と、大上段にコロナ問題を取り上げてみたが、これは「今週の気付き」で扱うことにした。居酒屋でワイワイ語り合う問題ではない。やっぱりこちらのカテゴリーは、例えば友人たちとお茶でも飲みながら、もっと気楽なお喋りを楽しむ場所にしたいと思う。
1、嗅覚はすごい大事
人間に限らず生き物は、嗅覚が衰えるとき生命力も落ちていると言う。視力や聴力と比べて「より、餌を見つける」ことに特化している能力のようだ。何だか最近、鼻が効かないとか匂いを感じる力が落ちたとか感じたとすれば、それは体が発している「危ない信号」と思わなくてはならないらしい。幸い私は、まだまだ鼻は大丈夫だと思うけど、皆さんも気をつけて確認するといいかも。さて、生きるということに一番大事な「嗅覚・味覚」を考えるに当たって、まず毎日お世話になっている食事から話を始めたい。
話題は居酒屋らしく「ビールの味わい方」でいこうと思うが、テレビでお馴染みの太田和彦のビールの飲み方は「究極の味わい方」の好例である。これは、趣味が高じてある種「お茶の作法」のようになっていて私は気に入らないが、「本人が好きでやっている」のであれば構わないのじゃないかな。まあ酒の飲み方には、誰しもこだわりがありそうだ。ついでだが、おつまみの柿の種が近年、中身の柿の種とピーナッツの割合を「7:3」にして出したそうである。顧客にアンケートした結果、「大きく好みが変化してきた」のに合わせたらしい。これに限らずどの食品メーカーも10年一日のごとく、のんびり構えてはいられない時代になってきたようだ。人生の大半をグルメなどとは無関係に過ごしてきた私だが、そういう時代に突入している昨今、テレビを見ていて「ふと、ここらで一発、自分の嗅覚・味覚を深めてみる」ということにチャレンジしてみようかと思い始めた。
実はNHKで、嗅覚の大事さを大々的に取り上げて特集していたので、単純にそう思っただけ、ということもある。視覚や聴覚が、遠く離れている物体の「動き」を感じるのに比べ、嗅覚(味覚もそれに近いが)はより直接的に「物自体が発する独特の匂い」を感じる、という点が違っている。そして「対象の特質」を確認し、それが何であるか、より具体的にイメージできるのだ。赤ちゃんなぞは「何でも口に入れて確認する」癖があるが、これも原始以来の習性の名残だろうか。子供が生まれたての時は、目や耳よりも「鼻や舌」の方が利く。歳を取るにつれて目・耳の情報が大部分を占めるようになってしまうが、ここで一念発起し今一度鼻や舌の感覚を復活させることは、人生をより「中身の濃いもの」に進化させる秘訣だと考えたのである(素晴らしい!)。幸い、食が細ってきた年寄には、「味覚を極める」というのが意外と合ってるのかも。
嗅覚には鼻から嗅ぐ「前嗅覚」と、口に含んだ時に奥のほうで匂いを感じる「後嗅覚」があるそうだ。味覚も舌の部位によって感じる味が違うので、前後左右の味蕾をフル稼働させて味わうのが大事だとか。私など、ヒマはたっぷり「掃いて捨てるほど」あって有り余っているから、一つ今夜からでも早速やってみようかと思う。趣味は何ですか?と聞かれて「五感を研ぎ澄ますこと、・・ですかね」などというのも「こいつ意外とやるな」などと思わせて、何ともお洒落の極みではないだろうか。目をつぶり、耳を塞いで背筋を伸ばし、そして味覚と嗅覚を総動員して「日本酒を隅々まで味わい尽くす」というのも通らしくて、アリである。これ、例えるなら「酒という一つの宇宙に遊ぶ」という気分になってくる。
ところが最近、味の究極の世界を嗜もうという人達がいる一方で、肉を食べると「すごい柔らか〜い!」と叫び、数の子を食すれば「コリコリして美味〜い!」とニンマリするのが流行っているようだ。で、天ぷらは「サクサク」、唐揚げは「パリッとして中はジューシー」と大声で連呼する。要するに「さも食感が旨さの基準」であるかのような会話が、食卓を飛び交っているのである。ちょっと待て!、「そうじゃあないだろう!」、とオジサンは突っ込みたくなるのだ。「肉」は柔らかけりゃ何でも良いってもんじゃ無い。「味」はどうしたんだ、味は?、と私は問いたい。勿論、「魚」でも「野菜」でもそれぞれの味がちゃんとある筈だ。その一番大切な味について表現しなくて、何が「柔らかい〜」なのか、片腹痛いわ!である(ちょっと言い過ぎたか)。とにかく、柔らかいとかサクサクとか言うのは「触覚」だ、味覚ではない。指でつまんで「柔らかい〜」と言うのと同じだ(我ながら上手い比喩である)。・・・まあこれらは大きく言って、「目の前の食べ物を色んな角度から表現している」のだと理解しよう。しかし「どんな味?」と聞かれて「柔わらかい〜っ」というのはなんだかなぁ〜・・・、表現力が無さすぎるんじゃ無いの?。
ひとまず文句は引っ込めておこう。さて味覚について堅苦しいことを言えば、「甘味・酸味・塩味・苦味・旨味」が生理学的には基本味とされているそうだ。かっては辛味や渋味や脂身味などがあったが、これらは味覚からは除外されて、今では5つに絞られたようである。だが人間の「味」の感覚は、例えばレモンの酸味とライムの酸味は「実は全く同じ」だそうで、味覚以外の「見た目や歯触りや油っぽさ」を加えて、総合的に判断しているのだと言う。それを「風味」と言ったりするというから奥深い。
振り返ってみれば身の回りの自然の中には、草花や生き物の匂いがびっくりするほどの勢いで溢れている(筈である)。これを楽しまないでどうするのだろう。私と似たような年齢の方は特に、残り少ない人生を無駄に過ごさないためにも、地球の育む豊穣な匂いと味の世界を「再度」探検してみようではないか!。都会に移り住んでからというもの、田舎のワイルドな生活をすっかり忘れてしまった我々には、子供の頃の自然に慣れ親しんだ生活が懐かしくなる年でもある。いや待て、嗅覚や味覚だけではない。ここは視覚や聴覚や触覚も、全部合わせて楽しもう。秋の紅葉や虫の囁き、冬の雪景色に渡り鳥、春の草花の匂いと霞立つ野原、夏の川原のせせらぎと星空・・・。研ぎ澄ました感覚で接すれば、「この世は限りない美しさ」に満ちているのだ!(何を今更!)。神経のセンサーを最高度に働かせて、対象をとことん見つめ、目をつぶって耳を働かせ、匂いを嗅いで命を感じ取り、これでもかっていうくらい咀嚼して味の世界に浸る。そう、五感を極めて「地球を味わい尽くす」のだ!(随分大きく出たな?)。
以上、私の「生き方大改造計画」を語ってみました。というわけで、明日からは生まれ変わって五感を研ぎ澄ますことにして、取り敢えず今夜は、セブンイレブンの「鬼ころし」をサックリ飲むことにします(何か嫌な予感・・)。安物だろうが何だろうが、私の味の探求には貴賤は無い、とか何とか言ってるが果たして変われるんだろうか?。・・・何か最近、自虐ネタが増えてきたなと思う。
2、富岳がまた世界一だっていうけど
トヨタが世界一の自動車メーカーだったのは過去の話。今や世界のトレンドは、すっかり「電気自動車」に移っている。交通手段の主力がガソリンや軽油を燃やす内燃機関から「電気モーター」に取って代わると、車の製造コストが「5分の1」になるという。その時点でガソリン車は「クラシックカー」扱いになってしまうだろう。というか、ガソリンで動く車は、電気自動車から見れば「馬車みたいなもん」なのだ。良い所が何もない。これがモノづくりの国「日本の現実」である。日本は一時は、その持ち前の「マニアックなしつこさと技術力」で世界の製品市場を席巻した。日本はそれに安住して、同じカテゴリーの製品群を「どこまでも極める」方向に邁進する。そして世界は日本に独占された市場を奪還すべく、日本の提唱する「ハイブリッド」を飛び越えて、全く別の製品で市場を塗り替えようとしている。それが「電気自動車」である!。その電気自動車が、もう日本の生産技術では追いつけないところまで進化しているというのだ。勿論、日本も開発はしている。だが日本では、電気自動車は日本人には広く受け入れられなかった。モーターとか回路の技術の話ではない。国内で流行らなかった結果として、車を生産する「コストを下げる技術」が立ち遅れているというのだ。既に世界一の時代は終わった。今や、日本の企業で世界のTOP100企業ランキングに入っているのは「たった3社」しかない。今年は21位中外製薬、48位キーエンス、68位第一三共だけである。ところがその電気自動車も、その次の「水素自動車」が実用化に向けてすぐそこまで製品開発を加速しているというのだ。バス業界では、もう実用になって走っている国があるという。もう世の中は、「水素という未来」に向かって変わろうとしているのだ(いわゆる SDG's だ)。日本はこの流れについていけるのか?
ということで、富岳が世界一を取ったとか「お祭り騒ぎ」で浮かれている場合じゃないと思う。それにもう、コンピュータは「量子コンピュータ」の時代だし・・・。ホント日本よ、目を覚ましてくれ!、そうじゃ無いと、又しても世界から取り残されてしまうぞ!。これ、コロナ云々言っている場合では無い「大問題」である。
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