ちびまる子ちゃんで、お馴染みの?巴(ともえ)川で、幾度かの中断を経ながら、
250年余の長きに渡り行われております“灯ろう流し”に行って来ました。
私事でありますが、清水区(旧清水市)は私の生まれ故郷であります、
幼い頃の記憶の中に、この灯ろう流しの淡い光は焼き付いています。
4箇所ある巴川灯ろう流し場所で、一番上流の稚児橋(ちごはし)へと向かいます、
しかし、日頃の行いが良過ぎたせいか、パラパラと雨が落ちて来ました、
雨宿りをしておりますと、「あ~今日は中止中止」と言いながら歩いて来られるオジサン一名、
「えぇ~中止だって言ってましたよ」と同行者その1、「大丈夫だよ、風とか何かの加減で、
流れない時があるんだよ、更には流れるの待ってたのにパラパラ来ちゃったから、
ヤケクソでボヤキが出ちゃったんだよ」。
稚児橋の一本下流の橋、柳橋までやって来ました、夜店が出て賑やかです。
柳橋から上流を見ますと、案の定、流し場所付近に灯ろうが溜まって流れていない、
「ダメですねぇ」と同行者その2、「風は強くない、雨も収まった、これなら流れる」と、
妙な自信の私であります。
PM8:00頃、それは静かに始まりました。
雨から守る為に主催者が、橋の下に入れていたのかも知れませんが、
私達が柳橋に着いて間も無く流れ始めました、揺らめきながら静かに流れて来ます。
周囲に流されている音楽が、雰囲気を壊さない素敵な選曲でありました、
ドビュッシーの月の光(clair de lune)が流れた時に、無防備だった為、足元に涙が
何粒も落ちるほど瞬間にマジ泣きしてしまい、周囲を心配させたりしてしまった。
Debbusy "clair de lune"
珍道中を繰り広げながら?稚児橋(ちごはし)に到着しました、
稚児橋は巴川の橋の中でも好きな一本です、親柱には愛らしいカッパの像が四体居ます。
慶長12年(西暦1607)徳川家康の命により、東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、
江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日とはなった。
さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた老夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、
川の中から一人の童子が現れたとみるや、するすると橋脚を登り、忽然と入江方面へ消え去った。
渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、
このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けられたといわれている。
なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。
丁寧に灯ろうが人の手で流されて行く。
流し場所の近くには、灯ろうの販売所も有って¥500で誰でも買って流す事が出来ます、
御宗旨に障らなければ、来年は如何でしょうか?(´ー`)ノ