木村花さんの問題の一つとして、リアリティショーについて考えてみた。
あえてリアリティショーは似非ドキュメンタリーとして呼ぶと、
確かに明確なシナリオはないかもしれないが、面白くするためにある程度の介入はあると思う。
なぜならただのドキュメンタリーだとそんなに面白くならないからだ。
そこに、今回、全世界配信というのがあり、盛り上げなければといういつも以上のプレッシャーがあったのだと推察される。
言ってみれば、演者は生身の人形で。作成する側は、神様のような立場になってしまう。
つくる側はよっぽどの自制がいるのだが、それは不可能だと思う。
そこで思い出したのが、猿岩石の電波少年。そんなに見てないけど・・・
あれもドキュメンタリーの名を借りたドラマ。
芸人が演者がだったので問題にならなかっただけで、結構リスクはあったと思う。
ある程度、やっている側も、見ている側も一定の了解があったのではと思う。
リアリティーショーにコンプライアンス的な制限をかけると、非常に面白くなくなる。
で、私の達した結論は、もうリアリティーショーをやるべきではないという結論。
人間は神様ではないので。
あえてリアリティショーは似非ドキュメンタリーとして呼ぶと、
確かに明確なシナリオはないかもしれないが、面白くするためにある程度の介入はあると思う。
なぜならただのドキュメンタリーだとそんなに面白くならないからだ。
そこに、今回、全世界配信というのがあり、盛り上げなければといういつも以上のプレッシャーがあったのだと推察される。
言ってみれば、演者は生身の人形で。作成する側は、神様のような立場になってしまう。
つくる側はよっぽどの自制がいるのだが、それは不可能だと思う。
そこで思い出したのが、猿岩石の電波少年。そんなに見てないけど・・・
あれもドキュメンタリーの名を借りたドラマ。
芸人が演者がだったので問題にならなかっただけで、結構リスクはあったと思う。
ある程度、やっている側も、見ている側も一定の了解があったのではと思う。
リアリティーショーにコンプライアンス的な制限をかけると、非常に面白くなくなる。
で、私の達した結論は、もうリアリティーショーをやるべきではないという結論。
人間は神様ではないので。