まずはこの写真をご覧ください。これはいったい何でしょう?
天井からつり下げられた巨大なカイギュウ(海牛)の親子です。インパクト抜群なこのカイギュウは8mあるそうです!この「ミョウシー」と名付けられたカイギュウのモニュメントは、長岡市幸町「さいわいプラザ」の1階にある長岡市立科学博物館ホールに展示されています。自然科学の展示と歴史や重要文化財、お殿様(長岡藩主・牧野家)の暮しなどのコーナーがある博物館です。
はい。これは科学博物館の入口で、カイギュウのモニュメントはこの正面にあります。中にはカイギュウの骨も展示されています。今回ボクは、この博物館の企画展で「戊辰戦争時代の長岡藩の兵士の日記」が公開されているという話を聞き、見学に行ってきたのです。いやぁ〜勉強になりました。
で、今回ブログの記事にしたいのは「戊辰戦争の兵士の日記」のことではなく、この博物館に展示されていた、この展示⬇のことなんです。
この写真は、長岡市で発掘された土器や石器を展示しているコーナーの一角にありました。だけど他の展示品と異なって、これらは長岡市で発掘されたものではないんですよ。この時、ボクの記憶の中で20年ぶりに蘇ったことがありました。まずは、このコーナーの展示の説明をご覧ください(あっ、この博物館は写真撮影は自由です)。
「室谷洞窟遺跡出土品」の文字が読み取れるでしょうか?「室谷洞窟(むろやどうくつ)」、この名前に聞き覚えがありました。しかしこの「室谷洞窟」は、長岡市にある洞窟の名称ではないのですよ。解説の文書を拡大してみますね。
「室谷洞窟は、福島県境に近い東蒲原郡阿賀町(旧上川村)に位置している…」で始まるこの説明文には、「発掘調査を長岡市立博物館と新潟大学医学部が共同で行った」と記載されていました。
東蒲原郡阿賀町。ここは20年前にボクが3年間単身赴任をしていた思い出の地です。当時のことを7月のブログ記事にも少し書いていたので、思い出してくださった方もいるかも知れません。
20年前に阿賀町に単身赴任をした時、転入社員の研修で「地域の名所めぐり」みたいな見学会があって、1日がかりで町内の史跡や名所を回ったことがありました。その時に見学した場所の一つに「室谷洞窟」があったのです。旧上川村の山の中(七福荘とは別方向の奥地)の洞窟でした。
その時に案内役をしてくれた阿賀町の歴史研究家(役場の職員だったかな?)の言葉が、今回20年以上ぶりにボクの脳裏に蘇りました。その時の説明の概要はこんな感じでした。
「この室谷洞窟遺跡からは、歴史的に価値のある多くの土器や石器が発掘されました。しかし、これらは阿賀町には残っていません。発掘された貴重な資料は、すべて発掘に関わった長岡市に持っていかれました。」(実際にはこんな言葉ではなかったと思いますが、ニュアンス的にはこんな感じでした)
なんか説明を聞きながら、長岡市民のボクとしては「(出土品を地元に残さずに)申し訳ないな」という気持ちを抱いたので、頭の片隅に記憶として残っていたのですよね。まさか阿賀町と長岡市がこんな関係で繋がっているなんて当時は思ってもいなかったので、記憶に残っていたのでしょうね。
その時の記憶が、今回の展示を見て蘇ったというわけです。「点と点が線で繋がった!」って感じです。あぁ!びっくり!
ですけどね。ボクの心の中には「この展示品は、長岡市ではなく阿賀町にあるべきなんじゃないかな?」「阿賀町の皆さんに申し訳ないな…」という感情があることは否めません。だって長岡市の博物館の展示品に阿賀町の遺跡の出土品があるって、どう考えてもおかしいですよね?