倉敷市には大原家別邸「有隣荘」がある。鳥取市国安にも「有隣荘」なる旧家がある。豪商の別邸を改造した料亭である。元々は大正時代からの大庄屋の邸宅である。最初の所有者は因幡の大庄屋「西尾家」で、西尾邸は、別な場所から大正7年の大水害の際に移転し、現在の場所に移った。西尾邸を含む国安120戸の集団移転が完了したのは、大正14年のこと。当時の首相、若槻礼次郎筆による碑が、近くの上国安公民館前に残っている。戦後は農地解体もあり、昭和36年には智頭町の山林地主米原家の所有となる。智頭宿の米原家住宅(国登録有形文化財)は石谷家住宅とともに有名である。宅地二千坪「有隣荘」の庭園は八坂山(はっさかやま)を借景とし、京都から庭師を呼び寄せ、完成までに三年の歳月を要した見事なものである。現在も管理が行き届いている。旧屋敷から運ばれた椎の木が目をひきつける。
This is a building that evokes the rise and fall of fortunes.
The building reflects the rise and fall of a village headman’s family.