羅保派

信頼を取り戻す

27. 京都見聞録 11 帷子の辻 湯帷子➡浴衣 EE

2015年11月26日 | Weblog
Many passengers transfer at Katabirano-tsuji station to go to Arashiyama, Ryoan-ji, or Shijjyo Omiya. This small station is bustling with people day and night.
In the Heian period (794-1185), the katabira was made of raw-silk and worn as the underwear. At that time baths were not taken nude, rather the katabira was worn while in the sauna-style bath. The "yu" in yukatabira means hot-water and "katabira" means a thin plain unlined robe. Then the yukata became an "one-piece" easy-to-wear summer kimono for going to festivals, fireworks, also regularly worn for bed or bath.

嵐電の駅は「蚕の社」駅→「太秦広隆寺」駅→「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅へと続く。帷子の辻駅は嵐山や、金閣寺、など様々な観光のスポットへの乗り換え駅である。雨が降ればこの嵐電のターミナル駅をよく利用する、地下に駐輪場もある。この地名はここは取れた絹糸で「ひとえもの」の帷子を作っていたことから、「帷子ノ辻」というらしい。ついつい東映太秦映画村、松竹撮影所などにはさまれているので、帷子というと忍者が着る具足のような物を想像していたが、それは「鎖帷子」だった。」

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26. 京都見聞録 10 蚕の社「元糺の森」J

2015年11月25日 | Weblog
「蚕の社」の案内板に「元糺の森」という文字が見える。

「糺の森」は世界遺産の下鴨神社の境内に広がる原生林である。森を流れる小川は4つあり、それぞれ御手洗川・泉川・奈良の小川・瀬見の小川と名付けられている。御手洗川は湧水のある御手洗池を水源とし、御手洗団子がここを発祥としている。「四畳半神話大系」の主人公が住む「下鴨幽水荘」に出てくる登場人物や世界もこの「糺の森」から出てきた妖怪のような人物達で、まるでこの世を糺すかのような蠱惑的な人物達である。また映像の美しさからも感動を呼ぶ素晴らしいアニメ作品であり、その台詞も機知とユーモアに富んでいて、原作者の知性とユーモアを感じる名作である。





さてさて、「蚕の社」の鳥居は、池の中にあり、この池を「元糺の池(もとただすのいけ)」と言い、この辺を「元糺の森(もとただすのもり)」という。かつては三面鳥居にも水が満ちていたが、住宅化によって枯れてしまっている。確かに現在、「糺の森」と言えば下賀茂神社が有名だが、元々の糺の森はここであったのか、嵯峨天皇の時代に潔斎の場をここより下鴨神社に遷し、その時よりこの地を「元糺の森」と言うようになったとのこと。
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23. 京都見聞録 8 古都伏見と伏見城 EE

2015年11月02日 | 英語学習
When Hideyoshi was master of Japan, Fushimi was the center of government and flourished as the de facto capital of Japan.
You are not seeing Fushimi Castle but Fushimi Castle Theme Park. As you know a majority of castles in Japan today are concrete reconstructions of the originals. 

On the other hand, Matsue Castle which was constructed in 1611 is one of twelve original castles remaining in Japan. The castle has not been destroyed by fire, war or other. It is completely original in its wooden form. 

伏見桃山陵を訪れた後、伏見城にも行ってみた。豊臣秀吉、家康。歴史の舞台でよく登場する場所である。壮大な天守閣が見えると思っていたら、これはお城ではなくて、お城のテーマパークである。1964年(昭和39年)に造られた遊園地で「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地であった。場所も伏見城花畑跡であり、伏見城そのものの跡ではない。このテーマパークも閉園したが、模擬天守は京都市民の運動によって伏見のシンボルとして保存され、京都市に贈与された。明治天皇陵墓(伏見桃山陵)が伏見城跡地であった。そして何より驚きなのは秀吉の時代に、伏見は政治の中心地であり、実質的に日本の首都として栄えたことである。

松江城は、かつてはぼろぼろの廃城であったが、市民の手によって大切に手入れされ、もともと由緒あるお城だった上、近年築城年が特定され、とうとう国宝にまで登り詰めた。鉄筋コンクリートの城である伏見城は国宝になることは決してない。しかし、テーマパークのお城にしては風格がある伏見のシンボルであった。













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場所京都武徳殿

2015年11月01日 | 英語学習
京都市武道センターにやってきた。車を中に駐めるが、弓道の試合にきた高校生達で賑わっている。ここは大日本武徳会により造営された武道場で、柔道場、剣道場、弓道場、相撲の土俵までもある。京都武徳殿は旧高専柔道の発祥の地であり、現在も旧帝大を基とする全国七大学(北海道大、東北大、東京大、名古屋大、京都大、大阪大、九州大)の大会がここで開催される年もある。






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