1 イボミがようやく優勝した。
初日からぶっちぎりの完全優勝である。ようやく勝ったとの言い方がぴったりの勝利だが、他の選手が霞んでしまったのはニュースバリューの無いせいだけであろうか、若手でガンガンくる活きのいい選手が少ないと感じた。去年の賞金女王をイボミが2年連続で取ったときのスイングと今年前半のスイングとでどこが変わっているかというと、残念ながら素人の私には全く分からないのだがどこが違っているのだろうか。ゴルフはメンタルのスポーツだと良く言われるが、現実は「固いゴルフ」ばかりやっていてはダメなのじゃないかというのが本当の原因では無いかと思うのだ。イボミは2年連続で賞金女王を取って、すっかり「賞金女王の取り方」を会得したと思ったのだろうか。余裕をかましている間に、実際は調子が落ちていたのだ。これではいけないと思い直して必死に頑張るが、どこか調子を上げられない自分にがっかりし続ける。「ゾーンに入る」という言葉があるが、逆に「絶不調」という状態もあり、その特徴はいずれも「原因が分からない」ことである。
イボミとはレベルを比べることが失礼なアベレージゴルファーの私だが昔シャンクを連発したことがあって、練習場にいて300発位打っている間全部シャンクだった時は、さすがに萎えて受付でお金を払うのももどかしく、あまりの恥ずかしさにそそくさと帰って行ったのである。もちろん色んなシャンク防止策を講じて見たのだが、そのどれをやっても「やっぱり出ちゃう」のである。シャンクの理由はボールがアイアンのネック部分に当たって飛んでいくことだというので、ボールとの距離を遠くしたりボールの位置を左にしたり右にしたり、でも振ると結局「右に飛んでいく」のだ。正直いって練習場からトボトボ帰る道すがら、「もうゴルフ辞めようかな」と考えていた。人間自殺する時はこんなだろうなと、他人事のようにぼんやりして歩いていた記憶がある。何をしてもダメだという絶望感が自分を現実の世界から別世界の、まるで浮遊しているような名前の無い半分幽霊のような物体にしてしまっているかのようだった。それから3ヶ月間、シャンクは治らなかった。だが徐々に真っ直ぐな球が時たまではあるが出るようになり、知らないうちにシャンク病は治っていた。理由は今もって分からない。
きっと体でいうところの「風邪」のようなものだった、というしかないのだろう。身体の中で免疫力が落ちてきて、何かの拍子にウィルスが活性化すると風邪を引く、それがシャンク病であり「イップス」ではないだろうか。イボミが強いのは狙ったところへ正確なショットが何時でも打てるマシーンのような技術力と、パッティングが易しい場所をみつけてそこに球を打つ技術力があるからである。それらが高いレベル、つまり全部が1位なのだから勝つのは当たり前だった。そんなイボミですら、オリンピックに出ようとして慣れないアメリカツアーにスポット参戦したりして知らないうちに疲労が溜まってか、じわじわ不調に陥っていた、というのが私の見立てである。最近私もグッスリ眠ったあとは不思議な位に調子が良いのだが、睡眠というのは人間の体調維持だけでなく色んな機能(例えば脳の働き)に関わっているんだなと感じている。自分への自信のなさが、実はじわじわと体調不良になっていくこともあるわけで、脳天気なポジティブ思考も案外医学的な意味があると思っている。
2 石川遼、孤独の戦い
松山英樹が話題を独占しているなかで、石川遼は黙々と努力し続けていた。 ツアー最終戦の最初の日に「66」というスコアを出したときにはとうとう来たかと私も内心喜んだ。色々とミーハー的な騒がれかたをしてアメリカツアーに挑戦し、10代での獲得賞金額もさることながら広告収入の凄さに びっくりした石川だったが、それがいつの間にか鳴かず飛ばずの低迷で予選落ちを繰り返し、公傷制度あけの試合でもパットしない状況のなかで叩き出した「66」である。彼は追い込まれて切羽詰まってから本領を発揮するタイプなのかもしれない。この前入れ替え戦をやったときもギリギリ滑り込みセーフだったと記憶しているが、今回もやってくれるんじゃないかと密かに期待をしている。
スポーツは応援する人によって随分と違ったゲームになるがそれでも、好きなプレイヤーがいるのといないのでは大きな違いが出てくると思う。というよりは、おしなべてスポーツを見る人は「自分の好きなプレイヤー」を探すものである。それが最大公約数になったとき、国民的人気が決定付けられるのである。野球で言えば昔は長嶋・王であり、今で言ったらイチローである。差しづめ松山はゴルフというスポーツで、ジヤンボや青木を超えた存在になりつつある。だが石川遼は落ち目で忘れ去られそうになっている「過去」のゴルファーである。我々視聴者はメディアの導くままにコロコロとヒーローを変えて恥じることはないが、本人のストレスはいかばかりであろうか。以前読んだ記事に、石川の不甲斐ない有り様に業を煮やしたファンの一人が「もっと練習しろ、バカヤロー!」と罵声を浴びせた、とあった。もちろんアメリカの話である。どんな事情があるのか知らないが、酷いものである。私はそれを読んで少なからずそのファンに怒りを覚えた。
だがその類いの憧れの裏返しや倒錯したやっかみの声は、アメリカにいる間は日本のファンには届かない。もし日本であればもっと広範囲なネットのバッシングから逃れるには、並大抵の心臓では潰されてしまうであろう。特に石川のようなシンデレラストーリーで頂上に駆け上がったものは、落ちるのも早い。しかしかれが不貞腐れもせずにゴルフに集中して真面目に取り組んでいるのは、これはこれで偉いとも言える。日ハムのハンカチ王子こと斎藤佑樹も、鳴かず飛ばずで低迷すること7年が過ぎた。外からは本人の気持ちを窺い知ることは出来ないが、本当ならばとっくに野球界から消えていてしかるべきだ、とも思う。むしろ周りの有望な若手辺りから不満の声が聞こえてきそうである。だが、まだ辞めるとかは考えていないという。チームプレーの野球と違ってゴルフは個人のゲームであるから、責任という意味では「全部が自己責任」である。予選落ちが続く時であっても諦めずインタビューにも健気に答えていたのをみると、石川はきっと「助けてくれる仲間」がいてくれたのだろう。
練習だけでなく実際のラウンド中でも彼はスイングの修正点あるいは注意点を繰り返し確認してからアドレスに入る。これはテレビで見る限り、他のツアーメンバーには無い仕草である。松山に限らず、プロゴルファーになるような人はスイングする時は迷わずに振り切るものではないだろうか。チェックポイントのようなものをスイング中に意識すること自体に問題があるように思えてならない。そう言えば松山も特定のコーチは付けていないそうだが、ブッチ・ハーモンとかデヴィッド・レッドベターとか、有名なコーチがいっぱいいるのだから試してみるというのも手である。たとえ名選手であっても皆誰かしらコーチについているらしいので、自分では見えない何かがコーチには見えるのだろう。岡目八目という囲碁の言葉があるが、こないだ友達と練習場でビデオを取って、ちょっとしたスイングチェックをした。やはり道具の進化は目を見張るものがあり、自分には分からない弱点がビデオでははっきりと写っていたので非常に参考になったのである。私のレベルでさえそうなのだから、石川くらいのトッププレイヤーなら「なおさらコーチをつけるメリット」があると思う。
第一に、自分で悩まなくて良い、悩むのはコーチである。なんか責任転嫁のように聞こえるかもしれないが、イボミが「私はみんなのロボット」と言っているのを急に思い出した。もちろん自分の考えも必要であるが、言われた通りに実行する為には「ある意味でロボット」に徹する必要があるのではないか。これは私の想像である。
3 (自分自身の)スイングの進化
昨日しばらくぶりで練習場に行ってスイングをチェックした。今回は、1 右を向いてインパクトする 2 左手を伸ばしてスイングする 3 左足を直角に残す 4 インパクトのポイントを一定にしてそこで左手を止めるつもりで振る、の四点に絞って練習した。全体をアシストする動きとして、背骨の軸を意識した。何をどう練習するかは人それぞれであるが、150球も打っていく間には何とか目標に近づいていくものである。私の場合は「会心の一打」を打てたら、その日の練習は終了である。もちろん実際に飛んでいくボールはお世辞にも会心の一打とは言えないが、弾道の高さや飛び出していく方向などが私の求めている球筋であるときには、練習の成果が出てるなと判断するのである。
まぁ私事で恐縮であるが、昨日より今日、今日より明日という具合で練習していけば、いずれは松山英樹のように「思った通りの球を打つ(ドライバーの飛距離が200ヤードであっても)」事が出来ると信じている。要は「その人なりにベスト」を実現出来れば、ゴルフは楽しいゲームではないだろうか。いつの日か人生最高のプレーをして、「帰りの居酒屋で自慢話に花を咲かせる」、なんて夢を見ている私です。
初日からぶっちぎりの完全優勝である。ようやく勝ったとの言い方がぴったりの勝利だが、他の選手が霞んでしまったのはニュースバリューの無いせいだけであろうか、若手でガンガンくる活きのいい選手が少ないと感じた。去年の賞金女王をイボミが2年連続で取ったときのスイングと今年前半のスイングとでどこが変わっているかというと、残念ながら素人の私には全く分からないのだがどこが違っているのだろうか。ゴルフはメンタルのスポーツだと良く言われるが、現実は「固いゴルフ」ばかりやっていてはダメなのじゃないかというのが本当の原因では無いかと思うのだ。イボミは2年連続で賞金女王を取って、すっかり「賞金女王の取り方」を会得したと思ったのだろうか。余裕をかましている間に、実際は調子が落ちていたのだ。これではいけないと思い直して必死に頑張るが、どこか調子を上げられない自分にがっかりし続ける。「ゾーンに入る」という言葉があるが、逆に「絶不調」という状態もあり、その特徴はいずれも「原因が分からない」ことである。
イボミとはレベルを比べることが失礼なアベレージゴルファーの私だが昔シャンクを連発したことがあって、練習場にいて300発位打っている間全部シャンクだった時は、さすがに萎えて受付でお金を払うのももどかしく、あまりの恥ずかしさにそそくさと帰って行ったのである。もちろん色んなシャンク防止策を講じて見たのだが、そのどれをやっても「やっぱり出ちゃう」のである。シャンクの理由はボールがアイアンのネック部分に当たって飛んでいくことだというので、ボールとの距離を遠くしたりボールの位置を左にしたり右にしたり、でも振ると結局「右に飛んでいく」のだ。正直いって練習場からトボトボ帰る道すがら、「もうゴルフ辞めようかな」と考えていた。人間自殺する時はこんなだろうなと、他人事のようにぼんやりして歩いていた記憶がある。何をしてもダメだという絶望感が自分を現実の世界から別世界の、まるで浮遊しているような名前の無い半分幽霊のような物体にしてしまっているかのようだった。それから3ヶ月間、シャンクは治らなかった。だが徐々に真っ直ぐな球が時たまではあるが出るようになり、知らないうちにシャンク病は治っていた。理由は今もって分からない。
きっと体でいうところの「風邪」のようなものだった、というしかないのだろう。身体の中で免疫力が落ちてきて、何かの拍子にウィルスが活性化すると風邪を引く、それがシャンク病であり「イップス」ではないだろうか。イボミが強いのは狙ったところへ正確なショットが何時でも打てるマシーンのような技術力と、パッティングが易しい場所をみつけてそこに球を打つ技術力があるからである。それらが高いレベル、つまり全部が1位なのだから勝つのは当たり前だった。そんなイボミですら、オリンピックに出ようとして慣れないアメリカツアーにスポット参戦したりして知らないうちに疲労が溜まってか、じわじわ不調に陥っていた、というのが私の見立てである。最近私もグッスリ眠ったあとは不思議な位に調子が良いのだが、睡眠というのは人間の体調維持だけでなく色んな機能(例えば脳の働き)に関わっているんだなと感じている。自分への自信のなさが、実はじわじわと体調不良になっていくこともあるわけで、脳天気なポジティブ思考も案外医学的な意味があると思っている。
2 石川遼、孤独の戦い
松山英樹が話題を独占しているなかで、石川遼は黙々と努力し続けていた。 ツアー最終戦の最初の日に「66」というスコアを出したときにはとうとう来たかと私も内心喜んだ。色々とミーハー的な騒がれかたをしてアメリカツアーに挑戦し、10代での獲得賞金額もさることながら広告収入の凄さに びっくりした石川だったが、それがいつの間にか鳴かず飛ばずの低迷で予選落ちを繰り返し、公傷制度あけの試合でもパットしない状況のなかで叩き出した「66」である。彼は追い込まれて切羽詰まってから本領を発揮するタイプなのかもしれない。この前入れ替え戦をやったときもギリギリ滑り込みセーフだったと記憶しているが、今回もやってくれるんじゃないかと密かに期待をしている。
スポーツは応援する人によって随分と違ったゲームになるがそれでも、好きなプレイヤーがいるのといないのでは大きな違いが出てくると思う。というよりは、おしなべてスポーツを見る人は「自分の好きなプレイヤー」を探すものである。それが最大公約数になったとき、国民的人気が決定付けられるのである。野球で言えば昔は長嶋・王であり、今で言ったらイチローである。差しづめ松山はゴルフというスポーツで、ジヤンボや青木を超えた存在になりつつある。だが石川遼は落ち目で忘れ去られそうになっている「過去」のゴルファーである。我々視聴者はメディアの導くままにコロコロとヒーローを変えて恥じることはないが、本人のストレスはいかばかりであろうか。以前読んだ記事に、石川の不甲斐ない有り様に業を煮やしたファンの一人が「もっと練習しろ、バカヤロー!」と罵声を浴びせた、とあった。もちろんアメリカの話である。どんな事情があるのか知らないが、酷いものである。私はそれを読んで少なからずそのファンに怒りを覚えた。
だがその類いの憧れの裏返しや倒錯したやっかみの声は、アメリカにいる間は日本のファンには届かない。もし日本であればもっと広範囲なネットのバッシングから逃れるには、並大抵の心臓では潰されてしまうであろう。特に石川のようなシンデレラストーリーで頂上に駆け上がったものは、落ちるのも早い。しかしかれが不貞腐れもせずにゴルフに集中して真面目に取り組んでいるのは、これはこれで偉いとも言える。日ハムのハンカチ王子こと斎藤佑樹も、鳴かず飛ばずで低迷すること7年が過ぎた。外からは本人の気持ちを窺い知ることは出来ないが、本当ならばとっくに野球界から消えていてしかるべきだ、とも思う。むしろ周りの有望な若手辺りから不満の声が聞こえてきそうである。だが、まだ辞めるとかは考えていないという。チームプレーの野球と違ってゴルフは個人のゲームであるから、責任という意味では「全部が自己責任」である。予選落ちが続く時であっても諦めずインタビューにも健気に答えていたのをみると、石川はきっと「助けてくれる仲間」がいてくれたのだろう。
練習だけでなく実際のラウンド中でも彼はスイングの修正点あるいは注意点を繰り返し確認してからアドレスに入る。これはテレビで見る限り、他のツアーメンバーには無い仕草である。松山に限らず、プロゴルファーになるような人はスイングする時は迷わずに振り切るものではないだろうか。チェックポイントのようなものをスイング中に意識すること自体に問題があるように思えてならない。そう言えば松山も特定のコーチは付けていないそうだが、ブッチ・ハーモンとかデヴィッド・レッドベターとか、有名なコーチがいっぱいいるのだから試してみるというのも手である。たとえ名選手であっても皆誰かしらコーチについているらしいので、自分では見えない何かがコーチには見えるのだろう。岡目八目という囲碁の言葉があるが、こないだ友達と練習場でビデオを取って、ちょっとしたスイングチェックをした。やはり道具の進化は目を見張るものがあり、自分には分からない弱点がビデオでははっきりと写っていたので非常に参考になったのである。私のレベルでさえそうなのだから、石川くらいのトッププレイヤーなら「なおさらコーチをつけるメリット」があると思う。
第一に、自分で悩まなくて良い、悩むのはコーチである。なんか責任転嫁のように聞こえるかもしれないが、イボミが「私はみんなのロボット」と言っているのを急に思い出した。もちろん自分の考えも必要であるが、言われた通りに実行する為には「ある意味でロボット」に徹する必要があるのではないか。これは私の想像である。
3 (自分自身の)スイングの進化
昨日しばらくぶりで練習場に行ってスイングをチェックした。今回は、1 右を向いてインパクトする 2 左手を伸ばしてスイングする 3 左足を直角に残す 4 インパクトのポイントを一定にしてそこで左手を止めるつもりで振る、の四点に絞って練習した。全体をアシストする動きとして、背骨の軸を意識した。何をどう練習するかは人それぞれであるが、150球も打っていく間には何とか目標に近づいていくものである。私の場合は「会心の一打」を打てたら、その日の練習は終了である。もちろん実際に飛んでいくボールはお世辞にも会心の一打とは言えないが、弾道の高さや飛び出していく方向などが私の求めている球筋であるときには、練習の成果が出てるなと判断するのである。
まぁ私事で恐縮であるが、昨日より今日、今日より明日という具合で練習していけば、いずれは松山英樹のように「思った通りの球を打つ(ドライバーの飛距離が200ヤードであっても)」事が出来ると信じている。要は「その人なりにベスト」を実現出来れば、ゴルフは楽しいゲームではないだろうか。いつの日か人生最高のプレーをして、「帰りの居酒屋で自慢話に花を咲かせる」、なんて夢を見ている私です。
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