明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ニュースに一言(51)福島原発デブリ取出し問題の深い闇

2024-11-15 22:55:51 | 私の意見

1、福島

こないだ福島で原発事故後初めてデブリの一部を回収するのに成功した!、とニュースになっていた。だが「凄いじゃないか!」と手を叩いて喜ぶのはとんでもなく早いらしいのである。というか、このことで逆に原発の事故が如何に手に負えないものなのか、素人の私にも良〜く分かったという残念な話のようだ。お先真っ暗じゃあないの、ホントに。

まず予定を何度か延期した挙げ句にようやく取り出したのが「0.69g」だというからてんでお話になりません(正確な数字はきちんとお調べ頂くことを推奨いたします・・・筆者注。以下同文)。メルトダウンして圧力容器から地面の中に溶け落ちた核燃料は、全部で何と880トンもあるというから気の遠くなる量です。1トントラック1杯分の汚染土を取り出してその中から砂金を選り分けるようにデブリを取り出すとして、その中に溶けたデブリがどのくらいまとまってるか分からないが仮に100キロ取れたとすると、880トン全部取り出すまで8千8百日つまり、毎日休まず作業をしても「24年」もかかる計算なのだ。これまでに事故から13年経っているから都合37年である。

勿論、これには取り出した核燃料の廃棄場所を「何処にするか問題」は別である。自分の所を廃棄場所にして良いですよという自治体は「OKする代わりに補償金を払う」としても、まだ出てきていないのが実情だ。つまり捨て場所が無いのである。しかも取り出したデブリはまだ調査段階でしか無いといって研究施設に送られて「どういう方法で取り出すか」これから考えるという・・・、恐ろしく気の長い話ではないか?。これを火事に例えれば地中から全部の核燃料を回収出来て、尚且つそれらを安全に廃棄出来る場所に運んでやっと、目の前の燃え盛る火が鎮火し消防車が帰ったのと同じ状態になるわけだ。だが土地の住民にしてみればその後に汚染された建屋の廃材処理や機械類と施設の解体廃棄・整地といった後片付けの作業がまだ残っているわけで、原発跡地が綺麗さっぱり平地にならされてようやく全部の始末が付くまでには「更に何年かの年月と莫大な費用」が待っているのである。これはもう「悪夢」というしかない。

そして、事故が起こって「核爆発」しなかったのが不幸中の幸いだが、もし爆発していれば燃料貯蔵プールにあった使用済み核燃料も含めて、「広島原爆の何十倍」の破滅的爆発で福島はおろか東京一帯まで死の灰が降り注いでいたのは間違いがないらしい。もう大大大惨事ということすら憚られる「人類が経験したことの無い」地球的規模の大爆発になっていただろう事は間違いないと思う。それに生き残った人々も「原発は悪魔の施設」と恐れ慄き、一転して安全神話を語っていた東電や政府の推進派の人々を「事故を引き起こした張本人」と断罪したことと思う。

全ては結果である。それにしても原状回復して平地にするのに20年以上(取り出すのが一日100キロのペースとして)もかかる費用に加えて、恐ろしい数の死者と何年も人が住めない不毛な土地を作り出した補償金、さらには失われた産業の逸失利益と地元の住民の天文学的な精神的苦痛等の被害額を考えると、ちょっと計算が出来ない位の「何十兆円、何百兆円という金額」が負の遺産として日本の経済に重く降りかかって来るのである。この莫大な負担は本来払う必要の無かった金であり、仮に払えたとしてもそれは単なる「核のゴミ処理費用」なだけで、何ら新しい「価値」のあるものを生み出す訳では決して無いのである。つまり、意味もなく「ドブに捨てられ」たのだ・・・、何という無駄、何という愚策だろう。

日本はユーラシアプレートや北米プレートやフィリピンプレートや太平洋プレートなど、大きな地殻プレートが四方から集まっていて「常にぎゅうぎゅうに衝突」している危険地帯なのだ。そして縦横無尽に走る断層帯が予期せぬ変動を引き起こし、まさに日本は地震頻発の現場と言っても過言では無い位の「災害列島」なのである。そんな、海に浮かんでめっちゃ揺れ動いているような危険極まる島の上に、後先考えずただ便利だからといってポコポコ50何個も原発を作っちゃう日本人っていうのは、コントロールの効かない「破滅志向のバカ」か、あるいは金に目のくらんだ「思考停止しているヤバい狂人集団」かのどっちかでしょう。

福島の教訓とは「原発は全部廃炉すべし」しかない筈だった。ところが年月が経ってほとぼりが覚めたら、今度は今まで以上に安全に留意して云々という「前回の事故を踏まえて慎重に進めよう」な推進論が政府の中に出て来ているという。こいつら、何回事故れば気が付くんだ!、って話である。何度も言うけど、原発事故は「もう一回やったら日本は終わる」のだ。こんな危ないものは「金輪際」手を出したらダメなくらい子供でも分かるだろうに。

2、敦賀

そういえば、敦賀で原子力委員会だかなんだかが、原発再稼働申請を却下した、とニュースが報じていた。何でも原発施設の真下に断層が走っている「かも」知れないから、というのである。実に真っ当な判断と言える。人類には地震のメカニズムはある程度分かってはいても、それが何時起きるか、そして「どこで起きるか」については「全く分からない」のが現実なのである(仮に分かったとして、その規模に至っては皆目見当が付かないのが事実だ)。福島と敦賀では全然かけ離れているように思うかもしれないが、地球スケールでの地殻活動を考えれば「どちらも同じ時間、同じ場所」と言ってもそれほど間違いでは無い。要は何万年・何万キロのスケールで起こっている事象なのである。

もしもう一度敦賀や他の場所で原発事故が起きたらその時は、「日本壊滅」と言えるような被害つまり、二度と立ち直れない位のダメージを背負うことになる(特に敦賀は原発密集地帯で、一度事故が起これば京都・大阪・神戸といった大都市でも甚大な被害が予想される。勿論、この被害予想は「核燃料大爆発」といった最悪の事態は想定していない)。例えば貴方が30歳の働き盛りで「賠償額20億円」を背負う事になったらどんな気持だろう?。仮に一生かかって返し終えたとして、それで手元に残ったものは「無意味な人生だけ」だった、という虚しい事実である。毎日モヤシを食べて借金を返すだけの人生が貴方を待っているとしたら、その先生きる気力も何もないだろうことは容易に想像が付く。なのに関西電力は再稼働に意欲を燃やしているという。こいつら本当に人間を何だと思ってるんだろうか。

ところが事情を調べてみると、この13年間ずっと停止している間の諸経費を誰が払っているかというと、東北電力や東電などの発電企業の連合が年間数億円だか数百億円というお金を出しているというのだ(伝聞です)。原発は「やーめた!」と言って廃炉するにしても使用済み核燃料は冷やし続けないと爆発の危険があるから「結局費用は運転中と同じ位かかる」のである!(あくまでザクっとしたイメージです)。しかも廃棄する先が「今の所見つかってない」という(ガチョーン!)。もう「やめるにやめられない」状態、つまり日光のいろは坂をブレーキの効かない車で下っているドライバーの気持ちなのである。

言葉にすれば「誰か助けて〜」って感じ?

こんなことは「最初から分かっていた」ことである。じゃあ何で原発なんか始めたんだ?、と聞きたい。答えは「欲に目が眩んだ」から、に決まってるだろう。原発推進派というのはこの手の「バカ」ばかりである。

3、女川

そんな状況で東北女川原発が再稼働した。ところが再稼働して、すぐトラブルを起こして緊急停止である。原因は「ナットの緩み」だと発表された。いつまでこんな人的ミスを繰り返すつもりだろうか。施設側は大したことじゃないと言ってはいるが、彼らの言う「大した事」が起きない確率は「今回のミスと同じ」なのである(つまり分からないって事)。次に何かあった時にそれが「取り返しのつかない」場合だって普通に起きるのだ。原発は配管で出来ていると言っても過言ではない。勿論ナット以外の他の部品だって同じように仕様通りに設置されて初めてキチンと動くのだ。

例えばオートバイの前輪が走行中に外れたら大事故になるのは誰でも分かる。しかし私は前輪が走行中に外れたなんて事故は寡聞にして聞いた事が無い。これは「絶対外れてはいけない場所」が1ケ所だからバイク屋も注意するって事だと思う。じゃ原発ではどうなのかと言うと「何万」という部品があって、中には「外れたら大変な事になる」部品がゴマンとあるのだ(事故の程度は色々だろうけど)。原発というのはオートバイの事故と違って、一旦事故ったら「何十兆円レベル」の被害額が想定される。だから運転条件は「一つのミスも許されない」ものであるべきだ(事故が起こってから大したことなかったというのは結果論。そもそもミスは許されないというのが正しい姿勢だと私は思う)。

なのに、どこが外れたの何が漏れただのと、年がら年中細かいミスがニュースを賑わしている。いっそ、ネジ一本外れたら廃炉する位の「究極の厳しい条件」を課したらどうだろう。施設の安全が確保されたから運転して良いですよと再稼働を許可したにしても、それを点検・整備し運転するのは人間んである。人間は必ずミスを犯す生き物なのだ。そして一回のミスが大事故を引き起こして大惨事になる、というのは飛行機事故で散々証明されている事実だ。

結論:すぐに全部の原発を廃炉すべし。



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