♬ 私が中学生の時でした。「アンネの日記」を姉から、勧められて読んだのです。初めて戦争というものの悲惨さを、子供の立場で書かれた本ということで、私も夢中で読んだ覚えがあります。
しかし、この本を読み終えて、私が率直に感じたものは、なんだかよくわからないおかしなものでした。そのおかしなものがなんであったのかは、子どもですからうまく言えませんでした。とにかく、その事を姉に言いましたところ、「戦争の話だからでしょ。」と、当たり前のような顔をされました。
その後その本を読んだという友人にも、同じ話をしましたが、わかってもらえる人はいませんでした。
その読後のおかしさは、それまでたくさんの本を読んで来た私が、初めて感じたものでした。
そして、月日は流れて40年後に、私はその読後感のおかしな感覚を証明するものをついに見つけたのでした。
それは、もう皆さんもご存知かもしれませんが、あの本は本人の書いた部分に、他の人が付け足して、最後まで書いたものという事でした。しかもそれはアンネの父の依頼でというものでした。
私が読後感から、アンネの心を感じたのは最初の部分で、隠れ家にいた時の初期の部分でした。
アンネの心を感じないおかしな読後感は、やはり真実だったのです。
戦争に翻弄されて、彼女が書いてきたとされていましたが、実は他の人が彼女になりかわって、その戦争について書き、世界中から注目されて爆発的な売れ行きとなったのです。
この本が出版された経緯はいったいどこにあったのかは、私は知りません。しかしこの本がその後かなり利用されてきたとも、言えるのです。
私達は、直観というものを持っています。そしてこの私のように、うまく言えないが、確かに感じた。というものもあると思います。
気のせいと、簡単に片づけられないのです。
その直感について、忘れられない程のものは、とても大切なものであったと、今になって思うのです。
私の記憶の中には、この直観からくる忘れられない物が、結構あるからです。
ですから、私は身をもってこの直観の優れているところを、今現在感じているのです。
どうか、直観について流してしまう事のないように、あなたにとって何か知らせようとしているのかもしれないのです。
私達は日々忙しく暮らしていて、まともに自分と向き合う時間を煩わしいと思っていないでしょうか?
毎日浴槽に浸かって、私は子供の時から自分と向き合っており、また台風の風を受けながら、なぜかしらその風に負けない自分を感じてもいました。
すべての直観には意味があるのです。そして、その意味がその後すぐにわかるというものではないのです。真近のことなら、わかりやすいのですが、そうでないものもあるのです。
見つからないものを、探すときに、私は脳の前の方に意識を集中させて、「どうか見つけさせて。」と何度も必死で言います。そうすると、直観がきて見つける場所を教えてくれるのです。
思いがけないところから、鍵が出てきたときもありましたよ。笑
これから来る、新しい地球には私達が予想できない程の素敵な暮らしが待っているのです。
私達が宇宙からの助けなしで自分たちだけでは、これらはできません。
しかし、イベントの先に助けがあったとしても、それから先の長い道程を生きていく若者たちに、ぜひこの直観を感じて生きてほしいと、私は願っているのです。
私達は、直観という優れたサイキック(?)を持っているのですから。
その直感を感じるのは、あなたも同じなのです。
自分と向き合う時間を持ちましょう。テレビを消して、スマホから離れて。そうして自分と向き合う時間を、5分でもいいのです。作ってみてください。
私達は寂しがり屋です。ですから家にいれば、テレビを見なくてもつけていたり、スマホから離れられないのです。
自分と向き合うのは、ちっとも寂しくありませんよ。