アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第6章 社会主義と未来との衝突

2011年11月04日 00時03分37秒 | 第三の波の政治
さて、「第三の波の政治」へ立ち戻って「第六章 社会主義と未来との衝突」からスタートします。
昨日の新聞紙面で「2011年度版贈賄指数」がNGOトランスペアレンシー・インターナショナルから
発表されました。これは、世界主要28ヵ国・地域の企業が海外進出などの際、相手国の政府高官らにど
れだけ賄賂を支払っているかを数値化したものです。
清潔度第一位はオランダ、スイス、第三位ベルギー、第四位日本と続きますが、注目に値する最下位、
要するに悪徳賄賂国家はアメリカ(自由主義*帝国主義?)ではなく、二十七位が中華人民共和国、
最下位がロシア(旧ソビエト連邦共和国)でした。これはどうしてか?科学的社会主義の理念に照らし
て、古典教室で質問したいところですが、トフラー流に言えば「19世紀の理論にしがみついた老人
に引きづられた」倫理性皆無の知識が国内に蔓延していたからだと言えるのかもしれません。
コグニタリアート(意識労働者階級)万歳!!ロウブラウ古典教室のプロレタリアート崩壊!!と
叫ばれる時代となったようです。さて、社会主義とは何だったのか?第四章~第五章を復習した上で
第六章を読んでください。前著の「パワーシフト」を再度、参照されることもお勧めします。

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第6章  社会主義と未来との衝突 

東ヨーロッパにおける国家社会主義の劇的な消滅、およびブカレストからバクー、それからさらに北京へかけての血塗られた苦しみは、偶然に起こったものではない。社会主義が未来と衝突したためである。
社会主義体制が崩壊したのは、CIAの陰謀や、資本主義による囲い込み、つまり経済的締め付けのせいではない。東ヨーロッパの共産主義政権は、モスクワがもはや彼ら国民を守るために軍隊を使わないというメッセージを送ったとたん、ドミノ倒しのように崩壊したのである。システムとしての社会主義の危機は、ソ連でも、中国でも、その他の国でもきわめて深いところに根ざしていたのだ。
十五世紀半ばにグーテンベルグの発明した活版印刷が知識を普及させ、その結果プロテスタントの宗教改革に火をつけたのと同じように、二十世紀半ばに現われたコンピュータと新しいコミュニケーション・メディアが、ソ連の支配下、強権下にある諸国に対するモスクワの精神的束縛を打ち砕いたのである。
頭脳労働者は“非生産的”だとしてマルクス経済学者から(または古典派経済学者の多くも同じだが)否応なしに排斥された。ところが、この非生産的とみられた人たちこそ、1950年代半ば以降、西側経済の目をみはる活性化に、おそらく誰よりも深く貢献したのである。
今日、彼らに着せられた濡れ衣的“矛盾”はいぜん晴れないままとはいえ、ハイテク資本主義諸国は世界の他の国々を経済的に遥かに引き離した。マルクスのいう未来へ向けての“質的飛躍”を可能にしたのは、煙突型産業の社会主義ではなくて、コンピュータを基盤とした資本主義であった。先進資本主義国で本当の革命がひろがりつつあるのに引き換え、社会主義諸国は十九世紀の理論がしみついた老人たちに導かれ、身動きならない反動ブロックに事実上、閉じ込められてしまっていた。その歴史的事実をはじめて認めたソ連の指導者が、ミハイル・ゴルバチョフだった。
富創出の新しいシステムがアメリカに現われてからおよそ三十年後の1989年のスピーチで、ゴルバチョフは「情報科学の時代には、知識こそもっとも貴重な資産であるが、わが国はいちばん遅れてそれに気づいた国の一つである」と語った。
マルクスは革命の起こる時期について、みずから古典的な定義を下している。
“生産の社会的関係”(所有権と管理権のあり方を意味する)が“生産手段”(大まかにいえば技術)のさらなる発展を阻害しようとするときに、革命は起こるというのが彼の考えだった。
 この考え方は社会主義世界の危機を、見事に説明してくれる。封建主義の“社会的関係”がかつて工業の発展を阻害したように、今度は社会主義者の“社会的関係”がコンピュータやもコミュニケーション、そしてさらに情報公開を基盤にした新しい富の創出システムを利用するのを邪魔したのである。事実、二十世紀における偉大な国家社会主義の実験が挫折した主要な原因は、知識についての時代おくれの考え方にあったといえる。

前時代的マシン
わずかな例外を除けば、国家社会主義は、豊かさや自由、平等をもたらすことはなかった。それによってもたらされたのは、一党政治システム、巨大な官僚主義、圧制的秘密警察、政府によるマスコミ管理、秘密主義、そして知的・芸術的自由の抑圧だった。
 体制を維持するのに必要との理由で流された血の海も大問題だが、それはさて措いて、そのシステムをじっくり観察すると、すでに挙げた要素のどれもが、人民を組織する方法としてだけでなく(より深いところで)知識を系統立てそれを操作・管理するためのものであることがはっきりしてくる。
 一党独裁政治システムは、政治的なコミュニケーションを徹底管理する。他の政党が存在しないため、社会を流れる政治的情報は多様化を阻まれ、フィードバックがせき止められる結果、権力の座にある者たちは問題の複雑さが十分に把握できなくなる。ごく限定された情報のみが許された回路を通じて上にあげられ、命令が一方的に下におりてくるため、システム自身が間違いを見つけ、それをただすのがきわめて困難になるのだ。
 事実、社会主義国のトップダウン式の管理は、次第に、虚偽や誤った情報に基づいて行なわれるようになっていった。悪いニュースを上にあげるのがしばしば危険をともなったからである。一党システムの採用は、とりわけ知識の選択にかかわる問題なのだ。
 社会主義は人間の全生活面にわたって圧倒的な官僚主義を作り上げたが、その官僚主義はまた、知識を制限する装置であり、非公式のコミュニケーションや組織を非合法化する一方、知識をあらかじめ決めておいた間仕切りや整理棚に押し込め、コミュニケーションを“公式”のルートのみに制限した。
秘密警察機構、マスコミの国家管理、知識人への威嚇、芸術的自由の抑圧などはすべて、情報の流れをよりいっそう管理し制限しようとする意図の表れにほかならない。
 実際、こうした政策の背後には、知識についての一つの古い前提、すなわち、党であれ、国家であれ、人びとが何を知るべきかを判断するのは、指導者の務めだ、という傲慢な考えが隠されている。
国家社会主義を取り入れたすべての国家が共有する、以上のような特徴は、経済面でも愚かしい動きを必然的に引き起こすことになった。ところで、この特徴は、サイバネティック・マシンが出現する前の機械概念(社会および生活そのものにも適用された)に由来するものである。十九世紀のマルクスの周囲にあった第二の波型の機械は、そのほとんどがフィードバックなしで稼動するものだった。動力用のスイッチが入れられ、機械が動き出すと外界で何が起ころうと無関係に稼動しつづけたものだ。
それに引き替え、第三の波型の機械は知的である。外界の情報を吸収し、変化を調べ、機械の稼動を変化に合わせて変えていくセンサーを備えている。要するに、自己調整が可能なのである。この技術的な差は、革命的だ。
マルクス主義者は、第二の波の過去にこだわりつづけた。そのことは彼らの言葉からも窺える。マルクス主義者にとっては、階級闘争こそが、歴史の“牽引車”だった。第一に果たすべきことは、“国家という機械”を奪取することであり、そうすれば、それ自身が機械に似た仕組みをもつ社会は、豊かさと自由を生み出すようにあらかじめセットできるはずだ、と彼らは考えていたのだ。レーニンは、1917年にロシアの実権を握るとすぐに、最高の機械技師になったのである。
傑出した知性の持ち主であったレーニンはアイデアの重要性を理解していた。しかし、その彼でも表象生産、すなわち精神そのものさえプログラム化できると考えた。マルクスが自由について書いたのに対して、レーニンは権力を握ると、知識を操作しようと企てた。かくして彼は、芸術、文化、科学、ジャーナリズムなど、すべての表象活動は、原則として、社会のマスタープランに奉仕すべきだと主張した。やがて、あらゆる種類の学習の場は系統的に整理されて、不動の官僚的部局と等級をもつ“アカデミー”に組織され、党と国の管理に従うことになった。また、“文化的労働者”は文化省の管理する機関に雇われることになったし、出版と放送は国の専管事業となった。知識は事実上、国家機関の一部になったのである。
知識へのこうした頑迷なアプローチは、後進段階にある煙突型産業経済下にあってさえ、経済の発展を阻害したのである。したがってコンピュータ時代の経済的発展に必要な諸原則に対しては、真っ向からぶつかることになる。

所有権パラドックス
 いま世界に広がりつつある第三の波型の富創出システムのほうも、社会主義が信奉する三つの柱に戦いを挑んでいる。所有権の問題を取り上げてみよう。
社会主義者は当初から、貧困、不況、失業など産業主義のもたらす悪を、生産手段の私有に起因するものと考えていた。こうした病根を除去する道は、労働者が工場を所有することだった。もちろん、国や集団の手を通してである。
これさえ達成できれば、事態は変わるはずだった。競争という無駄はなくなる。完全に合理的な計画が実施される。生産は利潤のためではなく、必要に応じたものになる。経済を前進させるために、知的投資が行なわれる。人間すべてが豊かになるという夢が、歴史上はじめて叶えられるはずであった。
十九世紀当時にあっては、公式化されたこれらのアイデアは、時代の先端をゆく科学的知識を反映するものと見なされた。事実、マルクス主義者たちは、幻想的なユートピア主義を超え、真の“科学的社会主義”の到来を公言した。ユートピア主義者は原始共産制の村々を夢みていたかもしれない。しかし、科学的社会主義者たちは、発展しつつある煙突型産業経済のもとでは、そのような考えは現実的ではないと知っていた。例えば、フーリエのようなユートピア主義者が、目を過去の農業時代に向けていたのに対して、科学的社会主義者たちの目は、当時考えられた産業化時代の未来に向けられていたのである。
かくして、その後、集団制、労働者経営、コミューンなどの社会制度上の実験が重ねられたのだが、結局は国家所有が社会主義世界における支配的な所有形態になっていった。その結果、どこの国でも、労働者ではなくて国家が社会主義革命の第一の受益者となったのだった。
日常生活での物質的条件を急速に改善するという公約の実現に、社会主義は失敗した。革命後のソ連で生活水準が下がったときには、多少はそのとおりであったが、第一次世界大戦の影響と反革命のせいにされ、その後は、資本主義の包囲が口実となった。さらにその後は、第二次世界大戦のせいだとされた。だが、大戦後四十年経っても、なおモスクワではコーヒーやオレンジのような基礎的食品が不足していたのである。
社会主義国の数はいちじるしく減ってはいるものの、それでもなお産業・金融の国有化を呼びかける声が、世界に散らばる伝統的社会主義者のなかから聞こえてくる。ブラジルやペルーから南アフリカへかけて、さらに西側の産業化された国々のなかにさえも、歴史的証拠が示されているにもかかわらず、共産主義の盲信者というのが残っていて“公的所有”が“進歩的”であると考え、経済上の非国有化、民主化に抗いつづけている。
今日、世界経済はますます自由化され、巨大な多国籍企業を無条件に喜ばせながら拡大しているが、経済自体は不安定で、自由化が必ずしも貧困層に自動的に利益を“もたらす”ようになっていないのも事実である。それにしても国有事業が従業員を酷使し、大気を汚染させ、少なくとも私企業と同程度に巧みに公衆を利用していることは、実例に照らして論争の余地はない。国有事業の多くは、非効率そのものであり、腐敗と欲の汚水だめのようになっている。そして、事業運営の欠陥のせいで、しばしば巨大な闇市が人を多く集めて繁栄し、国の存在そのものをおびやかしているのである。 
しかし、なかでも最悪で、もっとも皮肉なのは、技術開発の分野で先端をゆくという約束にもかかわらず、国有事業がほとんど例外なく、いち様に反動的になっているのだ。もっとも官僚的で、組織や機能の再編にもっとも緩慢で、消費者のニーズの変化への適応にもっとも気乗りせず、市民への情報提供をもっとも恐れ、もっとも遅れて先進技術を取り入れるといった具合なのである。
一世紀以上ものあいだ、社会主義者と資本主義擁護者とのあいだでは、公共所有と私的所有をめぐって激しい論争がつづいた。多くの人びとがこの問題で文字通り、命を賭けさえした。この戦いが、新しい富創出システムの出現により、完全に時代遅れになろうとは、どちらの側も想像しなかっただろう。
 しかし、まさにそうした事態が現実に生じたのである。いまやもっとも価値の高い所有形態は、無形のものとなった。それはスーパー・シンボリックなものとなったのである。知識が、それである。知識は多数の人たちが同時に利用できて、それによって富を創り出すことができ、知識そのものをふやすことさえできる。工場や土地と違い、知識はどう使おうと、使い減りしない。

左巻きネジはどれだけ必要か
 社会主義の理論的殿堂の二本目の柱は、計画経済である。市場の混沌に経済を委ねる代わりに、頭を絞って計画を練り、それを上から下へおろす計画経済は、資源を重要分野に集中でき、技術的発展を加速できるはずだった。
 しかし、知識に依存する計画経済は、そのじつ、早くも1920年代、オーストリア学派の経済学者、ルードヴィヒ・ミーゼスが指摘したように、知識に欠けていた。彼の言葉を借りれば、“計算の困難さ”であり、それが社会主義のアキレス腱であった。
 どんなサイズの靴が何足、イルクーツクの工場で造るべきか。左巻きネジはどれだけ造り、紙の品質はどれくらいにし、キャブレターとキュウリの価格差を、どうするか。何千何万種類の生産ラインの生産段階に、どれほどのルーブル、ズロチ、元を投資すべきか。
 熱心な社会主義者の計画経済担当者は何世代も、この知識上の難問に必死に取り組んだ。彼らはもっと多くのデータを要求し、もっと多くの虚偽の報告を手にした。彼らは官僚主義を強化した。競争市場から得られる需給の目安がないため、彼らは経済をマネーではなく、労働時間で計ろうとし、あるいは種類の多少で数えようとした。後になると、計量経済のモデルや投入量・産出量の分析を試みた。
 何をやっても駄目だった。情報がふえればふえるほど、問題は複雑化し、経済は混乱の度を加えた。そしてロシア革命からまるまる四分の三世紀たってソ連の国家シンボルはハンマーと鎌でなく、消費者の行列となってしまったのである。
 今日では、社会主義国と旧社会主義国のすべてで、市場経済導入レースがはじまっている。方法はまちまちだし、職場を失った労働者に対する救済策も定まっていない。だが、それでも、いまや需給関係で価格を(少なくともある範囲内で)決めれば、中央計画経済では得られなかったもの(つまり経済が必要とし求めているものと、そうでないものとを示す価格指標)が手に入るということを、社会主義改革者たちはほぼ例外なく認識している。しかし、こうした価格指標の必要性をめぐる経済学者同士の議論のなかで見過ごされているのは、いったんこうした制度が導入されると、コミュニケーション・システムに根本的な変化が起こり、コミュニケーション・システムに変化が起こると大規模なパワーシフトがはじまるということである。計画経済と市場経済とのあいだのもっとも重要なちがいは、前者では情報が垂直に流れるのに対して、後者の市場では水平または斜めの情報の流れが多くなり、どの段階であれ買う者と売る者とがその情報を交換し合うことだ。
 この変化は、単に経済計画省および事業経営にあたるマネジメントを脅かすに留まらず、何百万という多数の一般官僚をも震え上がらせる。彼らの唯一の力の拠りどころは、中央への報告という情報管理にあるからだ。
 新しい富の創出法は、知識を多量に必要とし、情報とコミュニケーションもまた多量に必要とするから、計画経済では完全にお手上げなのである。スーパー・シンボリック経済の勃興は、かくて社会主義原理の第二の柱とも衝突する。

歴史の屑入れ
 社会主義で崩壊しつつある第三の柱は、ハードウェアに対する行き過ぎた強調、つまり、煙突型産業経済への完全なのめりこみと、農業および頭脳労働の蔑視である。
 1917年の革命後、ソ連は必要とする製鉄所、ダム、自動車製造工場などの建設資金が不足した。そこで指導者は経済学者、E・A・プレオブラゼンスキーが提唱した“社会主義的初期蓄積”という理論に飛びついた。この理論は、農民の生活からしぼりとれるだけしぼりとって、それで浮いたものを集めれば、必要資本は賄えるというものである。やがて、このカネで重工業を建設し、労働者を働かせることができるものだとした。
 中国が今日いうところのこうした“工業偏重”の結果、農業分野は社会主義国の大半で救いがたい状況に陥り、それはいまもつづいている。表現を変えれば、社会主義諸国は第一の波の犠牲のうえに第二の波の戦略を追求したのである。
 そのうえに社会主義者たちは、サービス関係とホワイトカラーの仕事も誹謗した。なぜならば社会主義のゴールはどこにあっても可及的速やかに工業化を果たすことであり、栄光を担うのは筋肉労働だったからである。このひろく行き渡った、筋力偏重の考え方は、消費より生産を、消費財より資本財をという極度の偏向と強く結びついた。
 マルクス主義者の主流は判で押したように、唯物論的見解をもちつづけた。アイデア、情報、芸術、文化、法律、理論など、頭脳の生み出す無形の産物は、いわば社会の経済的基盤の上に漂う“上部構造”の単なる一部に過ぎないとされた。両者の間にはある種のフィードバックがあることは認めながらも、上部構造を決めるのは基盤のほうであって、その逆ではなかった。この見解に異議を差し挟むものは“観念論者”とのレッテルを貼られたが、このレッテルを貼られることは時にきわめて大きな危険を意味した。
 ただし、社会は機械でもなく、コンピュータでもないから、簡単にハードウェアとソフトウェアとか、下部構造と上部構造というように区分けするわけにはいかない。社会をよりよく例えてみるなら、それは多数の要素がきわめて複雑に絡み合い、つねに変化しつつあるフィードバックグループだといえよう。その複雑性が増すにつれ、知識は、社会が経済的にも生態学的にも生き残るために、ますます欠かせない要素となってくる。
 要するに世界の社会主義は、無数の原材料が主要な要素となる第三の波型の経済の出現に、為す術を知らずというのが実態である。社会主義にとって、未来との衝突は致命的なものだったのだ。
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この章は、前著「パワーシフト第31章 未来と社会主義との衝突」で著している部分を再度、加筆してまとめている。パワーシフト1991.10.18発行 P.588~P.601扶桑社刊
第31章 未来と社会主義との衝突(以下五項目)
破局点、前時代的人工頭脳、所有権パラドックス、左巻ネジはどれだけ必要か、歴史の屑入れ