残念なニュースが流れた。この話題は、熊本の地震報道で吹っ飛んだが、介護問題・少子化問題・保育園問題と課題ラッシュの安倍政権に取って、むしろ追い風になったかも知れない。それはさておき、住民の反対運動で建設できなくなった保育所は、子供を抱える母親からすれば希望の光であったろう。さらに言えば、そこに預ける事で自分が働ける、そういう計画も頓挫してしまう「お先真っ暗」な事態だ。
私は、充分な事前説明もなくいきなり看板立てて工事を勝手に始めようという施工主のやり方が酷過ぎると言うような反対理由をあげつらう住民は、どんなやり方をしようとも所詮は建設中止に持ち込もうとする問答無用の人だと思う。とにかく嫌だの一点張りではうるさいだけの年寄りだと言われかねないから、危険だとか騒音だとか何だかんだと理由をつけてるだけの事である。
保育園などの子供の施設は、将来の日本を支えるというか「未来の日本人そのもの」である。子供を自分の持ち物と考えるのは戦前の日本人には根強いが、今は次世代の国民であり、自分たちの世代の次の有権者であるというのが新しい考えだと思う。つまり子供は、子供の将来について親の意見には従わず、独自の決定をする権利があるという事。権利というが、皆んな年を取っていき「自然にそうなる」のだ。
今、うるさいとか危険だとか理由をつけて反対している住民が高齢になって、介護を受ける立場になった時、今建設中止で保育園に入れなかった子供が大きくなって支える立場になる。さてその時に、その子供だった人々から「年寄りを支えるのは若い我々の義務ですから」などと言ってもらえると期待しているのかな?という事である。甘い、甘すぎる。お金の無い高齢者の悲哀は、言葉に尽くせないほど辛い。
私は、市川の保育園が建設断念したのは正しい決断だと思う。他にいくらでも場所はある。暖かい住民に守られた素晴らしい環境の中で、大切に子供を育てる方がよっぽど良いと断言する。市川の住民は、後生大事につかんだ「静寂」の中で、世間の冷たい目に晒され見捨てられて朽ち果てる老後の道を選んだのである。その選択は尊重しよう。ただし、自分の選択には責任を取ってもらうということである。子供達をうるさいと言った老人の末路がどれほど寂しいものになるのか、想像に難く無い。
今を生きる我々と未来を生きる子供達とが共存し互いを理解しあい、我々に住みよい環境を作っていくことは即ち子供の未来においても住みやすい環境を作る事になるというWINーWINの関係こそ、いま求められる答えでは無いだろうか。子供の将来に役立つ事をすれば、感謝と愛情を得られよう。自分の事だけを考えて子供を対立者と見れば、その結果はしっぺ返しとなって己に帰ってくる。私は、子供の保育園に「どうぞ来てください!」と手を挙げる住民が、必ずや出てくると思う。それが住民に取って他に場所がなく犠牲にならざるを得ない「しょうがない」選択ではなく、ただ単に「賢い」選択だからである。市川の住民はその時に後悔しても遅い、それだけである。
私は、充分な事前説明もなくいきなり看板立てて工事を勝手に始めようという施工主のやり方が酷過ぎると言うような反対理由をあげつらう住民は、どんなやり方をしようとも所詮は建設中止に持ち込もうとする問答無用の人だと思う。とにかく嫌だの一点張りではうるさいだけの年寄りだと言われかねないから、危険だとか騒音だとか何だかんだと理由をつけてるだけの事である。
保育園などの子供の施設は、将来の日本を支えるというか「未来の日本人そのもの」である。子供を自分の持ち物と考えるのは戦前の日本人には根強いが、今は次世代の国民であり、自分たちの世代の次の有権者であるというのが新しい考えだと思う。つまり子供は、子供の将来について親の意見には従わず、独自の決定をする権利があるという事。権利というが、皆んな年を取っていき「自然にそうなる」のだ。
今、うるさいとか危険だとか理由をつけて反対している住民が高齢になって、介護を受ける立場になった時、今建設中止で保育園に入れなかった子供が大きくなって支える立場になる。さてその時に、その子供だった人々から「年寄りを支えるのは若い我々の義務ですから」などと言ってもらえると期待しているのかな?という事である。甘い、甘すぎる。お金の無い高齢者の悲哀は、言葉に尽くせないほど辛い。
私は、市川の保育園が建設断念したのは正しい決断だと思う。他にいくらでも場所はある。暖かい住民に守られた素晴らしい環境の中で、大切に子供を育てる方がよっぽど良いと断言する。市川の住民は、後生大事につかんだ「静寂」の中で、世間の冷たい目に晒され見捨てられて朽ち果てる老後の道を選んだのである。その選択は尊重しよう。ただし、自分の選択には責任を取ってもらうということである。子供達をうるさいと言った老人の末路がどれほど寂しいものになるのか、想像に難く無い。
今を生きる我々と未来を生きる子供達とが共存し互いを理解しあい、我々に住みよい環境を作っていくことは即ち子供の未来においても住みやすい環境を作る事になるというWINーWINの関係こそ、いま求められる答えでは無いだろうか。子供の将来に役立つ事をすれば、感謝と愛情を得られよう。自分の事だけを考えて子供を対立者と見れば、その結果はしっぺ返しとなって己に帰ってくる。私は、子供の保育園に「どうぞ来てください!」と手を挙げる住民が、必ずや出てくると思う。それが住民に取って他に場所がなく犠牲にならざるを得ない「しょうがない」選択ではなく、ただ単に「賢い」選択だからである。市川の住民はその時に後悔しても遅い、それだけである。
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