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御殿山公園に原六郎の坐像がある。尊皇攘夷の志士進藤俊三郎。1863年(文久3年)10月生野挙兵に参画して敗れ、京都に潜入し、鳥取藩邸の庇護を受け、以来原六郎を名乗る。
高杉晋作と出会い長州に走って遊撃隊に入り、第二次幕長征討の際は幕府軍と戦い、戊辰戦争では山国隊を率い、1969年(明治2年)親兵第二中隊司令官、3年陸軍大尉となる。
明治4年渡米してエール大学で経済学を学び、さらに8年渡英してキングス・カレッジで銀行論を学び1978年(明治11年)帰国。
帰国後、第百国立銀行・東京貯蓄銀行を設立。1883年(明治16年)には第3代横浜正金銀行各頭取に就任。この他日本、台湾勧業興業各銀行の創立委員、富士製紙・横浜船渠各会社長、山陽・北越両鉄道、東洋汽船、帝国ホテル、汽車製造、猪苗代水田などの各重役を歴任。往時は渋沢栄一・安田善次郎・大倉喜八郎・古河市兵衛とともに五人男と並び称される。