(国の為に献身するのは軍人の本分である)
安重根:1909年10月26日ハルビン駅頭で初代韓国統監伊藤博文を狙撃(即死)。翌年3月16日旅順刑務所で処刑。
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三一独立宣言の記念日である。「歴史認識」について「日本人は知らなさ過ぎ、韓国人は一方的情報を知り過ぎ」という。いつの日か、日韓の国境を忘れて親しむ時が来るであろうか。
1998年秋、東アジアYMCA主催の環境会議参加のためソウルのYMCA会館に滞在した。一週間の会議を終えて辞去する折、見送りの人々の中から一人の女性スタッフが駆け寄って挨拶してくれた。「小学校以来、日本人は鬼だと教わってきた。生まれて初めて見る日本人として、あなたを一週間観察して来た。その結果、韓国の学校教育がウソであったことが分かった。韓国人の一人としてお詫びを言いたい」
韓国王妃(ミン妃)の虐殺を指揮した日本公使三浦梧楼や与謝野鉄幹(晶子の夫)を韓国の人々が憎んでいるように、日本人も伊藤博文を暗殺した安重根を憎んでいるだろうと韓国の人は思い込んでいる。事実は逆で、安重根は日本でも赤穂浪士なみに称賛され尊敬されていた。
看守の千葉十七は安重根の祖国愛に感動して精一杯の便宜を図り、処刑直前の揮毫「為國獻身軍人本分」を仏壇に供えて東洋平和を祈り続けた。また、旅順監獄の典獄(刑務所長)栗原貞吉は高等法院長や裁判長に助命嘆願をしたが果たせず、力不足を恥じて職を辞している。処刑の際には白絹の韓服を徹夜で妻子に仕立てさせ死に装束として差し入れたという。真実の敬愛は国境を越えるのである。
「あなたがたも互いにゆるし合いなさい」(エペソ書4:32)
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