タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

今年のお花見③〜工業高校の桜〜

2023年04月03日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

ボクの職場の近くにある県立長岡工業高等学校は、知る人ぞ知る長岡の桜の名所です。ボクは今日、いつもの昼休みのウォーキングコースを少し変更して、この桜の様子を見に行ってきました。長岡工業高校は長岡市幸町にあります。

はい。今まさに満開真っ只中のソメイヨシノです。校舎の周り、そしてグラウンドの周りをグルっと囲むように、桜の古木がいっぱいの花を咲かせていました。そのボリューム、その迫力、圧巻です。

すばらしい桜の花に、目を奪われましたよ。昼休みの時間帯ということもあって、ボクの近くには多くの人たちが見物に訪れていました。

長岡工業高校は明治36年(1903年)創立の新潟県立工業学校を母体とし、歴史と伝統を誇る県下で最初に設立された工業高校です。この多くの桜の古木たちは、学校の長い歴史の中で、生徒たちのたくましく成長する姿を見守ってきたのでしょうね。

それにしても、「学校と桜」や「校庭と桜」って似合いますよね。長岡市内にも、「学校が桜の名所」ってケースはたくさんあります。ボクの職場の近くでは宮内小学校なんかも桜の名所ですし、ボク自身の母校の小中学校にも間違いなく桜の木があり、季節になると満開の桜の下でお弁当を食べたりした記憶があります。「桜の木と二宮金次郎の銅像」って、おそらく多くの小中学校で定番の光景なんじゃないでしょうかね?

でも、どうして学校には桜の木が植えられているんでしょうか?これって長岡市内や新潟県内だけじゃなくて、おそらく全国的な傾向ですよね。少しネットで検索をかけて調べてみました。


校庭に桜が植えられるようになったのは明治時代になってからのこと。明治政府は教育政策の基礎を国学に求めました。そのために、江戸時代の国学者・本居宣長が詠んだ「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」という歌が広く親しまれるようになりました。そして、いつしか桜は日本精神をあらわす花になっていきました。

なるほど。桜の花が日本人の精神的な支柱になった背景には、国学や本居宣長の存在があったのですね。

そこに目をつけたのが軍部でした。パッと咲いてパッと散る桜は、いさぎよく散る軍人のイメージと重ねあわされて、日本帝国軍人の象徴とされました。こうして各地の陸軍兵舎に桜が植えられていきました。

そういえば、「同期の桜」なんていう軍歌もありましたね。パッと咲いてパッと散るって、なんか”神風特攻隊”を想起させられますよね。

さらに、日清・日露戦争の勝利によって軍部が力を持つようになると、子供たちにも、桜を通して軍人精神が教え込まれるようになりました。かくして桜は、学校の校庭にも植えられるようになったのです。

入学式で門出を祝うかのように咲き乱れる校庭の桜。しかしそこには、軍国主義というキナ臭い過去が秘められているのです。(青文字部分は、HP:雑学トリビア王より抜粋)


なるほどねぇ。各学校のグラウンドの周りや校庭に多くの桜の木が植えられ、地域の桜の名所になっているのには、こんな秘密があったのですね。これは「ただ単にキレイだね」だけではなくて、日本の歴史の負の部分についても子どもたちに教える教材にしなければいけないな…と、認識させられました。

コメント
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