タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹林や自然と共に生きる」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

「線香花火」に対する夫婦の認識の違い

2024年08月23日 | 徒然なるままに

この夏は長岡まつりとお盆の2回、埼玉に住む長男一家が6歳の孫(女児)を連れて帰省しました。お盆の帰省時には、夕食後に孫と一緒に花火を楽しむという楽しい時間も過ごしました。

この時に、ボクら夫婦間に「会話が空回りしてるよな?」ってシーンがあったんですよ。それは、孫と遊ぶためにボクがスーパーで買ってきた「花火セット」に関する会話でした。

妻:「花火セットの中に線香花火は入っているわよね?Oちゃん(孫)は大きな花火はまだできないからね?」
ボク:「大丈夫、線香花火の入った花火セットをちゃんと買ってきたよ」
(その後、花火が始まって…)
妻:「あら?線香花火、ないじゃない。まぁ小さい花火が他にあるからいいけど」

あれ?おかしいな?線香花火は間違いなくあったはず。その後、ボクも線香花火をしたし、孫も喜んで線香花火を楽しんでいました。ほら、証拠写真もこの通りです。

この時は、これ以上「線香花火の有無」については言及しなかったんですよ。花火はみんなで楽しく進んでいたし、こんなことで妻と言い争っても意味がないですからね。たくさんの会話の中での妻のひとり言的なつぶやきでもあったし、結果オーライです。ですが、喉に引っかかった魚の小骨のように、ボクの頭の中でこのことが引っかかっていたのは事実でした。「妻に認知症の傾向か?」なんて不安も少しありました。

それがね。先日のこと夕食時にTVを見ていたら、この不安を解決する番組に出会いました。

その番組によると、なんと「線香花火」って、東日本と西日本では違うんだそうですよ。

皆さんは、「線香花火」っていうとどんな形状の花火を思い浮かべますか?ボクは「和紙の”こより”の中に火薬が包みこまれたモノ」を思い浮かべます。これが「線香花火」だと、物心ついたときから思っていました。今日のこのブログの2枚めの写真でうちの孫が持っている花火も、この「和紙こよりタイプ」の花火です。ところが、これは東日本の「線香花火」なのだそうです。

西日本の「線香花火」は違います。米どころでワラがたくさんあった関西地方で生まれた「線香花火」は、当初はワラの先端に火薬を付けた棒状のものでした。線香を立てる香炉に挿して観賞していたことが「線香花火」の名前の由来だそうです。つまり西日本「線香花火」は、「棒状の竹ひごのようなものに火薬を付けたモノ」なのです。

TV番組でこの解説を聞いていた妻は、「そうそう、そうなのよ」「私が新潟に嫁いできてからずっと疑問に思っていた謎が解決されたわ!」と大興奮でした。そうなんです。うちの妻は愛媛県の出身。チャキチャキの(?)西日本出身者です。彼女にとっての「線香花火」は上の写真でいうと左側。ボクにとっての「線香花火」である右側の写真とは、異なるものだったのですよ。なんということでしょう!結婚生活が40年も過ぎて、ようやくこの事実に気がつきました。ヨカッタ、ヨカッタ。

さてここで、1つの大きな問題がボクの頭の中で広がりました。この「線香花火」をテーマに、1970年代にフォークソングの名曲が2曲生まれているのです。ボクら世代のフォーク小僧にとっては、2曲とも忘れられない名曲です。”さだまさし”の「線香花火」と、”NSP”の「線香花火」。青春時代のボクらは、当時これらの曲に夢中になりました。この2曲の「線香花火」を聞きながらボクがイメージしていたのは、もちろん2曲とも「和紙こよりタイプ」の線香花火でした。

だけど、NSPの天野滋(「線香花火」の作詞・作曲者)は岩手県出身ですが、”さだまさし”は九州の長崎県、西日本の出身なのですよ。天野滋は「和紙こよりタイプ」の線香花火をイメージして「線香花火」という曲を作り、”さだまさし”は、「棒状の竹ひごタイプ」の線香花火をイメージして「線香花火」を作っていたはずです。ボク自身は、作者の”さだまさし”とイメージを共有せずに、彼の「線香花火」を聴いていたことになります。これは問題です。

そんなわけで、もう一度イメージを作り直して2つの「線香花火」を聴き比べてみることにしました。

NSP 線香花火

さだまさし 線香花火

さて、いかがでしょう?

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2 コメント

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線香花火 (50fox)
2024-08-24 07:54:34
そうでしたか!?線香花火は東と西で違うのですね。NSPもさだまさしも、その曲は学生時代によく聴きました。「線香花火」にそんな違いがあるとは面白いと思いました。違いがあると、花火の「落ちやすさ」もちがいますね。さだまさしの西の方のものだと、線香花火をもって、夏の夜空を見上げてみる余裕丸かもしれません。NSPの東の方のものだと、「来年も二人でできるといい」という恋の不安定さと線香花火の落ちやすいはかなさとが重なる気もします。
恋の美しさとはかなさが、天野氏には花火と重なるようで、「冬の花火はおもいで花火」なんて曲もありましたね。「ひと握りの花火」の種類は、どんなものだったのでしょう?なんて思ってしまいました。

今回の違いから、じゃあ、もう一つほぼ同名の曲についても想像できます。その少し前に出ていた吉田拓郎の「せんこう花火」は、西日本式線香花火だったことになりますね。きっと。

今回のこの内容、今の朝ドラ風に言うと、八百政さんの「はて?」が「なるほど」に変わった、線香花火。私も、「なるほど」と納得しました。ありがとうございました。
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線香花火 (八百政)
2024-08-25 04:26:20
>50foxさん
記事に共感いただき、ありがとうございます。確か昔、小学校の国語の教材文に「線香花火」という説明文があったように記憶しているのですが、今考えると「あれは東日本の線香花火のことだったよな」と思います。あの文章で学習していた西日本の子どもたちや、教えていた西日本の先生方は違和感を感じていただろうな…と。言葉や文化の地域性の違いは面白いです。
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