明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ブラームスはお好き?

2018-07-16 23:19:21 | 芸術・読書・外国語
CSクラシカジャパンでブラームスのピアノ協奏曲第一番ニ短調を、ダニエル・ハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団とマーク・アンソニィ・ターネジ独奏、というプログラムがあったので録画しておいた。今月はブラームスの4曲の交響曲を2人の指揮者で聴き比べるという企画なのだが、ターネジ独奏というのはおまけかも知れない。クラシカジャパンを聞く時はヘッドホンで音を大きくして聞くことにしているが、SONYのブラビアは音が良いのか、それとも録音が新しいのか、非常にまとまりの良い配慮の行き届いた演奏で「私の基本であるR・ゼルキンの演奏」とはまた違った感覚で楽しめた。

ターネジというピアニストは初めて聞くが演奏に嫌味がなく、表現も控えめな印象で好感が持てた。ハーディングという指揮者も初めてで、どちらかと言えば現代風のブラームス解釈であり、ややゆっくりめのテンポ設定で楽譜を丹念に聞かせるところが、全体的におとなしい印象である。特にブラームス特有の迫力ある重低音はスウェーデン放送響の重厚な音の広がり(勿論BOSEのヘッドフォンの低音が強力だからでもある)もあって、聞いていて音楽に静かに没入する感じが心地よく、落ち着いた上品さである。彼の感情を押さえた指揮振りに答えるかのようなターネジのしっとりとしたフレージングは、ブラームスを堪能しようとするファンにはまずまずであのアプローチだと言える。

全体的に1.5倍くらいゆっくりなので、ブラームスの作曲技法とかオーケストレーションとかの細部が実によくわかる演奏でそれはそれでいいのだが、では曲全体としての「ブラームスの青春の憂愁」とか「爆発的な感情」とかを上手く表現できていたかというと、私はちょっと疑問に思えた。三楽章のカデンツァを弾き終わった後に一瞬訪れる「至福のメロディ」が一番の聴きどころであるが、もうちょっと聞いていたいというファンの気持ちを束の間に過ぎてピアノとオーケストラの壮大な祝祭的熱狂へとなだれ込むあたりは、もう少しスピードを上げなければ疾走感が出てこないようにも思う。やはりジョージ・セルとルドルフ・ゼルキンのほうが、音楽的完成度で勝っていると再確認した。録音が古いので今ひとつ100点はあげられないのだが、それでも彼等を超える演奏はまだ無いみたいである、残念!。

とは言ってもターネジの演奏は十分楽しめたし、ハーディング指揮のスウェーデン放送響も訓練が行き届いた「いいオーケストラ」である。クラシックの低迷が叫ばれて久しいと聞くが、それは新しい作品が出てこない(当たり前だが)からだろう。コアなファンでもない限り、毎回ベートーベンの9番では飽きてしまうのも当然である。昔会社の同僚に「1時間もかかる曲をよく飽きずに聞いてられるね」と真顔で言われたことがあったが、興味のない人には小学生もポリーニも同じに聞こえるのだろう。だからといってポピュラーが下品でクラシックが高級だなんてことは全く思ってない。あくまで好みなのだ。

ただクラシックを「間口を広げようとして、敷居を下げ過ぎる」のには私は反対である。クラシックは「あくまで古典」なのだ。古典は古典らしく、「好きな人だけが楽しめばいい」のではないだろうか。江戸時代や室町・平安の世の中が好きな人だって、多くはないが間違いなくいる。博物館の中だけに時代を閉じ込めて日曜日だけ鑑賞するというのでは、時代を捉えるには物足りないと思うのだがいかがだろうか。乗り鉄・撮り鉄という趣味の鉄道ファンがいるそうだが、クラシックもそういうマイナーなファンの集まりで十分である。

まあ、クラシカジャパンが今回のブラームス祭りを企画したというのは、コアなファンを喜ばせるためであろうと推測した。嬉しい事である。ブラームスにどっぷりと浸かる楽しみとは、交響曲全4曲を隅から隅までじっくり聞いて「身体で感じること」である。それが今回実現したというので、いよいよクラシックも「ディープな世界」に入ってきたな、ということではないだろうか。いいことである。と、ちょっと興奮して書き散らしてしまったが、異なる指揮者によるブラームス交響曲の「利き酒ならぬ聴き比べ」という企画、なかなか面白い。

ワールドカップが終わって一段落したことだし、これで寝不足も解消して「夜の楽しみ」が出来たというものである。

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