(2017年1月発行)
作者は1988年生まれ。とても若い人が書いたとは思えませんが28歳の頃発行の作品なんですね。
最後の方に出てくる稔が作者とかぶります。
故郷福岡の一族といいますか、家系といいますか、それぞれの家族のつながりが何とも懐かしく思えます。
親がいて兄弟がいて、祖父母がいて、伯父(叔父)やら伯母(叔母)やら従兄弟(従姉妹)やらがいて、それぞれ生活しながら親戚付き合いをしていく当たり前の生活が丁寧に描かれています。
初めは80歳を過ぎた女性敬子が夢と現実との時間を浮遊しているようなストーリー展開ですが、海辺の風景や暮らしが私の故郷にも似て、懐かしく思い出される書き出しでした。
敬子の半生が描かれるのか?と思いきや、妹や子供たちの生活に入れ替わり、最後には敬子の義弟の死や、兄嫁の葬儀の場面になります。
人生の縮図、そして葬儀の情景が淡々と描かれていますが、ここで「縫わんばならん」というのは福岡の方言で、ほどけてしまったこと(=だんだん崩れてしまった様子、人がだんだんと記憶を忘れ去っていく様子など)を直すとか、皆で思い出し語り合い、その記憶をつなぎ合わせるといった感じでしょうか。
祖母が認知症で忘れ、亡くなってしまっても生きている家族がそれぞれに祖母の思い出を語り、その記憶をつなぎ合わせていき、そこに元気に生きていた祖母がいるかのように思い出話に花を咲かせる、そう、婆ちゃんはほどかれてしまったけれど、また縫わんばならん、綴じ合わせんばならん。そうたい、そうたい。
婆ちゃんはそれぞれの心にちゃんと生きているんだね・・と、優しく温かい気持ちにじわ~っときました。
最期にも人を尊ぶこと、人間の尊厳・・・大事ですね。
そんな風に思ってくれるのかなぁ・・私が死んだら^^;
・・・って、考えるのはよそう(^^ゞ
心に響く本でした。
作者は1988年生まれ。とても若い人が書いたとは思えませんが28歳の頃発行の作品なんですね。
最後の方に出てくる稔が作者とかぶります。
故郷福岡の一族といいますか、家系といいますか、それぞれの家族のつながりが何とも懐かしく思えます。
親がいて兄弟がいて、祖父母がいて、伯父(叔父)やら伯母(叔母)やら従兄弟(従姉妹)やらがいて、それぞれ生活しながら親戚付き合いをしていく当たり前の生活が丁寧に描かれています。
初めは80歳を過ぎた女性敬子が夢と現実との時間を浮遊しているようなストーリー展開ですが、海辺の風景や暮らしが私の故郷にも似て、懐かしく思い出される書き出しでした。
敬子の半生が描かれるのか?と思いきや、妹や子供たちの生活に入れ替わり、最後には敬子の義弟の死や、兄嫁の葬儀の場面になります。
人生の縮図、そして葬儀の情景が淡々と描かれていますが、ここで「縫わんばならん」というのは福岡の方言で、ほどけてしまったこと(=だんだん崩れてしまった様子、人がだんだんと記憶を忘れ去っていく様子など)を直すとか、皆で思い出し語り合い、その記憶をつなぎ合わせるといった感じでしょうか。
祖母が認知症で忘れ、亡くなってしまっても生きている家族がそれぞれに祖母の思い出を語り、その記憶をつなぎ合わせていき、そこに元気に生きていた祖母がいるかのように思い出話に花を咲かせる、そう、婆ちゃんはほどかれてしまったけれど、また縫わんばならん、綴じ合わせんばならん。そうたい、そうたい。
婆ちゃんはそれぞれの心にちゃんと生きているんだね・・と、優しく温かい気持ちにじわ~っときました。
最期にも人を尊ぶこと、人間の尊厳・・・大事ですね。
そんな風に思ってくれるのかなぁ・・私が死んだら^^;
・・・って、考えるのはよそう(^^ゞ
心に響く本でした。
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