読売新聞小出重幸氏から角田和男著「修羅の翼」を紹介される
「慰安婦と士官教育」の節で、体験者の実態談に目をひかれた
(1)ラバウルの下士官兵用慰安婦は北朝鮮出身者が多かった (邦人慰安婦は将校用)
(2)初めは(郷里で)女子教育挺身隊として徴用された
(3)横浜で内地軍事工場行きか前線の慰安部隊行きか選ばされた
(4)前線に向かう途中で慰安婦の仕事を説明され驚いた
(5)天皇陛下のためと聞かされ大部分の者は諦めた
(6)婚約者がいるからと頑張って慰安婦にならない者も居た
(7)給与は十分、家には十円以上送金できず、使いきれなかった
(8)将来料理屋を開く資金に給与を貯めていた者が多かった
(9)戦死すれば特志看護婦として靖国神社に祀られると聞いていた
(10)空襲時に(直撃戦死希望で)防空壕に入らない慰安婦も居た
(11)軍人と一緒に死ねば妻として海軍葬にしてもらえると聞いた
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