人気はないが、神主さん達が丁寧に神社を掃き清めている。この神社はあの国宝の七支刀を宝物とする石上神宮(いそのかみ)であった。ここはかつて物部氏の武器庫であったという。4世紀頃、倭に対し百済によって献上された七支刀がご神宝である。長さは約75センチメートルの鍛造両刃の拵えで、刀身の両側から、互い違いに小枝を三本持つ異形の刀剣であり、この両面に金象嵌(きんぞうがん)の銘文が刻まれており、4世紀の倭に関する貴重な資料価値もあり、国宝である。近くの大神(おおみわ)神社のように迫ってくるような迫力のある神社ではないが、静かに歴史を物語る重要な神社が身近にあった。
この町は30年前来た時と変わっていない。相変わらずの天理教の基盤がしっかり根付いた宗教都市てある。学校はもちろんのこと巨大な総合病院もある。
天理市役所市庁舎は昭和59年竣工で、屋根は独特の曲線を描き天に向かう。屋根は銅板製で、緑青をふき、奈良盆地の東部に発達する丘陵地帯を中心とした大和青垣国定公園の美しさを表現している。緑青は猛毒だと思っている人は多いと思うが、 実は無毒である。
宇陀市の榛原は、初瀬街道(伊勢街道)の宿場町として発達した。油屋という昔の古い宿がある。今日は極楽寺まで走り、近鉄線を挟んで墨坂神社の真北にある金平稲荷にも行ってみた。
別な谷を登っていくと、「平成榛原子供のもり公園」がある。広大な公園はひっそりしており、人気もない。