明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日々の話題を一撃で解決(4)政府の霊感商法対策に物申す

2022-11-20 22:40:00 | 今日の話題

政府の霊感商法に対する防止策は、何だか焦点がぼけた曖昧な表現になっていると私は感じた、政府は霊感商法によって財産を教会に奪われた「被害者を救済」する為と考えているようだが、財産を奪われたのは何も霊感商法だけに限らない。要は信者としての「寄付行為そのもの」を規制しなければ、根本的な解決には程遠いのだ。言うならば、旧統一教会という「存在自体」をなくさなければ、今後も被害者は出続けるのである。教会を完全に抹殺する為には、公明党(創価学会)が反対しようが妨害しようが何しようが「徹底的に叩いて」、二度と立ち上がれないように最後の一人まで地の果てまでも追いかけて完全に消滅させる強固な意志が必要だ。もし少しでも教団を残しておいたら、全財産を奪われ、寄付の美名のもとに人生をメチャクチャにされる被害者を根絶することは出来ないのである(なお、これは私の個人的考えであることは言うまでもない)。

そこで、私の考えた「旧統一教会をぶっ潰す作戦」をご紹介しよう。

① 宗教団体への寄付行為の禁止

信者が「救いを求めて」寄付をすることは、はっきり「禁止」とする。金銭を払って「心の平安」を取り戻すのは、通常は「セラピー」といって、医療行為の一つである。旧統一教会が信者に対して「寄付をすれば救われる」と言うのは、まさに「金銭で救いを買う行為」に他ならない。これは宗教行為ではなくて、単なる「医療行為」なのだ。よって、これを行うには国家試験である医師免許を取得しなければならない。もし免許なしで営業すれば、当然だが「違法」である(これ、間違ってるかも知れないから、こだわる人は調べて下さい)。

例えばどこか体の部位が具合が悪くなったとしよう。それを治すために「薬を調合」した場合、その薬の成分が体内に入ってどのように反応し、その結果、悪くなった部位を「どのように改善する」のかを、医学的に明らかにする必要がある。また筋肉や骨格に負担や異常が出て動きが正常に出来なくなった場合は、どう言う姿勢や運動を行うことで「どの部位を改善・強化」し、結果として本来の健康な状態に戻していくという説明を「医学的に理論立てて説明」出来なくては、病院という看板を掲げて営業することは出来ない理屈である。つまり、旧統一教会は「民間療法の違法もぐり営業」なのだ。これを「宗教と呼ぶのは間違い」である。

そもそも宗教というのは「信じる事で救われる」のである。そこには「お金を払う」という行為は含まれていない。土台、現実的なお金なんか、超自然的存在である神は「全然興味ない」のである。昔イエス・キリストが言ったとされる「カエサルのものはカエサルに」という言葉は、まさに「宗教の本質」を現しているわけだ(品物はそれぞれ本来の持ち主に返しなさい、という意味)。神道も仏教も潔斎や礼拝について語ってはいても、「お金を払う」ことで何か利益を得られる、とは言っていない筈である。もし、○○を得るには「いくらかかる」と教義に書いてあるとすれば、それは宗教でもなんでもなく「ただの商売」である。まじめに努力していれば「普通は」平穏無事に暮らせるのに、全財産を投げ出さなければそれが得られないというのでは「コストパフォーマンス最悪」じゃないですか。これに「ひっかかる」というのは、余程のバカか、それともマインドコントロールされているかのどちらかである。だから法律で寄付行為は禁止とする。

〇 公明党(創価学会)が何と言おうと、宗教の名をかたって「寄付を受ける」のは禁止する

② 宗教で金儲けは禁止

世の中には、宗教の名をかたって金儲けしようという魂胆の詐欺師が大勢いるのだ。一部のカルト集団など、金目当てじゃなくて「ホントに狂った集団」もあるので線引きは難しいが、旧統一教会の場合は教義自体は「キリスト教の良いとこ取り」で、言うならば「小学校高学年程度の道徳の教科書」にあるような分かりやすい教えを「もっともらしく並べた単純なもの」のようだ(私は殆ど知らないから想像で言っている。間違っている可能性もある)。教会の本当の目的は「徹頭徹尾、金儲け」である(これも想像)。悩んでいる人をあの手この手で勧誘し、現実にないことを言い含めて騙くらかして金を巻き上げる「悪徳業者」なのだ(これも・・・しつこいねぇ)。家の柱が「シロアリに食われてボロボロですよ」と言って法外な金銭を要求する「アレ」である。この「被害」にあっていると「ウソを言って」駆除費用を騙し取る商法を絶滅するには、「宗教で金を取ってはならない」と法律で規制するのが一番である。本当の宗教家ではない旧統一教会の連中は、目当ての金が入らなければ「別の場所」に行くに決まっている。元から人々を救おうなどとという気持ちは「サラサラない」のだから、おいしいエサが無ければ、当然去っていくのみである。

〇 金の切れ目が縁の切れ目、である

③ 身分を隠して勧誘は禁止

そうは言っても、知らないうちにマインドコントロールされてそれで救われた気分になり、幸せを感じて「言いなり」になって多額の寄付をしてしまう場合が多発しているという。マインドコントロールは一旦かかってしなうと防ぎようがない。唯一の防衛策は、かからないようにする以外にない。従って、これを防止するために「身分を隠して勧誘」することは、禁止する。まあ、これでは「余りに不十分だ」と言われるかも知れないが、お金さえ取られなければ「いずれ教団は消滅するかどこかへ行ってしまう」のだから、次善の対策として「一応法制化しておく」ことは有効だろう。

〇 知らずに信者にならされた人は「損害賠償請求」することが出来る

④ 通常営業は認める

宗教で寄付を全く禁止してしまうと、おみくじとか破魔矢とか神棚・仏壇または十字架など物品販売および入場料や拝観料や祈祷料など収入しか教団に入らなくなる。勿論、宗教であるから人々を救うことが目的なので、教団が儲かることは考えていないのが普通である。しかし、教団を維持するためには僧侶や神主や司祭などの「生活費と交通費」、それに宗教の本業である「真理を極める研究費」が必要なことは言うまでもない。また、教団施設の建設や改修費用それに庭木の剪定や駐車場の管理などにも、当然費用が掛かる。そのために「多少の寄付行為は認めないといけない」だろう。だが、現金でこっそり寄付されたら税務署では把握しようがない。それで、目的がはっきりしていて、教団・信者が「教団維持のため」と明記して資金使用の実態が確認される場合は、寄付者の氏名などを公表して行えば「違法行為には該当しない」ものとする。なお、日曜礼拝費、葬式代・墓所費用一式・戒名料・法事費用、その他事務費用などについては、社会通念の範囲内で金額を設定し、教団への過度の収入にならないように「公的機関で監視」することで、運営費の一部に認めてもいいんじゃないかと思う。なお、これらの収入は当然だが、国の「課税対象」つまり所得税になる。

〇 教団維持の目的で寄付を募る場合は、「クラウドファンディング」で募集すべし
 
⑤ 宗教に必要な建築および施設や仏像等は、維持・補修にかかる費用は税額控除とする。それ以外の個人の収入は、基本控除を超える収入は「その他の職業と同じく」課税し、収支報告書の提出義務を負う

これで、宗教団体が法人格を取得して「無税」とされる特典はなくなる。当然だが旧統一教会も課税対象になるから、莫大な寄付は「これも当然に高額税率が適用され」て、実入りは激減して「旨味がなくなる」わけだ。儲からなければやらなくなるのは、あらゆる商売の「基本」である。だから統一教会も、日本から撤退せざるを得ないであろう。「万々歳!」である。勿論、法隆寺や東大寺や金閣寺と言った国宝級建築物は「文化財」として国から補助金が出ているから、維持・補修に掛かる費用は「国が払う」のでそれほどかからない。しかし、文化財として認められてなくても信者にとっては「大切な」ものであることに変わりはないから、人や教団ではなくて「もの」を維持・補修する費用は「非課税」として課税対象から外すのが妥当である。人ではなく「物」だけを課税対象から外すのであれば、金儲け教団は「意味ない」からやらないだろう。

〇 宗教法人は建築や像を「宗教財」として控除してもよい

以上。旧統一教会に始まった宗教の問題を「一発で解決する方法」を私なりに書いて見た。要するに、お金を徹底的に取り締まれば、金儲けの似非宗教は「消滅せざるを得ない」のだ。公明党がこの方法に対して「どういう屁理屈を持ち出して反対する」のか楽しみだが、所詮宗教である以上、どうやっても「この方法に反対することは出来ない」だろうと私は考える。何故なら宗教とは「心の拠り所を信ずる」ものであるから、「お金を払えば何とかなる」と言うものではけっして無い。西洋でも免罪符を売って金儲けしようとして宗教戦争になったのは歴史の教科書で教える通りである。日本でも平安の昔から宗教をかたって蓄財しようとした人間が多数いた。詐欺師は投資に対して「リターンが大きい」と吹聴する。だが実際はリターンなど最初っから有りもしないウソなので、投資した人は「騙された」となるのである(それでもひっかる人が大勢いるのは不思議)。この方法で、「宗教で寄付」をすれば幸せになれるというのも、これと「全く同じ構造」ではないだろうか?。

では、宗教の場合はどうやって騙してるのかと言うと(ちゃんとした宗教の方には、申し訳ありません)、「あの世で幸せになれますよ」と言って、同じように「投資=寄付」を募るのである。このウソに騙されたと気が付いた時には「本人は既に死んでいる」から絶対にバレない、という実に巧妙な手口なのだ。これが宗教の難しいところである。では、宗教で「本物と偽物を見分ける方法」はあるのだろうか?。それが「ある」のである。

それが、お金を取らないのが本物、お金お金と言って高額の寄付を要求するのが偽物、という「至極簡単ではっきりした見分け方」である。これを使う事で旧統一教会を「完全にブッ潰し」てやりましょう! 

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もし、旧統一教会が「資金源を断っても」なおかつ「存続する」ようであれば?、・・・それはそれで「宗教」として認めればいいんじゃないですか?、もし「あれば?」って場合ですけどね。



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