回転寿司の日記

日常の身辺雑記を紹介

志賀直哉②

2010-04-23 05:23:54 | 趣味
写真は直哉の書斎です。直哉は作家としてその作品数はどちらかと言うと寡作です。
持論として、「いいものを少しでもいいから残す。長い目で見たときそのほうが得だ」
との意味合いを阿川弘之に語っています。

そのせいか、立派な書斎を作っても、奈良時代殆ど彼はここで作品を残していません。
「暗夜行路」はここで完成となっていますが。
この屋敷も今の貨幣価値に換算すると、建築費・土地代で1億円近くかかっていると聞いたことがあります。では、そのお金はどこから工面したのか?
阿川弘之の「志賀直哉」によると、昭和初期に文学全集の刊行が盛んとなり、寡作といえども直哉には相当の印税が入ったと言われます。また資産家である父親の遺産もある程度寄与したのではないかと思います。

晴れた日は、窓から庭が見渡せ光が机に集中し、落ち着きのある佇まいです。

お寿司

2010-04-22 18:44:24 | 寿司
ブログのタイトルが「回転寿司の日記」なのに、ほとんど寿司に触れていないので
不審に思う人もいると思います。
たまには、寿司のことも触れます。

握り寿司では、やはり「光りもの」が好きです。中でも、秋から冬の季節の「寒サバ」の
握りは、絶品です。しかし、写真のように、光沢の出る、塩のあんばいと酢締めは
なかなか熟練のいる作業です。

寿司屋で、その職人の技量をはかるには、「こはだ」を注文してみるのが一番という
意見ももっとも思います。

ラーメン

2010-04-22 08:49:04 | 生活
昨日は、夕食に直江津のシャーレンまでラーメンを食べに行く。

自分だけの感想かもしれないが、どうも上越のラーメン店はどこも量が多い気がする。長岡もおいしいラーメン店が多く人にすすめられて食べにいったが、おいしんだけど、量的に今一つ物足りない感じがした。

昨日は麻婆麺の大盛を注文するが、はずみでビールも頼み、腹がいっぱいになりすぎ閉口した。しかし、満足感はある。

以前、飲食のコンサルタントの先生に、上越のラーメンの量について質問したけど、確かに全国的にみてもこの地区は量が多いと言っていた。
やはり、そうなのかな?
おしまい。

志賀直哉①

2010-04-22 07:14:00 | 趣味
昨年の5月、1泊2日で奈良に旅行に行ってきました。
目的は、志賀直哉が昭和4年から9年間住んだ住居を訪問することです。

志賀直哉の作品で読んだものは、新潮文庫から出ている「灰色の月・万暦赤絵」と
「小僧の神様・城の崎にて」の2冊だけです。いずれも短編集ですが、直哉の作品で
「暗夜行路」以外長編はあるのか、ちょっと不勉強ですが、この2冊は愛読しました。
昭和16年に発表した「早春の旅」では後半に新潟は赤倉でのスキー旅行が描かれています。
直江津駅もほんの一瞬ですが出てきます。

でも、この2冊の影響で奈良を訪れたわけでなく、直哉の弟子にあたる阿川弘之の
小説「志賀直哉」を読み、その中で描かれている奈良時代の直哉の様子が気に入り
旅行する気になりました。直哉も奈良時代を懐かしみ、東京へ移り住んでからも
たびたび奈良に遊びに行っています。
志賀直哉
阿川弘之

関西は好きです。東京は駅に着いた途端、田舎者のせいか緊張感と皆が足早に歩くさまに
ちょっと抵抗感があります。大阪、京都、奈良ではそのようなことは自分にはありません。

昨年の奈良旅行で電車の中で、女子高生の会話が面白く今でも記憶にあります。
A「ウチ、三ツ矢サイダー好きやねん」
B「炭酸やなー」
なんか、漫才のようでした。


ドラム教室

2010-04-21 06:10:49 | 生活
昨日は6時過ぎよりいつものとおり職場で働く。
この1週間なにも変化なく、淡々と日々過ごす。
20時よりドラム教室。
いつものおじさん、おばさんと一緒に練習する。
はずが……おばさんはご家庭の事情でお辞めになられた。残念です。

練習は「太陽に吠えろ」で使用するシェーク?のリズムパターンをライドシンバル、タム、など使い分けながら叩く。面白かった。

叩けばなんてことはないけど、譜面で叩き方の説明を受けると頭の中が????となる。一応出来ると、今度は右手、左手逆にして叩いてみてと言われやってみたが、右脳と左脳が逆になるようで、出来ません〓。今日から3連休。暇はあるが金は無し。3日間天候は雨模様の予想だ。
さて、何をしますかね。

おしまい。

中毒

2010-04-20 05:01:20 | 生活
日曜日はいつものとおり、朝7時から夜7時までの勤務。月曜日も定時出勤、定時退社。

先日、栗からmixiを紹介してもらう。登録して栗の日記など覗いてみる。

携帯は、定額制を導入してないので頻繁にサイトに接続すると、料金が…と思ったが、わかっちゃいるけど止められない。案の定、今日料金確認すると、あ~やっぱり普段の月の倍!。

あわてて、PCからの登録に変更しようとするが上手くいかない。

本来、本中毒の自分は、ここ10年はネット中毒だ。そこに文字さえあれば、なんでも見てしまう。
ご利用は計画的に良さそうですね。

さて、今日はドラム教室の日。さすがに「太陽に吠えろ」は飽きてきた。どうなりますか。

ナベプロ

2010-04-19 05:49:18 | 趣味
芸能プロとは、これまでの人生でまったく縁がないけれどこの本を読んで多少なりとも
関係があったことを2つほど。

ひとつは
ナベプロは芸能会社として、有楽町の三信ビルに事務所を構えた。
以前このブログでも書いたけど、自分は学生時代の一時期このビルに週末になるとアルバイトに通っていた。事務所は、地下にあったらしいけど、俺の頃は資材置き場になっていたな。かなり古臭いビルだったけど、一部大理石が使ってあり、昔はモダンな建物とうかがわせた。2階か3階に信越化学の事務所があったのを覚えている。
90年代に、本田美奈子が出たミュージカル「ミスサイゴン」を帝劇に見に行く途中
わざわざ三信ビルに寄ってから、行った。遠い昔の話です。

もうひとつは
ナベプロのタレントに「キャンデーズ」がいたけど、伊藤蘭について。
当時、雑誌「ぴあ」にギター募集の告知をしたら、沖縄出身の与儀さんという
日大芸術学部の学生が応募してきた。ある日、与儀さんの案内で江古田の日芸を訪問した。
ある教室に入り、与儀さんが机を指差し「ここ、蘭ちゃんが座っていた席」と教えてくれる。伊藤蘭はとっくに卒業してたけど、おもわず机を撫でた記憶がある。

沖縄の人は独特のリズム感があり、ヘビメタでも迫力が違う。俺の貧弱なドラムに業を煮やし、「どれ、代わりな」とドラムを叩くと、これがまた凄まじい。
「やっぱ、米軍キャンプのあるところは違うな」と鈴木と唖然とした。

話がそれたが、ナベプロは「キャンデーズ」がいた頃までが、勢いがあったけど
今は所属タレントといってもすぐ思い浮かぶ人がいませんね。

おしまい。

前門の虎、後門の狼

2010-04-18 05:15:20 | 生活
金曜日は、夜から家のものと花見に行く。雨と寒さで早々退散。それでも結構人がいるので驚く。

土曜日は、いつものとおり6時過ぎより職場。本日、hnhdの社長がくるという。朝から本部のバイヤー、エリアマネージャー等電話が多い。バイヤー急きょ、売場の陳列確認でくるという。色々指摘事項あると、売場の変更などで忙しくなるので緊張するが大過なく無事に終了。

さて、社長の臨店は結局来なかった。
代わりに、午前中臨店のバイヤーが午後再び現れ、少々あせる。機嫌良く帰って行ったので吉とする。

以後このバイヤーはブーメランバイヤーと呼ぶことにする。また彼は異様に背が高く手足が長い。ベースやったら上手くなるだろうなと、秘かに思っている。

ベースといえば、15日に不氏が練習にベースを持ってきた。やはり、音にベースが加わると全然違う。いないものは、仕方がないがベーシストが欲しい今日このごろ。

と、いうことで何もなく1日終了。寒い1日であった。

おしまい。

ロックンロール・スーサイド観桜会ライブ

2010-04-17 06:11:34 | 趣味
ロックンロール・スーサイド


先週の土曜日、観桜会開催中の高田公園で、ロックンロール・スーサイドのライブがありました。あいにく、当日仕事のため会場に行けなかったため、栗に撮影を依頼しました。
彼らは40代のおじさん(最近はアラフォー世代と言わなければいけないのかな)ですが、
丁度20年位前に、TBSで「いかすバンド天国」という番組がありました。彼らはそれに熱中した世代でもあります。メンバー全員がなんらかのバンドコンテストに出場し、入賞経験があるようです。

たしか、このバンドのギター兼ボーカルの方は「いか天」に出場したと思います。
まあ、だから素人バンドの中でも実力者とも言えます。
三宅祐司のいかすバンド天国

統計はとってませんが、現在日本のバンド人口中この40代が実は一番層が厚いのではないかと思います。

1曲目 愛の野球盤
2曲目 photograph

FM-Jの女性アナウンサーが「大人のロック」という表現を使っていました。
大人のロックの定義とは何かよくわかりませんが、メロデイアスで聞きやすいと思います。

実は、2番目に登場したSTUFFY(スタッフィー)も好評だったようで、栗に撮影を
依頼すればよかったと悔やまれます(だんだんカメラが重くなり疲れたようですが)。

おしまい。

生きている人と死んだ人

2010-04-16 10:59:08 | 喜劇人
小林信彦の著作は、20代のころに「日本の喜劇人」を読んだのが最初です。
当時、コミックバンドがやりたくて、昔全盛を風靡したクレージー・キャッツのことを
調べれば参考になるかと思ったのがきっかけです。

残念ながら、そう簡単にコミックバンドなんか誰にでもできるわけなく見事に失敗したわけですが、それ以後も小林信彦の著作は折に触れ読んできました。

昨年から、再びバンドを組んで活動するようになり、この「植木等と藤山寛美」を再び
読みました。ここから、今回のタイトルと関係してくるんだけど、どんな人でもその生い立ちには歴史があり、その人に大きな影響を与えた人がいると思います。

たとえばこの著作「植木等と藤山寛美」P103~104には、こんな個所があります。長くなりますが引用します。

「日本の喜劇人」という本が72年に出版されたことはすでに述べた。
出版された本がどういう風に読まれていくのかは、著者にはまったくわからない。
翌73年、25歳のミュージシャン大瀧詠一はさらに若い伊藤銀次、山下達郎と出会った。
<・・・・その本をぼくに紹介してくれたのは、伊藤銀次で、読書家である彼が、たまたま本屋で見かけ、ぼくがロック・ミュージシャンにしては珍しく、クレージー・ファンであることを知っていて、きっと面白いと思うに違いない、ということで持ってきてくれたのだった。>と、大瀧詠一は記している。

<・・・特に「第七章・クレージー王朝の治世」を読んだことが、ぼくの70年代の活動を、良い意味でも、悪い意味でも決定づけた。良い意味では、お笑いが好き、という自己の原点の再確認が出来たことと、幅広い音楽に取り組む勇気を与えられたこと。悪い意味では、コミック・ソング制作に没頭する余り、ミュージック・シーンの栄光の座からどんどん遠くなり、70年代後半はマッ暗な歴史となったこと・・・。>
<まあ、それはさておき、クレージー・サウンドが自分にとって、アメリカンポップスと同様、重要なものだと気づくや否や、一年間、中古屋巡りをして、全シングルをジャケット付きで、執念で、集めた>
引用ここまで。

ここで言いたいのは、山下達郎を論ずれば竹内まりあも出てくるだろうが、大瀧詠一も登場してくる。そして、大瀧詠一を論ずるにはクレージー・キャッツはどうしても外せない。
ひいては、植木等に行き着く。植木は平成17年3月に亡くなったが、植木に親しみを感じる自分は、大瀧にも同様親しみを感じてしまう。変な理屈かもしれないが、だから生きている人と死んだ人を区別してはいけない。

ちなみに、現在のバンドのメンバーはコミックバンドにはあまり興味はなく、今後コミックバンドに自分が走ることはないと思う。
また、その他現役のミュージシャンでクレージーキャッツと縁がある人がいる。その1人が松任谷由実である。ユーミンと谷啓のデュエットでI still crazy for youという曲である。
この曲、ミュージックサイトでダウンロードできるので興味のある人は聞いてみてください。曲の最後で、植木等が「お呼びでない・・」とせりふのみで参加している。


おしまい。