5月18日
座長の実家、熊本県山都町に来ています。国の重要文化財、通潤橋が痛々しい。
生後21日の孫と10日ぶりに会う。丸みを帯びて成長していることに和むジジばかです。
ここにいると脳の皺がツルンとしてくる。下界に比べると刺激がないからだ。時間の流れも緩やかになり、動きもスローになる。
のんびりを活用して次のワークショップのプログラムを練っています。
ところで、二転三転していた引っ越し先がやっと決まった。今度こそ本当です。入居は6月10日から。ヒビ、カビの今のアパートからは解放される。それにしても住居移転を希望しながらも決まっていない賃貸住居者が6割もいるという。
5月19日
明日20日(金)は2回目にして最終回のワークショップになります。これは来る10月のspace早稲田演劇フェスティバル 東京公演に向けて出演者を募集する目的で行われています。
現在、10名程度が内定されており、明日のワークショップが終わり次第、配役やスタッフを決定します。
尚、12月の熊本公演の計画を立てております。未だ会場が決定されておりませんが、近日中には発表する予定です。当初、予定していた会場が震災の影響で上演が難しくなっており、公共ホールもメドが立っていない状況です。
発想の転換!臨機応変!困難な時にこそ、新たな展開を発見できます。
明日のワークショップでは、突然の訪問者も期待しています。想定外が新たな力を生み出すこともあり得る。
癒された山都町からカビ臭いアパートに帰り、ぼんやりと天井を眺めながら眠ってしまった。大きな揺れを感じて天井から押しつぶされる夢を見て目が覚めた。久しぶりに熟睡したのか、恐ろしい夢を見た割には頭が爽やかである。午前4時前。
生きている。良かった。このままでは死にきれない。
ふと、目に飛び込んできたのが山崎哲さんの「うお伝説」上映会のお知らせだった。1980年の頃が鮮明に蘇った。
1968年~アンダーグラウンドの演劇はメディアから発信される情報でしかなかった。学生演劇を経験したことはあるが、実は当時のサブカルチャーや最先端、演劇の革命を体験することはなかった。田舎に住んでいると頭デッカチになるものだ。情報だけでわかったような気分になる。
それが、1978年、黒テントの赤い教室シリーズ「馬 阿部定」や赤テントの「ユニコン物語」が立て続けに熊本にやって来た。
演劇だ!遅れて立ち上がったのが1979年、座長さかもとまり(夢現)と4人で熊本から東京へ劇団を作りに飛び出して行った。座長が早稲田大学文学部へ編入したこともきっかけにあったが。
右も左もわからない大都会で出会ったのが流山児さんの演劇団や哲さんの転位21だった。更に、右も左もわからなくなった。漂流の始まりである。暗黒舞踏を見てパーン!と頭が破裂し、天井桟敷を見て腰が抜けた。
流山児さんから「アングラ?そりゃあもう、カビだぜ、ぺッ!」と言われ失語症になりかけた。
哲さんの「うお伝説」を見た時はバラバラと解体される自分を感じた。
ここでは書ききれないことが1980年前後に山ほどある。
遅れてきた演劇青年は今やくるくるパーの白髪爺さんになったよ。
面白いじゃないか。先輩諸氏、亡くなられた方々もたくさんいるが、追っかける人たちがいる。
行ってみたいな、「うお伝説」へ。引退?演劇にはそれがないね。
座長の実家、熊本県山都町に来ています。国の重要文化財、通潤橋が痛々しい。
生後21日の孫と10日ぶりに会う。丸みを帯びて成長していることに和むジジばかです。
ここにいると脳の皺がツルンとしてくる。下界に比べると刺激がないからだ。時間の流れも緩やかになり、動きもスローになる。
のんびりを活用して次のワークショップのプログラムを練っています。
ところで、二転三転していた引っ越し先がやっと決まった。今度こそ本当です。入居は6月10日から。ヒビ、カビの今のアパートからは解放される。それにしても住居移転を希望しながらも決まっていない賃貸住居者が6割もいるという。
5月19日
明日20日(金)は2回目にして最終回のワークショップになります。これは来る10月のspace早稲田演劇フェスティバル 東京公演に向けて出演者を募集する目的で行われています。
現在、10名程度が内定されており、明日のワークショップが終わり次第、配役やスタッフを決定します。
尚、12月の熊本公演の計画を立てております。未だ会場が決定されておりませんが、近日中には発表する予定です。当初、予定していた会場が震災の影響で上演が難しくなっており、公共ホールもメドが立っていない状況です。
発想の転換!臨機応変!困難な時にこそ、新たな展開を発見できます。
明日のワークショップでは、突然の訪問者も期待しています。想定外が新たな力を生み出すこともあり得る。
癒された山都町からカビ臭いアパートに帰り、ぼんやりと天井を眺めながら眠ってしまった。大きな揺れを感じて天井から押しつぶされる夢を見て目が覚めた。久しぶりに熟睡したのか、恐ろしい夢を見た割には頭が爽やかである。午前4時前。
生きている。良かった。このままでは死にきれない。
ふと、目に飛び込んできたのが山崎哲さんの「うお伝説」上映会のお知らせだった。1980年の頃が鮮明に蘇った。
1968年~アンダーグラウンドの演劇はメディアから発信される情報でしかなかった。学生演劇を経験したことはあるが、実は当時のサブカルチャーや最先端、演劇の革命を体験することはなかった。田舎に住んでいると頭デッカチになるものだ。情報だけでわかったような気分になる。
それが、1978年、黒テントの赤い教室シリーズ「馬 阿部定」や赤テントの「ユニコン物語」が立て続けに熊本にやって来た。
演劇だ!遅れて立ち上がったのが1979年、座長さかもとまり(夢現)と4人で熊本から東京へ劇団を作りに飛び出して行った。座長が早稲田大学文学部へ編入したこともきっかけにあったが。
右も左もわからない大都会で出会ったのが流山児さんの演劇団や哲さんの転位21だった。更に、右も左もわからなくなった。漂流の始まりである。暗黒舞踏を見てパーン!と頭が破裂し、天井桟敷を見て腰が抜けた。
流山児さんから「アングラ?そりゃあもう、カビだぜ、ぺッ!」と言われ失語症になりかけた。
哲さんの「うお伝説」を見た時はバラバラと解体される自分を感じた。
ここでは書ききれないことが1980年前後に山ほどある。
遅れてきた演劇青年は今やくるくるパーの白髪爺さんになったよ。
面白いじゃないか。先輩諸氏、亡くなられた方々もたくさんいるが、追っかける人たちがいる。
行ってみたいな、「うお伝説」へ。引退?演劇にはそれがないね。