直前予想は駒沢の3冠連覇で盛り上がっていたし、一部のマニアの間では古豪(王者とも言う)中大の100回記念大会での復活優勝というのも囁かれていた(これはあくまで噂です)。ところがスタート直後の1区こそ順調に見えた駒沢だったが、2区で追いつかれて3区で逆転され、そのまま最後まで見せ場を作れずに青山に優勝を持って行かれたのは残念である。まあ青山は区間賞だの区間新だのを連発する快進撃を見せて、他を寄せ付けない横綱相撲をした上での「ブッチギリの1位」だから優勝もある意味当然だろう。駒沢も良い走りをしていたが如何せん、青山が異次元のパフォーマンスを見せての優勝だったから納得するしかない。それほど青山は強かった。
それに比べて不甲斐ないのは中大である。1区で先頭に飛び出して「おおっ」と思わせたが観客を沸かせたのはそこまでで、中盤で失速、あっさり駒沢に抜かれて集団から脱落した。これで頼みの2区吉井大和に「ごぼう抜きのチャーンス!」がやって来て、1区の不調は「わざと」かと思わせたが色めきたったテレビの前の視聴者が面白いと思ったのは途中まで。去年の勢いは全くなくて、ごぼう抜きどころか4、5人抜いてその後は馬群に埋もれていった。私の正直な感想は「何だよ、どうしちゃったの?」という不満だった。去年はトップを独走して2区に襷を渡し、晴れ晴れとした笑顔で注目を浴びて「輝きの頂点」の真っ只中にいた吉井だが、いったい彼に何が起こったのか。最初は原因が分からなくて戸惑ったのである。
その後の展開は皆さんご存知の通りだ。まるでいいとこ無しである。往路は駄目、復路もシード権争いが中心で、「あっと驚く逆転劇」はどこにもないという「ズル剥け後退」のだらしない試合だった。中大が6連覇した頃の「絶対王者の意地」とか、中大イズムの象徴である「不屈の闘志」はどうしたんだ?と言っているような視聴者は、もうどこにも存在していないである。またしても定位置に戻って予選会からのやり直しだ。まあこれが中大の今の実力なんだろう、来年に期待しましょう!来年に!
と言う訳で、今年の箱根は青山の一人旅で終わった。文句なしである。早々とチャンネルを変えて駅伝中継を他局のバラエティ番組に切り変えた私は、それからずっと青山の強さについて考えていた(負けを引きずっていたとも言える)。青山は勝つべくして勝ったのか、それとも箱根に潜むという「駅伝の魔物」の仕業なのか。それを考えながら来年の中央大学の奇跡の優勝の可能性を探ってみたかったのである。
では改めて、何故青山は勝てたのか?
ここでネットに上がっている有名ランナーや解説者の意見、または陸上専門家や箱根OBや駅伝スペシャリスト達の説明、それに各大学監督の考え方など、あらゆる情報を片っ端から読んでみた・・・と言うのは真っ赤な嘘で、青山の「原監督の書いた本」をネットで見つけてごくごくお手軽にサワリをサラッと眺め、「どうやって弱小チームを常勝軍団まで育て上げたのか」の秘密を「抜粋」した短い文章を、飛ばし飛ばし読んで見たに過ぎない。何事も時短が大事だ(今風にはタイパと言うらしい)。
私は今までは早い話、選手の総合タイムの「速いほうが勝つ」だろうと単純に考えていた。私はゴルフしかやらないのでゴルフに当てはめて考えてしまうのだが、まず言えることは技術だけじゃ勝てなくて「メンタルの強さ」が勝負を分ける大事なポイントだ、という位しか思い当たらない。出雲と全日本を駒沢に取られた青山だったが「箱根は別」と言い切っていた原監督である。そのチーム育成方法は人間関係重視のやり方だった(余り科学的では無いと思うが)。何故タイムを持っている選手ではなく人柄が良い選手をスカウトして、結果コツコツとチームを強くして最強軍団を作り上げるることが出来たのか。
私が考える青学箱根優勝の秘訣は、大学生は「まだまだ発展途上だ」という事である。高校時代からずば抜けて素質のある速い選手は全国に大勢いる。だが大学での育て方一つで大きく伸びる選手もいれば、それ程伸びずに平均的なスコアで終わる者もいるという事だ。高校生でのタイム差は最終的な力の差では無い。原監督は「その辺の事情」を言っていると思った。人間は周りの雰囲気で、練習にも試合にも体づくりにさえも取り組む姿勢が「全然違って」来る。選手の未知の能力を引き出して、全国区の駅伝という場で乾坤一擲の勝負を挑む。特に箱根はアップダウンが激しく、しかも一人が20kmという長丁場を走る難しいコースだ。この難コースを「一発勝負」で優勝を狙うのだから、博打好きの監督業は面白くて辞められない筈である。原監督も「してやったり」の満面の笑みを見せて、監督冥利に尽きる2024年スタートになったのではないだろうか。
まあ、そうは言っても選手の能力には限界があるわけで、最終的には周りが出来ることと言ったら「体調管理とメンタルケア」ぐらいしかないだろう。実況では中央大学がチーム全体で「体調管理を失敗」してた、と伝えていた。今更何を言っても始まらないが、負けるチームというのは「こんなもん」である。責任問題に発展しなけれ良いのだが、どうかな。まあそんなこんなで色々と理由はあるだろうが、私は「大学のイメージ」にも青学が勝つ要因の一つがある、と思っている。
だって青学って最近、グングンと大学のグレードが上がっているじゃあないですか。
青山学院は颯爽としてスタイリッシュで、知的で洗練されたグローバルな若者がキャリアを積み、未来に羽ばたく日本経済のトップランナーを目指す、ってイメージが定着しつつあるという感じである(ちょっと褒めすぎだろう!)。そして何より「おしゃれ」である。それに対して2位以下の駒沢・城西・東洋・國學院・法政・早稲田・創価・帝京・大東文化の各校は押し並べて、大学全体としての評価を含めて「メディアに出て来る」ようなキレッキレのイケメンの印象は、残念ながら「全く」感じられ無い(むしろお笑い系?)。
早稲田・法政はバンカラで泥臭くて根性第一主義の昭和だし、創価は日蓮正宗で宗教漬けだろう。そして帝京がサッカー、國學院がラグビーと、イメージは何となく「頭は悪いがスポーツで頑張る」という、どっちかと言えば「まあまあ普通の、その辺のボンクラ大学」である(あくまでイメージです、イメージって意味分かってますよね?)。10位以下に目を向けても日大は目下問題噴出中で箱根どころじゃ無いし、去年上位に入って期待されてた順天堂は「17位」と全く良い所がなかった。明治・神奈川・東農大も下位に甘んじたが、なんと言っても「箱根で活躍するだけが唯一の取り柄」だった山梨学院が、23位と最下位だったのは「まさに象徴的」である。
もはや駅伝で名を売っても選手が集まらなくなって来たのである。
私は去年は、今回の箱根は母校「中央」が優勝してマスコミを盛り上げるんだろうなぁ、と漠然と期待していた。だが時代は思っているより急激に変化しているようである。それは箱根と言えども「ただ走るだけでは選手はついてこない」という人間心理にあった。
今は駅伝ランナーでも「自分のキャリアを考えて」学校を選ぶ。勿論長距離でオリンピックを目指すような世界レベルの選手は別だろうが、箱根で10人の選ばれたメンバーに入れなかった「その他大勢の選手」の最大関心事は、箱根に出られるかどうかではなくて「大学生としてどれだけカッコいいか」じゃないだろうか。
青山の最終ランナーは大手町のゴールでテープを切る時に「投げキッス」をして走り抜けた。さすがに私には「違和感あり過ぎ」のシーンだったと告白する。だが、東京という一極集中の超巨大都会で高層ビル群が建ち並ぶ渋谷を控え、全国民の憧れの的である表参道を目の前にした一等地で、しかも都会センス溢れるオシャレな青山という場所に大学キャンパスを構えるという「夢のような学生生活」を無条件に満喫している連中が「さも、やりそうな事」である(悔しいィ〜ッ!)。例えて言うならば、現代日本の勝ち組の象徴が「泥臭く根性を求められる」箱根でも同じように勝ちを収めたって訳である。文武両道、実に爽やかで憎たらしい話じゃ無いですか。
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中央は頑張って来年優勝をもぎ取ることは何とか出来るかもしれない。だが大学自身の「ネームバリュー」の差は、八王子の田舎と最先端のリッチでノーブルな青山との差「以上」の、逆転不可能なまでに隔絶した「絶望的な存在感の違い」があったのである。
ああ、中央よ、いったい箱根勝ったからと言って「何になる?」
これが2024年の箱根を見て私が到達した結論だった。これは酸っぱい葡萄の例えよりタチの悪い「母校への訣別、壮絶な悲鳴」である。まあ、それ程には中大への愛着は無かった私だが、出身校を今更変えることは出来ないから来年頑張ってもらうしか方法がない。中大よ、何がなんでも勝ってくれ!
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勿論来年勝ったときには違う結論になっているだろうとは思うけどね。当然だ。今年の反省だってすっかり忘れて、当ブログも「喜びの報告」に沸き立っているに違いない(そうであってほしい!)。実は、大学のイメージなんてそれ程関心がある訳でもなくて、ある意味「どうでもいい」のである。原監督の「育てる力」だって、それ程大したものでは無いと思えてきた。たかが駅伝、たかが「学生の走りっこ」じゃないですか。今年の青山は強かったね、でこの話題は終わりにしよう。何だか駅伝で盛り上がってた自分が、遠い過去の出来事のように思えて来た。こうなりゃ次行こ、次!。これは、世の中にはもっと大事なことがいっぱいあるよ、って話である。
で、・・・駅伝って何だっけ?
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