明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

酒のツマミ話(58)持続化給付金詐欺事件に一言

2022-06-01 21:12:19 | ニュース

1、持続化給付金詐欺の顛末
コロナで甚大な被害を受けた事業経営者に、会社を続けるために損失を国が補填しようという給付金。それを本来対象ではないのに嘘をついて掠め取った、実に不愉快な事件である。それが何と9億円もの巨額に達していたというから驚いた。世の中には「貰えるもんなら理由なんか関係なしに何でも貰っちゃおう」という、さもしい根性の人間がわんさかいるのだ。嘆かわしいものである。そんなだから「上手くやって」給付金を貰おうと考える輩がいても、何ら不思議は無い。この一連な詐欺で給付金を不正に受け取ったという若い女性が「詐欺になるとは思わなかった」と告白しているのが、この事件の問題点である。

「詐欺」というのは一般人の常識では、「誰かを騙して不正を働くこと」である。誰かが詐欺を行えば、不幸にも「騙された相手」は甚大な被害が被ることになる。ところが相手が今回のように「自治体の窓口担当者」だった場合、もし虚偽の申請書を提出して騙したとしても、それほど「罪悪感」を感じなくて’すむのでは無いだろうか。人を騙したら詐欺だけど、今回は「人じゃなくて」国の給付金だから、「ちょっとズルした程度」の感覚でやってしまったと思う。甘いと言えばその通りだが、人間の犯罪なんてそんなものなのだ。これらの安直極まる犯罪は、大体が「足りなくなった生活費を穴埋め」しようとして、出来心で犯してしまうのが常である。動機は「生活費が足りない」ことにある。

今回、殆どの人が「100万くらい」なら・・・と考えて犯罪に手を染めたのも、「少しは生活が楽になるかな?」という思いはあったのだろう。これが何千万というような大金では、きっと誘われても断っているはず。そんな程度の「軽い考え」で、国民の税金である貴重な持続化給付金を不正受給しようとした人々は、やはり「詐欺罪」で送検すべきである。

詐欺の首謀者がインドネシアでどう訴追されるのかについては、「どうでもいい」話題だなと私は思ってはいる。しかし何よりも問題なのが、「こんな単純な詐欺が罷り通ってしまう」政府の給付システムである。この持続化給付金というのは、そもそも給付対象者が事業経営者に限られている。役所に問い合わせれば「あっという間に」対象者かそうじゃないかぐらい「分かりそうなもん」だが、何故か偽の申請書で給付金が振り込まれたというから「何で〜っ?」と叫んでも不思議ではない!。いくらいち早く困窮している人々にお金を届けなければ、という熱い思いで行った給付だとしても、添付された「去年の確定申告書」が本物かどうかぐらい、チェックするのが当たり前だろうが、ボケっ!、って怒鳴りたくもなるというものだ。こいつらの目は節穴なのか?(チェック無しに払ってたというからザルである)。しかも、申請した自治体の多くがシステムのデジタル化が遅れている田舎の役場ではなく、大都会の「首都東京」だというから二度ビックリである。

このような犯罪があとを絶たないのは、ひとえに「個人の収支」を国が一元管理しないからなのだ。私が前から主張しているように、現金を無くして全部デジタル通貨に切り替え、国民の収入と支払いを全て「マイナンバーカード」に記録すルのが良い。そうすれば、以降はこのような犯罪を「起こしようがない」クリーンな社会になるはずなのだ。それを何だかんだと反対している、時代の流れに乗り遅れている古い頭の人達は、実は自分達が率先して「犯罪に加担している」ということを自覚すべきである。もはや議論をする時ではない。2030年ぐらいを目処にして、「現金廃止・マイナンバーカードで確定申告」を実現しようではないか!

2、川崎の大型バス放置問題
これはマイナーな事件だが、「個人の権利」を尊重するのもいい加減「限度」がある!、という話。こういうのはサッサと撤去して「ゴミ処理」してしまうに限るのだ。土台、一般人が普通に考えている「ゴミ」というものを、そろそろ「公的に定義」すべき時が来ているのではないか。大体、一般にゴミと言われているものの大半は、「ゴミだと分かっているが、分別して捨てるのが面倒」というものである。お金を払って業者に頼めば、「あっという間」にスッキリ片付く。要は金の問題だ。日本の「空き家問題」など、将来大問題になりそうな案件も基本的には「撤去費用」を国民負担でやるのかどうか?、に収束される。この川崎の問題もバスの「所有者の心の中」を想像すれば、もはやゴミとなってしまった残骸を「市の管理が悪い」と責任を無茶振りして押し付けて、上手いこと「処理費用」を払わなくて済むようにしたいということだろうと私は思っている。ところがそんな身勝手な魂胆に「悪用される」のが、お決まりの「個人の所有物」という法律の壁である。

しかし今回の川崎市の対応は、余りにもバカ正直と言われてもしょうがないと思う。放置しているのが公園という「公の場所」であるから、バスの状態がどうであろうとも「不法占拠」として撤去命令を出し、所定の日数が経過したら「有無を言わさず」ゴミ処理してしまえば良かったのだ。こういう場合に必ず「私有財産」云々という憲法の条項である。しかし法律で「ゴミ」の定義をキチンとすることで、この問題はあっさり解決するのでは無いだろうか。バスはどう見ても「価値のないゴミ」である。それを裁判所で「判決として」個人の財産ではなくて「ゴミ」と認定するのだ。そうすれば、市も「ゴミ」として扱えるから、処理が簡単である。なお、ゴミを出した人の責任も「撤去費用の負担」として法律で定めておけば、八方丸く収まって、所有者も「可哀想にねぇ」などと同情されるに違いないと思うが如何に。

まあ、個人の財産権より「町の美化」を優先する、というのが共同体の基本であろう。とにかく撤去して捨ててしまえば問題の大半は解決する。後は、このバスの所有者が言いたいことがあれば「裁判で争えば」いい。裁判官も「常識ある判決」を出すようにすれば、話はそれほど難しくはならないと思う。法律というのは「常識を文章にしたもの」というのが元々の形だから、基本的には法律より「常識」が優先する。もし常識が分からなくなった時は・・・まあ、このバスは「どう見たって」ゴミだけどね。

で、この問題の処理方法だが
① 決められた日数を経過しても「停めっぱなし」だから不法占拠である。
② 市が撤去命令を出すと同時に、裁判所に「ゴミ認定」を出してもらう
③ 一定日数経っても出ていかなければ、ゴミだから強制廃棄。
④ 撤去費用は所有者に民事請求する。
⑤ 払わなければ資産の差し押さえをして競売。それでも足りなければ、自治体への反則金未納として、金利付き分割返済してもらう。
以上。

所有者が市の管理責任を争うのであれば、別途「裁判で決着つけ」ればいい。これが中国だったら、ニュースにもならない話だ。私が思うにこの所有者は、バスを動かしても「他に停める所がなかった」のだろう。だから公園という「公共施設に無断駐車」しているのだ。去年の6月から居座っているというのは、川崎市の担当者が「無能」だということ。市民はもっと市の対応を糾弾し、怒っていいと思うけど「甘すぎるねぇ」、ホント。

私は川崎市の「怠慢」を訴追して、バスを放置していた担当者と上司を「処罰すべき」だと思う。この件で一番悪いのは「市担当者」で決定だ!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿