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現役引退を発表

2024年01月09日 | 日記

磐田の元日本代表MF遠藤保仁(43)が9日、現役引退を発表した。今季よりG大阪のコーチに就任する。J1歴代最多の672試合、日本代表でも歴代最多の152試合出場と数々の記録を残した司令塔が、Jリーグひと筋で走り抜いた26年間の現役生活に別れを告げ、指導者として新たなスタートを切る。Jリーグで、そして日本代表で最も多くのピッチに立った遠藤が、引退を決めた。昨季はJ2磐田でプレーし、21試合に出場してJ1昇格に貢献。しかしシーズン終盤はベンチから外れ、10月7日・清水戦の途中出場が最後だった。昨年12月には指導者のC級ライセンス取得講習を受講。今季より古巣・G大阪でコーチに就任し、指導者としての道を歩み始める。23年は小野伸二、高原直泰と黄金世代の仲間達がユニホームを脱いだ。そんな黄金世代の中でも、特別な輝きを放ってきたのが遠藤だった。1998年に鹿児島実高から横浜フリューゲルスに入団し、プロ1年目からレギュラーに。フリューゲルス消滅に伴い、99年には京都、そして2001年にはG大阪へ移籍して大きな飛躍を迎えた。G大阪で西野朗監督の下、超攻撃的サッカーをけん引する司令塔として活躍。05年にはリーグ初優勝、08年にはACL優勝と計9つすべてのタイトル獲得に貢献。Jリーグを代表する司令塔として君臨した。年代別代表を経て、日本代表にも02年にデビュー。当初は中村、小野ら欧州組の陰に隠れる存在で、06年ドイツW杯はフィールドプレーヤーで唯一の出場なしに終わった。しかし年を重ねるごとに存在感を増し、レギュラーとして出場した10年南アフリカW杯ではデンマーク戦で直接FKを決めるなど、ベスト16進出に貢献。14年ブラジルW杯も含め、計3度のW杯出場を果たした。欧州で活躍した同世代が代表を去った後もチームに欠かせない存在であり続け、歴代最多の152試合に出場した。正確な技術、視野の広さ、パスセンスを生かして試合をコントロールするスタイルで、多くのチームメート、監督から信頼を得てきた。決して身体能力に恵まれてはいないが、駆け引きに優れ、相手GKの動きを最後まで見極めてから蹴る“コロコロPK”は代名詞のひとつだった。09年にはアジア最優秀選手、14年にはJリーグ最優秀選手と数々の個人タイトルにも輝いた。しかしそれ以上に、チームメートの力を引き出し、自らも輝き続けるプレーが多くの仲間たち、そしてファンも引きつけた。日本サッカーを支えた希代の司令塔が、現役生活に別れを告げた。◇遠藤 保仁(えんどう・やすひと)1980年1月28日、鹿児島県生まれ。43歳。3兄弟の三男としてサッカーを始める。鹿児島実高を経て98年に横浜F入団。京都を経て2001年からG大阪。05年リーグ初優勝、08年ACL初優勝、14年3冠など数々のタイトル獲得に貢献。09年アジア年間最優秀選手賞。14年Jリーグ最優秀選手賞。ベストイレブン12回は歴代最多。日本代表として3度のW杯に出場し、国際Aマッチ出場152試合は歴代最多。20年10月に磐田へ期限付き移籍し、22年に完全移籍。178センチ、75キロ。家族は妻と4子。愛称はヤット。※引用しました!



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