コロナに関する悲観論がマスコミなどで盛んに喧伝されている。日本医師会の会長なんだかの人などは、このまま政府が無策を続ければ「日本は滅亡する」くらいの勢いで、テレビなどでガチで吠えていた。一方、一部のネットでは「コロナただの風邪論」が、深く静かに広まっている。この両極端のコロナの解釈、どちらが正しいのだろうか?。物事の正否は時間が立たないと分からないが、どうやら政府の見解は最近の感染拡大について「コロナ第二波」の認定をしたようである。つまり、来る秋冬のウィルス拡散期には、「第三波」が猛威をふるって、あちこちで死者の山が出来るって予測なんだろう。これが本当なら、いよいよ私も巣ごもりの準備をしなくてはならない。でもネットの意見にも一理あるような気がするんだが、そこんとこを整理してみよう。
a. PCR検査って本当に正しいの?
検査の方法は喉の奥の上気道から細胞を取ってきて、培養液で増幅させ機械でウィルスのRNAを分析し、新型コロナウィルスのデータと一致すれば「陽性」と診断するって仕組みである。人間が触ったり目たりX線映像などで臓器の具合を撮影して判断するのではなく、純粋に機械が「YES か NO」と答えるわけだから、ある意味正確だと言えそうだ。ところがネットで言われていることは、「ウィルスが上気道にいる」ことと「感染・発症している」こととは「天と地」ほどの違いがある、らしい(驚きだ!)。実際、PCR検査で陽性と診断されても「無症状でピンピンしてる」人が8割もいて、それが症状のないまま他の人に伝染(うつ)してる場合もあることが、分かってきている。だが良く考えてほしいのは、「無症状」でどこも何とも無い人が本当に「感染したって言えるのか?」って事である。普通に考えれば、無症状なら「感染してない」ってことじゃないのか?。ここが私にはどうにも納得できないのだ。
b. 陽性患者の8割は、単にウィルスが付着してるだけ
コロナは俗に言う生物ではなく、「呼吸もエネルギー産生も増殖も出来ない」ただの遺伝子の詰まった物体に過ぎない。それが人間の細胞にレセプターを介して侵入し、内部のDNAとかRNAとかとくっついて「体内で増殖」し、結果として重篤な肺炎やその他の血液の病気を引き起こして、時に死亡に至るのである。では、上気道にウィルスがくっついたら、全員100%細胞内に侵入されて肺炎を引き起こすのか、っていう点だ。上気道にコロナウィルスが「くっついているだけ」で体内にまだ侵入されてない人と、肺の細胞にウィルスが入り込み「爆発的に増殖してる人」と、それを区別しなければ医学的におかしいだろう!。ウィルスの量が少なければ、または体内の免疫システムが十分機能していれば、たとえ体内に入ってきたとしても「症状がないまま」体外に排出して完治する。その状態の人が8割もいるというんだから、これは新型コロナウィルスには「罹らなかった」と言わなきゃウソだろうと私は考えるのだ。
c. 陽性無症状者を患者扱いするから、社会が活動停止し、医療崩壊を引き起こす
コロナは指定感染症2類だから、医者は「陽性」になった人を入院・隔離して、2週間経過観察しなきゃならない。当然、病院はベッドが足りなくなる(最近は自宅療養って変な方法でごまかしているようだが)。人々の社会活動も縮小し、コロナに罹らないようにとソーシャル・ディスタンシングとマスクを守って生活し、その結果消費が落ちて倒産する店が続出してきた。GDPはリーマン時以上の「だだ下がり」である。ちょっと熱が出たら検査して、「陽性」だと分かったら、すぐさま濃厚接触者をPCRで検査し、芋づる式に陽性者を洗い出して「クラスターが発生した」と大騒ぎしているが、被害の状況を正確に判断すれば、「PCR陽性者数」に踊らされている事がハッキリ分かるのだ。実体は「熱中症患者数」の方が遥かに多いというのに、である。その意味では日本政府のコロナ対策は「何もしない点で、的を射ている」と言えそうだ。本当は安倍首相は、コロナが大したこと無いと知っているんじゃないだろうか?。いやいや貴方、それは「買い被り」し過ぎだと思うよ。
d. 連日のPCR検査数増加で、無症状陽性者が続出!
野球やサッカーなどのプロスポーツは、軒並み「選手もスタッフも、全員PCR」を実施している。私の住んでいる柏でも、PCR検査を受けた人が結構いると思って間違いない。とすれば、検査を受けて無くても「隠れ無症状陽性者」は、町なかのそこら中にいて、今日もスーパーやコンビニで知らずに「接触」している可能性だって、否定できないのだ。つまり、コロナ発生からもう既に半年以上が経過して、ロックダウンをしていない日本は当然「ウィルスが蔓延している」状態に突入していると考えても間違いではない。殆ど人と接触していない私だが、それでもたまにはビックカメラや高島屋やドトールに出かけていくこともあるわけで、既に「コロナが上気道に付着」していても、何ら不思議では無いことになる。それって、もしPCR検査すれば「陽性」ってことになっちゃうんじゃないの?
ーーーーーー
以上、コロナに関して私が感じた疑問をまとめてみました。つまり私は、既にコロナに感染している可能性がある、ということである。
患者に人工呼吸器やエクモを装着して、必死に治療している医療従事者の皆さんには「コロナを甘く見るな!」と叱られそうだが、本当に重症になった人と「普通にダルいとか息苦しい」人を一緒くたにして、コロナは怖いと大騒ぎするほうが、よっぽど社会的影響が甚大だと思うけど、どうなんだろう。いっそこの際、無症状陽性者を「コロナ無敵者」と呼び、軽症者を「コロナ撃退者」と呼んで、普通の風邪と同じに扱ったらどうかな。みなさんも風邪を引かれたら、熱が下がるまで布団に入って安静にするでしょう。大して熱が出なかったら、デスクワーク程度の仕事は休んだりしないですよね。そんな中で本当にコロナに罹って重症化した人は、「コロナ性肺炎」とか「コロナ性血栓症」とかの新しい病名をつけて、それなりにキチンと医療機関で治療する、っていうのが正しい対応じゃないかな、って思っています。
で、我々が最も知りたい「自分がコロナに罹って重症化したら・・・」という不安だが、重症化するのは全体の「5%」(PCRが少なすぎるので5%と高い数値だが、ニューヨークなみに一日5万件も検査すれば、重症化率は「0.5%」位に下がる)だから、自分の周りを見回して、自分の免疫力が1000人の内の最下位レベルだと思う人「以外」の普通の人は、大抵はコロナが付着しても「知らない内に」体外に排出している筈である(想像だが、多分そうだろう)。これは人間が持っている免疫=自然治癒力が当然に機能して、ウィルスを撃退しているわけで、我々は無防備で自然の「病原体の森の中」にいるわけでは無いのである。もっと自分を信じよう!
勿論、何にでもリスクは有る。オリンピックで金メダル候補にも上がった池江璃花子のような、健康を絵に書いたようなアスリートだって「原因が分からない」骨髄の病気になって死線を彷徨った。幸いに完治してまた泳ぎ始めたというが、どこでどんな病気になるか分からないのが人間なのだ。だからといって怖がって社会から逃げたり接触を避けていたら、生きること自体が難しくなる。こないだALSに絶望して嘱託殺人を依頼した患者がいた。不幸である。だが彼女だって「なりたくてなった」のでは無い筈だ。普通の社会生活を送っていて、何故かALSを発症してしまったのである。コロナだって似たようなところがあるのだ。このウィルスは社会生活の隅々まで行き渡っていて、どこで感染するか分からない「感染力が異常に強い」ウィルスなのである。
いや、感染力と言ってしまっては誤解を招く。このウィルスは呼気から拡散して「そこら中」の物体に付着し、活性化したまま存在しうる物体=ウィルスである。それが口や目やその他の粘膜から体内に侵入し・・・、いや侵入というのは「意図を持って」内部に入り込むことを意味する。そうではなくて、コロナは単なるRNAの物体に過ぎないのだから、たまたま落ちた所が細胞で「レセプター」があったら「中に入っちゃった」というのが正しい言い方である。逆に言えば、コロナに罪はない。我々人間の方が、コロナに対応し切れていないだけである。ただ、こういう仕組みは人間(というより生物全般)の基本的機能だから、言い方を変えれば「当たり前のこと」をしているだけなののだ。ウィルスというのは何万年も色んな形で存在していて、人間も何百というウィルスと共存しながら生き延びてきた歴史がある。以前ラジオで専門家が説明していたのだが、人類が子供を生む為に「子宮の中に胎盤を作って」胎児を育てているのも、実はウィルスを活用して「新しく獲得した機能」だというのである。へぇーっと驚いたが、事実なのだそうだ。大体コロナは「コウモリ」に寄生していて、コウモリ自体は何とも無いっていうじゃないの。
ペストや天然痘、SARSにインフルエンザ、AIDSやエボラ出血熱、数え上げたら切りがない。それでも人類はウィルスと戦い、あるいは共存し場合によっては利用して、進化してきた。今度のコロナはどうなるかまだ分からないが、過去の感染症の例から言えば、いずれ「普通の病気」に落ち着いて人々の意識から消えてしまうのは間違いない。AIDSだってまだ治療法すら見つかってないのに、怖がってSEXしないという人は「恥ずかしながら、まだ出会ったことがない」のだ。それくらいにサッパリと忘れ去られている。毎年インフルエンザが猛威をふるって1万人もの人が亡くなっているというのに、「可哀想にインフルに罹っちゃって、ねぇ」、と慰めを言われるだけで終わるのが人類である。
今年の冬、第三波が到来して死者が何千人と出る事態になっても、もう2月のようなパニックに陥ることはないだろうと思う。私達コロナの第一波と第二波を「何とか生き延びた」強者は、もう「既に免疫力を獲得している」のだから、それほど恐れる必要はないのである(というか、自然の免疫力で十分撃退することが出来たのだ)。人間は病気に対してそれぞれ「弱い部分の傾向」がある。腎臓が弱い人は「人工透析」をしなくてはならずコロナにも弱い。肺などの呼吸器系疾患を持っている人は年中咳き込んでいて、喘息持ちは当然コロナにも弱い。心臓や血管などの循環器系が弱い人は当然血栓症にもなりやすくて、真っ先にコロナの餌食になるのも理の当然である。逆に脳梗塞に罹って「血液サラサラの薬」を常用している人は、コロナに罹っても血栓を起こしにくいというから「ラッキー!」でもある(私がそうである!)。大体、シマウマの群れにライオンが狙いを定める時は、脚の遅い子供を襲うというから「自然界というものは、弱いものから食べられていく」ように出来ているのだ。
交通事故は、殆どが原因がハッキリしている人的事故である。それでも毎年何千人と亡くなっていているのは何故だろうか?。アクセルとブレーキを踏み間違える70過ぎの老人には、免許を与えなければいいでは無いか。スピードを出し過ぎて事故を起こす人が後を絶たないなら、道路にビーコンを埋め込んで「制限速度以上は出ない」ように車を設計すれば良い。AIでもなんでも活用して、「絶対ぶつからない車」でなければ道路を走れなくすることだって、人間の作るルールだから可能なんである。年間5千人も交通事故で亡くなる前に、そういう車が出来るまで「電車とバス」で我慢することだって、やろうと思えば出来るのだ、コロナで自粛するように、である。
勿論、経済の発展は車無しでは有り得ない。人々は許容できる範囲でリスクを背負い、自分の判断で何とか身を守りつつ、一定の死亡率を徐々に少なくするよう車を改良し努力しながら、経済的な裕福を求めて日々暮らしてきたのである。コロナも何とか治療法を見つけて死亡率を少なくしつつ、「またコロナに罹っちゃったよ、しょうがねぇなぁ」とボヤきながらも、普通に生活していくようになるのだろう。日本人はつい75年前に、バカみたいに戦争で800万人もの同胞を殺した実績がある(相手を殺した数を入れれば、もっと莫大な人数になるが)。それを考えれば、たかだか千人の死亡であたふたするなんて、もう少し冷静になる必要があるんと違うか?、と言われても反論できないであろう。
個人の目で見れば「コロナは重症化リスクの高いウィルス」である。個人個人で最大限の防衛策を講じて生活しなければ、いつ何時発症しないとも限らない。しかし日本国家という「マクロの目」で見れば、医療の充実以外の「特別な対策」を取る必要は全く無いインフルエンザ・レベルの病気なのだ(あくまで死亡者数で言えば、である)。熱中症も心筋梗塞も、或いは「雷や台風」だって、注意喚起と災害対策で何とか乗り切っているではないか。コロナで死ななくても、他の病気で死んでいるかも知れない。もっと言えば「うつで自殺や孤独死」だって哀しい話ではあるが、その死亡者数をゼロにするために社会全体が自粛してバタバタ倒産するなどという話は、出て来ないではないか。人間は一定の割合で「弱いものから死んでいく」ように出来ている。自然界はそういう風に出来ているから「全体として安定している」のだ。人類の数が70億に達して、更にどんどん増えていきそうな今、何かの「破壊的な病原体」で人類の半分くらいが死ぬような事態にならないとも限らない。それが「地球温暖化」であり、宇宙空間からやってくる「巨大隕石」であるかも知れない。人類がこの先「宇宙に進出」出来なければ、間違いなく地球が大変動して「ノアの方舟状態」になり、殆どの生物が死滅するだろう(なんかノストラダムスの予言みたいになって来たが、事実である)。それがなくても一定の時間が経てば、太陽が巨大化して地球もろとも大爆発するか、アンドロメダが赤色矮星となって膨れ上がって「地球を飲み込み」、宇宙全体を照らす程の爆発天体ショーを演じた挙句に、巨大ブラックホールとなって、世の中から光が消えてしまうか。どっちにしても「地球の終わりが必ずやって来る」のである(まあ、相当先になるだろうけど・・・)。
色々と関係ないような妄想を書きまくってしまったが言いたいことは、コロナに限らずすべての感染症はそれぞれが持っている「予定死者数」を超えて蔓延を続けることは、「決して無い」という事実である(結果から逆算して予定死者数を導くのであるから、ちょっとインチキではある)。人間の持つ獲得免疫が働くまでの時間、死者数はどんどん増えていく。しかし次第に免疫の力が強くなってきて、徐々にウィルスを撃退するようになるのだ。それまでの時間が「早いか遅いか」で、被害の数も違ってくる。その「見極めのために」3〜5月は自粛して様子を見たのである(結果論)。感染者数6万人に対して死者数は千人だから、死亡率は約2%弱である。多分実際の感染者数は検査数の10倍はいるだろうから、本当は0.2%というあたりが正解か。この概算数字を弾き出して、「これなら何とかなりそうだ」と政府や東京都が考えても無理はない。それでGO TO キャンペーンをぶちかました。残念ながら失敗して感染者数が跳ね上がり、マスコミに煽られた大衆の罵詈雑言に大いに叩かれた事を別にすれば、それでも一度も一般企業を営業停止にせず「通常営業を続けさせた」のは見事という他ない(西村大臣の鉄面皮は、見上げたものと評価したい)。
小池都知事も最近は何となく「余裕かましている」感じが出て、ちょっと「シャク」だが仕方ないだろう。何しろ、大した病気でもないのに大騒ぎしていては、東京都知事という重責は務まらない。世間の人々も「意外とダイジョブじゃね?」って感じになってきて、そろそろワイドショー以外は「別の話題」に移りそうである。私の周りでも「ゴルフ再開」の話がポツポツ出てきた。イイ事である。何もコロナを甘く見ている訳ではなく、我々は既に「一度か二度、コロナに罹っている」と考えるのが、正しいのだ。コロナに罹っても無症状で普通に生活出来ているんなら、この後「何を恐れる事」があるんでしょうね?
ーーーーーーーーーーーー
結論:我々は生活を普通に戻し、野球観戦もイベントも飲み屋も旅行も、制限なく行動して人生を楽しもうではないか。
但し、感染対策のマスクと手洗いはキチンと継続実行し、会食は「アクリル板」を間に挟んで大いに飲みかつ食べようではないか、という事である。コロナの脅威が「去った訳ではない」。少しの免疫と徹底的な防護対策で、コロナに罹っても「平気な身体」に進化したのである(ここが肝心だ)。どうせ1万人くらいの死者は出る。その1万人に自分が入らない最低限の努力は、自分が「生きる以上」はやらねばならない(自助努力は不可欠である)。バンバン遊んで、ガンガン楽しもう!
それでもなお、コロナに罹って不運にも重症化したら・・・。
そん時はあっさり諦めましょうよ、人間いつかは死ぬんだから。
幸いコロナは高齢者が死亡率が高いという。前途ある若者が20才そこそこで命尽きるのは流石にどうかと思うが、80過ぎてコロナで死ぬのなら本望と思わないといけない。日本人の死因はガン・心疾患・老衰、だそうだが、そのあと脳血管疾患と肺炎が続く。誤嚥性肺炎を肺炎と見做せば、死因の第三位にジャンプアップするくらい肺炎は怖い病気である。コロナも肺炎になる場合が多いそうだから、死因としたら「普通のこと」と言えるかもしれない。そうなると何か特別な病気と考えるのではなく、一般的な感染症による肺炎と考えて間違いではないのではないか。そうであれば、日常的に身の周りのダニの死骸や微小な細菌類みたいなものを吸い込んで発症した「ぐらいの感じ」で捉えても、良いのかもしれない。
何れにせよ、「来世はきっと楽しい人生が待っている、かも」なんて、それぐらいのことを思って気楽に死んでいきましょう。ちょっと息苦しいかも知れないが、「ガンほど痛くは無い」そうだから、死に方としてはまだいいかもね。
a. PCR検査って本当に正しいの?
検査の方法は喉の奥の上気道から細胞を取ってきて、培養液で増幅させ機械でウィルスのRNAを分析し、新型コロナウィルスのデータと一致すれば「陽性」と診断するって仕組みである。人間が触ったり目たりX線映像などで臓器の具合を撮影して判断するのではなく、純粋に機械が「YES か NO」と答えるわけだから、ある意味正確だと言えそうだ。ところがネットで言われていることは、「ウィルスが上気道にいる」ことと「感染・発症している」こととは「天と地」ほどの違いがある、らしい(驚きだ!)。実際、PCR検査で陽性と診断されても「無症状でピンピンしてる」人が8割もいて、それが症状のないまま他の人に伝染(うつ)してる場合もあることが、分かってきている。だが良く考えてほしいのは、「無症状」でどこも何とも無い人が本当に「感染したって言えるのか?」って事である。普通に考えれば、無症状なら「感染してない」ってことじゃないのか?。ここが私にはどうにも納得できないのだ。
b. 陽性患者の8割は、単にウィルスが付着してるだけ
コロナは俗に言う生物ではなく、「呼吸もエネルギー産生も増殖も出来ない」ただの遺伝子の詰まった物体に過ぎない。それが人間の細胞にレセプターを介して侵入し、内部のDNAとかRNAとかとくっついて「体内で増殖」し、結果として重篤な肺炎やその他の血液の病気を引き起こして、時に死亡に至るのである。では、上気道にウィルスがくっついたら、全員100%細胞内に侵入されて肺炎を引き起こすのか、っていう点だ。上気道にコロナウィルスが「くっついているだけ」で体内にまだ侵入されてない人と、肺の細胞にウィルスが入り込み「爆発的に増殖してる人」と、それを区別しなければ医学的におかしいだろう!。ウィルスの量が少なければ、または体内の免疫システムが十分機能していれば、たとえ体内に入ってきたとしても「症状がないまま」体外に排出して完治する。その状態の人が8割もいるというんだから、これは新型コロナウィルスには「罹らなかった」と言わなきゃウソだろうと私は考えるのだ。
c. 陽性無症状者を患者扱いするから、社会が活動停止し、医療崩壊を引き起こす
コロナは指定感染症2類だから、医者は「陽性」になった人を入院・隔離して、2週間経過観察しなきゃならない。当然、病院はベッドが足りなくなる(最近は自宅療養って変な方法でごまかしているようだが)。人々の社会活動も縮小し、コロナに罹らないようにとソーシャル・ディスタンシングとマスクを守って生活し、その結果消費が落ちて倒産する店が続出してきた。GDPはリーマン時以上の「だだ下がり」である。ちょっと熱が出たら検査して、「陽性」だと分かったら、すぐさま濃厚接触者をPCRで検査し、芋づる式に陽性者を洗い出して「クラスターが発生した」と大騒ぎしているが、被害の状況を正確に判断すれば、「PCR陽性者数」に踊らされている事がハッキリ分かるのだ。実体は「熱中症患者数」の方が遥かに多いというのに、である。その意味では日本政府のコロナ対策は「何もしない点で、的を射ている」と言えそうだ。本当は安倍首相は、コロナが大したこと無いと知っているんじゃないだろうか?。いやいや貴方、それは「買い被り」し過ぎだと思うよ。
d. 連日のPCR検査数増加で、無症状陽性者が続出!
野球やサッカーなどのプロスポーツは、軒並み「選手もスタッフも、全員PCR」を実施している。私の住んでいる柏でも、PCR検査を受けた人が結構いると思って間違いない。とすれば、検査を受けて無くても「隠れ無症状陽性者」は、町なかのそこら中にいて、今日もスーパーやコンビニで知らずに「接触」している可能性だって、否定できないのだ。つまり、コロナ発生からもう既に半年以上が経過して、ロックダウンをしていない日本は当然「ウィルスが蔓延している」状態に突入していると考えても間違いではない。殆ど人と接触していない私だが、それでもたまにはビックカメラや高島屋やドトールに出かけていくこともあるわけで、既に「コロナが上気道に付着」していても、何ら不思議では無いことになる。それって、もしPCR検査すれば「陽性」ってことになっちゃうんじゃないの?
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以上、コロナに関して私が感じた疑問をまとめてみました。つまり私は、既にコロナに感染している可能性がある、ということである。
患者に人工呼吸器やエクモを装着して、必死に治療している医療従事者の皆さんには「コロナを甘く見るな!」と叱られそうだが、本当に重症になった人と「普通にダルいとか息苦しい」人を一緒くたにして、コロナは怖いと大騒ぎするほうが、よっぽど社会的影響が甚大だと思うけど、どうなんだろう。いっそこの際、無症状陽性者を「コロナ無敵者」と呼び、軽症者を「コロナ撃退者」と呼んで、普通の風邪と同じに扱ったらどうかな。みなさんも風邪を引かれたら、熱が下がるまで布団に入って安静にするでしょう。大して熱が出なかったら、デスクワーク程度の仕事は休んだりしないですよね。そんな中で本当にコロナに罹って重症化した人は、「コロナ性肺炎」とか「コロナ性血栓症」とかの新しい病名をつけて、それなりにキチンと医療機関で治療する、っていうのが正しい対応じゃないかな、って思っています。
で、我々が最も知りたい「自分がコロナに罹って重症化したら・・・」という不安だが、重症化するのは全体の「5%」(PCRが少なすぎるので5%と高い数値だが、ニューヨークなみに一日5万件も検査すれば、重症化率は「0.5%」位に下がる)だから、自分の周りを見回して、自分の免疫力が1000人の内の最下位レベルだと思う人「以外」の普通の人は、大抵はコロナが付着しても「知らない内に」体外に排出している筈である(想像だが、多分そうだろう)。これは人間が持っている免疫=自然治癒力が当然に機能して、ウィルスを撃退しているわけで、我々は無防備で自然の「病原体の森の中」にいるわけでは無いのである。もっと自分を信じよう!
勿論、何にでもリスクは有る。オリンピックで金メダル候補にも上がった池江璃花子のような、健康を絵に書いたようなアスリートだって「原因が分からない」骨髄の病気になって死線を彷徨った。幸いに完治してまた泳ぎ始めたというが、どこでどんな病気になるか分からないのが人間なのだ。だからといって怖がって社会から逃げたり接触を避けていたら、生きること自体が難しくなる。こないだALSに絶望して嘱託殺人を依頼した患者がいた。不幸である。だが彼女だって「なりたくてなった」のでは無い筈だ。普通の社会生活を送っていて、何故かALSを発症してしまったのである。コロナだって似たようなところがあるのだ。このウィルスは社会生活の隅々まで行き渡っていて、どこで感染するか分からない「感染力が異常に強い」ウィルスなのである。
いや、感染力と言ってしまっては誤解を招く。このウィルスは呼気から拡散して「そこら中」の物体に付着し、活性化したまま存在しうる物体=ウィルスである。それが口や目やその他の粘膜から体内に侵入し・・・、いや侵入というのは「意図を持って」内部に入り込むことを意味する。そうではなくて、コロナは単なるRNAの物体に過ぎないのだから、たまたま落ちた所が細胞で「レセプター」があったら「中に入っちゃった」というのが正しい言い方である。逆に言えば、コロナに罪はない。我々人間の方が、コロナに対応し切れていないだけである。ただ、こういう仕組みは人間(というより生物全般)の基本的機能だから、言い方を変えれば「当たり前のこと」をしているだけなののだ。ウィルスというのは何万年も色んな形で存在していて、人間も何百というウィルスと共存しながら生き延びてきた歴史がある。以前ラジオで専門家が説明していたのだが、人類が子供を生む為に「子宮の中に胎盤を作って」胎児を育てているのも、実はウィルスを活用して「新しく獲得した機能」だというのである。へぇーっと驚いたが、事実なのだそうだ。大体コロナは「コウモリ」に寄生していて、コウモリ自体は何とも無いっていうじゃないの。
ペストや天然痘、SARSにインフルエンザ、AIDSやエボラ出血熱、数え上げたら切りがない。それでも人類はウィルスと戦い、あるいは共存し場合によっては利用して、進化してきた。今度のコロナはどうなるかまだ分からないが、過去の感染症の例から言えば、いずれ「普通の病気」に落ち着いて人々の意識から消えてしまうのは間違いない。AIDSだってまだ治療法すら見つかってないのに、怖がってSEXしないという人は「恥ずかしながら、まだ出会ったことがない」のだ。それくらいにサッパリと忘れ去られている。毎年インフルエンザが猛威をふるって1万人もの人が亡くなっているというのに、「可哀想にインフルに罹っちゃって、ねぇ」、と慰めを言われるだけで終わるのが人類である。
今年の冬、第三波が到来して死者が何千人と出る事態になっても、もう2月のようなパニックに陥ることはないだろうと思う。私達コロナの第一波と第二波を「何とか生き延びた」強者は、もう「既に免疫力を獲得している」のだから、それほど恐れる必要はないのである(というか、自然の免疫力で十分撃退することが出来たのだ)。人間は病気に対してそれぞれ「弱い部分の傾向」がある。腎臓が弱い人は「人工透析」をしなくてはならずコロナにも弱い。肺などの呼吸器系疾患を持っている人は年中咳き込んでいて、喘息持ちは当然コロナにも弱い。心臓や血管などの循環器系が弱い人は当然血栓症にもなりやすくて、真っ先にコロナの餌食になるのも理の当然である。逆に脳梗塞に罹って「血液サラサラの薬」を常用している人は、コロナに罹っても血栓を起こしにくいというから「ラッキー!」でもある(私がそうである!)。大体、シマウマの群れにライオンが狙いを定める時は、脚の遅い子供を襲うというから「自然界というものは、弱いものから食べられていく」ように出来ているのだ。
交通事故は、殆どが原因がハッキリしている人的事故である。それでも毎年何千人と亡くなっていているのは何故だろうか?。アクセルとブレーキを踏み間違える70過ぎの老人には、免許を与えなければいいでは無いか。スピードを出し過ぎて事故を起こす人が後を絶たないなら、道路にビーコンを埋め込んで「制限速度以上は出ない」ように車を設計すれば良い。AIでもなんでも活用して、「絶対ぶつからない車」でなければ道路を走れなくすることだって、人間の作るルールだから可能なんである。年間5千人も交通事故で亡くなる前に、そういう車が出来るまで「電車とバス」で我慢することだって、やろうと思えば出来るのだ、コロナで自粛するように、である。
勿論、経済の発展は車無しでは有り得ない。人々は許容できる範囲でリスクを背負い、自分の判断で何とか身を守りつつ、一定の死亡率を徐々に少なくするよう車を改良し努力しながら、経済的な裕福を求めて日々暮らしてきたのである。コロナも何とか治療法を見つけて死亡率を少なくしつつ、「またコロナに罹っちゃったよ、しょうがねぇなぁ」とボヤきながらも、普通に生活していくようになるのだろう。日本人はつい75年前に、バカみたいに戦争で800万人もの同胞を殺した実績がある(相手を殺した数を入れれば、もっと莫大な人数になるが)。それを考えれば、たかだか千人の死亡であたふたするなんて、もう少し冷静になる必要があるんと違うか?、と言われても反論できないであろう。
個人の目で見れば「コロナは重症化リスクの高いウィルス」である。個人個人で最大限の防衛策を講じて生活しなければ、いつ何時発症しないとも限らない。しかし日本国家という「マクロの目」で見れば、医療の充実以外の「特別な対策」を取る必要は全く無いインフルエンザ・レベルの病気なのだ(あくまで死亡者数で言えば、である)。熱中症も心筋梗塞も、或いは「雷や台風」だって、注意喚起と災害対策で何とか乗り切っているではないか。コロナで死ななくても、他の病気で死んでいるかも知れない。もっと言えば「うつで自殺や孤独死」だって哀しい話ではあるが、その死亡者数をゼロにするために社会全体が自粛してバタバタ倒産するなどという話は、出て来ないではないか。人間は一定の割合で「弱いものから死んでいく」ように出来ている。自然界はそういう風に出来ているから「全体として安定している」のだ。人類の数が70億に達して、更にどんどん増えていきそうな今、何かの「破壊的な病原体」で人類の半分くらいが死ぬような事態にならないとも限らない。それが「地球温暖化」であり、宇宙空間からやってくる「巨大隕石」であるかも知れない。人類がこの先「宇宙に進出」出来なければ、間違いなく地球が大変動して「ノアの方舟状態」になり、殆どの生物が死滅するだろう(なんかノストラダムスの予言みたいになって来たが、事実である)。それがなくても一定の時間が経てば、太陽が巨大化して地球もろとも大爆発するか、アンドロメダが赤色矮星となって膨れ上がって「地球を飲み込み」、宇宙全体を照らす程の爆発天体ショーを演じた挙句に、巨大ブラックホールとなって、世の中から光が消えてしまうか。どっちにしても「地球の終わりが必ずやって来る」のである(まあ、相当先になるだろうけど・・・)。
色々と関係ないような妄想を書きまくってしまったが言いたいことは、コロナに限らずすべての感染症はそれぞれが持っている「予定死者数」を超えて蔓延を続けることは、「決して無い」という事実である(結果から逆算して予定死者数を導くのであるから、ちょっとインチキではある)。人間の持つ獲得免疫が働くまでの時間、死者数はどんどん増えていく。しかし次第に免疫の力が強くなってきて、徐々にウィルスを撃退するようになるのだ。それまでの時間が「早いか遅いか」で、被害の数も違ってくる。その「見極めのために」3〜5月は自粛して様子を見たのである(結果論)。感染者数6万人に対して死者数は千人だから、死亡率は約2%弱である。多分実際の感染者数は検査数の10倍はいるだろうから、本当は0.2%というあたりが正解か。この概算数字を弾き出して、「これなら何とかなりそうだ」と政府や東京都が考えても無理はない。それでGO TO キャンペーンをぶちかました。残念ながら失敗して感染者数が跳ね上がり、マスコミに煽られた大衆の罵詈雑言に大いに叩かれた事を別にすれば、それでも一度も一般企業を営業停止にせず「通常営業を続けさせた」のは見事という他ない(西村大臣の鉄面皮は、見上げたものと評価したい)。
小池都知事も最近は何となく「余裕かましている」感じが出て、ちょっと「シャク」だが仕方ないだろう。何しろ、大した病気でもないのに大騒ぎしていては、東京都知事という重責は務まらない。世間の人々も「意外とダイジョブじゃね?」って感じになってきて、そろそろワイドショー以外は「別の話題」に移りそうである。私の周りでも「ゴルフ再開」の話がポツポツ出てきた。イイ事である。何もコロナを甘く見ている訳ではなく、我々は既に「一度か二度、コロナに罹っている」と考えるのが、正しいのだ。コロナに罹っても無症状で普通に生活出来ているんなら、この後「何を恐れる事」があるんでしょうね?
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結論:我々は生活を普通に戻し、野球観戦もイベントも飲み屋も旅行も、制限なく行動して人生を楽しもうではないか。
但し、感染対策のマスクと手洗いはキチンと継続実行し、会食は「アクリル板」を間に挟んで大いに飲みかつ食べようではないか、という事である。コロナの脅威が「去った訳ではない」。少しの免疫と徹底的な防護対策で、コロナに罹っても「平気な身体」に進化したのである(ここが肝心だ)。どうせ1万人くらいの死者は出る。その1万人に自分が入らない最低限の努力は、自分が「生きる以上」はやらねばならない(自助努力は不可欠である)。バンバン遊んで、ガンガン楽しもう!
それでもなお、コロナに罹って不運にも重症化したら・・・。
そん時はあっさり諦めましょうよ、人間いつかは死ぬんだから。
幸いコロナは高齢者が死亡率が高いという。前途ある若者が20才そこそこで命尽きるのは流石にどうかと思うが、80過ぎてコロナで死ぬのなら本望と思わないといけない。日本人の死因はガン・心疾患・老衰、だそうだが、そのあと脳血管疾患と肺炎が続く。誤嚥性肺炎を肺炎と見做せば、死因の第三位にジャンプアップするくらい肺炎は怖い病気である。コロナも肺炎になる場合が多いそうだから、死因としたら「普通のこと」と言えるかもしれない。そうなると何か特別な病気と考えるのではなく、一般的な感染症による肺炎と考えて間違いではないのではないか。そうであれば、日常的に身の周りのダニの死骸や微小な細菌類みたいなものを吸い込んで発症した「ぐらいの感じ」で捉えても、良いのかもしれない。
何れにせよ、「来世はきっと楽しい人生が待っている、かも」なんて、それぐらいのことを思って気楽に死んでいきましょう。ちょっと息苦しいかも知れないが、「ガンほど痛くは無い」そうだから、死に方としてはまだいいかもね。
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