正は出来ないということになっている(らしい)。しかし何にしても手間のかかる方法だ。メールじゃだめなんだろうか。有権者一人ひとりに政府から直接メールを送り、そのメールに「返信することで投票を完了させる」としたら一発で終わり、集計が済むんだけど。ITが進んでいるアメリカなら、すぐにでも出来そうだけどねぇ。
まあ何にしても外国のシステムというのは、不思議なことが一杯だ。CNNのアメリカ現地報道によれば、日本時間1時半現在でバイデン253・トランプ214となっていて、バイデン圧倒的優勢だそうだ。
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