山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

劇団夢桟敷35周年

2013-06-15 23:19:06 | モノローグ【エトセトラ】
6月15日と言えば・・・?今日は35年の記念日だった。昨日までは忘れていた。突然、思い出したのである。
1979年のその日に劇団を結成したのだった。当時は劇団ブラックホールと名乗っていた。これは熊本時代の文芸グループ名から、そのまま引き継いだ名前だった。黒い社交場。若さ故、怪しげなものに魅了されていた。当然、アングラ劇に影響されていた。
今の座長=夢現と私はその年の4月に東京へ出て行き、早稲田鶴巻町の6畳一間を借りて演劇を志した。私の持ち金は七万円だった。
絵に描いたようなビンボー暮らしの始まりだった。主食はパンの耳?そーめんサラダ?喫茶店ではインベーダーゲーム機が置かれており、田舎者の私たちは1回百円で無駄遣いを楽しんでいた。高田馬場の大衆居酒屋で酒をよく飲んでいた。名もなく、貧しく、美しく?
2か月で数名が集まった。バイト先で会った海幸大介や上杉和歌、座長の大学の友人(夏目一樹)、熊本からも上村源太、Uragamiなどが追っかけてきた。情報誌ぴあ、シティーロードの募集記事で集まったメンバーもいた。

6月15日。6畳一間に集まり劇団の結成宣言をして、その年の11月-12月は熊本と東京で旗揚げ公演をする計画を打ち出した。
「四畳半夢の下張」(三菱銀行大阪北畠支店/梅川事件)・・・犯罪と革命をテーマにした劇を路線として掲げた。
気合いは充分、しかし足が地に着いていなかったことだけは確かだった。人をびっくりさせたかったのである。
あれから、今年で35年目に突入した。当時の未熟さ、苦しみは全部、笑い話として語れるようになった。
日を改めて、今のメンバーと「祝☆35」をささやかにやるか。いつ?次回公演に向かっている間にでしょう!古いメンバーも呼びかけてみるか!ご祝儀を期待しているのである。(笑)