https://youtu.be/h1bNCnC3hBM?t=187
♬吉幾三の「おら、東京さいぐだ」の歌依頼、ファンでした。
声といい、圧倒的なうまさは変わらないですね。
そして、雪国というイメージは歌の中では、悲しいイメージがありましたが、
この歌は愛の歌で、熱い心を感じる新しい歌詞だと思いました、
https://youtu.be/h1bNCnC3hBM?t=187
♬吉幾三の「おら、東京さいぐだ」の歌依頼、ファンでした。
声といい、圧倒的なうまさは変わらないですね。
そして、雪国というイメージは歌の中では、悲しいイメージがありましたが、
この歌は愛の歌で、熱い心を感じる新しい歌詞だと思いました、
春まだ遠しのころ。私は小学校6年生から高校3年まで、住んでいた街を尋ねました。
高校の同窓会があったからです。
ひとりで、駅を降りて、街の様変わりを見ました。もうあれから半世紀近く経つのですから。
どんなに変貌していても驚くことはありません。
駅前の様子も様変わりしていましたが、道はそのままです。
確かあそこに、キューちゃんの家があったけど、と思いましたが、そこはすでに駐車場に変わっていました。
お店も知っている名前のお店は、もう見当たりませんでした。
大きなマンションが建ち、その近くに新しいスーパーができ、買い物客は年配が多いようでした。
道は確かにそのままありました。うろ覚えの駅から住んでいた家までは、簡単でしたが、
もうその家はなくて、建売の住宅が並んでいました。
お向かいの2軒と、お隣の表札はそのままでした。
古くなっていたお向かいの家の庭の木に見覚えがありました。
それから、中学校を目指して歩きました。
中学校は歩いてすぐでしたが、すでに新しい校舎になり、もうそれもかなり経っているようでした。
覚えているのは、木立です。塀の中に並んでいる大きな木は、当時の様子を彷彿とさせました。
私が訪れたことを、この木だけが知っているような気がしました。
中学校を後にして、駅まで歩きながら、私は自分の気持ちがわからなくなっていました。
懐かしい気持ちは、もうすでにないのです。
変わっている様を見届けに来ただけのようで、そして知り合いと言うほどの人もすでになく。
遊んだなつかしい景色もなく、ただ、寂しい気持ちがさわさわと、心の中で風がふくような気持でした。
私の育ったところは、田舎です。そしてそこで多くの事を私は吸収してきたと、改めて感じていました。
しかし、田舎では、5年生で引っ越しをしたのですから、卒業アルバムの写真にも跡形もなく、
田舎の幼馴染ぐらいしか、友人と呼べる人はもういませんし、同窓生であっても、忘れられるのは仕方が
ないと思いました。
ふるさとって、なんだろう?と思います。
田舎では年の離れた妹夫婦が家を継いでいますから、つながりが消えたわけではありません。
そして、私が故郷と呼べるところは、田舎なのだと、この日に確認したのでした。
引っ越しをその後も繰り返して、わたしが意識したこともなかった故郷は、やはり田舎のあの田圃と畑、そして父と母と姉と暮らしていたあの頃の光景が、一番懐かしい光景でした。
でも、その故郷では、同窓生と呼べる人達はいないのです。
同窓生に会う喜びは、やはり、その後に住んだところなのです。
故郷が、二つあるように感じていたのですが、
場所としての故郷と、人脈としての故郷は、私にとっては故郷は2つに分かれていました。
「故郷は遠きにありて、おもうもの、なまり懐かし停車場に、そを聞きに行く」(石川啄木)
生まれて大きくなるまで、そこで育った人は、故郷は特別な思いがあるでしょう。
それは、歳を取ると妙に懐かしく、思うものなのです。
故郷の自然の光景が、そのままほぼ残っているという人は、少ないかもしれませんね。
私達が生まれて生きて、はぐくまれたその地が、故郷であり、それは心の中に深く残っているのです。