演劇知

劇的考察譚

佐渡小癪回顧録とは

2013-01-05 01:16:59 | Weblog


ショーレースに出した作品。結果残念であったのでこのたび掲載。メンバーはact orchの面々なので、act orchの特別編に入れてもいいだろうとact orch作品内に収録。下から写真90枚くらい見られます。新しいカメラ、且つ作り手のわたしが撮影ということで盛り上がりどころをまるまる切抜きで見られます。パラパラ漫画みたいにすれば作品わかるんじゃないかなって。


http://www.facebook.com/media/set/?set=a.440887692647528.102685.231034480299518&type=1&l=7639e95b86



さて、回顧録ということで企画、劇作、演出の三点で振り返ってみます。

○企画
若い人におちゃらけない、真剣なものに携わってもらいたかったという視点から企画。進学するとコメディはどの学校、専門機関でも取り扱わないという状況。作品と向き合う中で真摯な態度、高度な読み取り、雰囲気ある芝居を求められます。早い時期にやっておきたかったのです。取り扱う題材として三島由紀夫「サド侯爵夫人」をオマージュ。最初の選考理由は単純に人数があったから。設定を高校の部活に当てはめられないかと思索。結果、殴られるのを享受するルネ→DV被害を享受する女という大枠が出来上がる。更にDV被害享受を正当化するため、前半はDVを憎む→DV男性を裁く「鉄の処女部」が生まれる。最初は「アイアンメイデン部」であったが、どうにも面白い響きなので和訳で。

各役は原作の名前をもじる。例えばルネ→流音(るね)のように。シャルロット→白戸(しろと)はまだいいが、サン・フォン→佐府(さふ)はかなり無理矢理だった。すまない。

写真の中にもあるように、フライヤー…今回はDVDパッケージだが…は、「サド公爵夫人」をオマージュし、限りなく近づけてある。


○劇作
上記の通りオマージュなので原作に忠実に。ただ3時間の作品のエッセンスを抜き取り30分以内にしたのでかなり急いでいる感はある。結果流れが急過ぎ、あざと過ぎの印象が出てしまった。

原作で最後に訪れるサドの意味を、明確なる意図のもとこちらでは変えた。

頂いた感想としては「痛い」「怖い」。確かに痛いし、怖い。夢や希望でお茶を濁したくなかったのだ。チェーホフ宜しく「出された拳銃は撃たれなければならない」。


○演出
派手な演技をするなという指示。が、物語の中で感情が動かされたのだろう。本番では皆が一回り大きな演技となる。だがそれは目立とうとしての動きではなく、物語に入った結果、物語に必要な動きとして大きくなったのであろう。全体が同じくらいの底上げをしたのでバランスも宜しい。息を合わせたのか偶然か。前者だったら相当凄い。


普段見ていてまとめ役だなぁ、支えになっているなぁと思いこの役。大御所の雰囲気十分。

流音
普段の芝居でおちゃらけちゃうこの子を悲劇のヒロインに。ナチュラルな芝居をきっちり出来るところを見せ付ける。


純真さで姉の男と寝るというぶっとんでいる役をこの子に。放心しながらも真実を語るという難しいシーンもちゃんとこなせた。

佐府
悪徳さをパワフルに語るならこの子。妖艶さと恐怖を兼ねた台詞回し、動きも確実にこなす。小道具用意し忘れたNGクィーンでもある。

清水
信仰心、落ち着いている感じが本人の持っている雰囲気とマッチ。わたしがそこに信じる心→超能力という設定を付け加えたが、違和感なく超能力を発揮。

白戸
一般→傍観者というニュートラルな部分、ある意味でこの物語の起動役として演じてもらう。悩める女子学生が似合う。

そう、このメンバーが集まり、「サド公爵夫人」を読んだ時、個性と役がピッタリはまったのだ。こんなことがあろうか。

今公演で皆、「音にはめて演技をする」というアビリティを身に着けた。これ、トリプルタスクとしてかなりな技量を要する。






さて、結果ショーレースに負けたのも、ひとえにわたしのあざとさが全面に出てしまったからである。本当に申し訳ない。改めてDVDを見返すと、この年代でここまで出来ているのか…と思ってしまう。手前味噌ではあるのだが。
が、「暴力」「傷」を扱うのが果たして正しいのか、「夢」「希望」を取り扱ったほうが良いのではないか、考えさせられる。昔なら「ふざけんな」となったが、わたしもこの年になり「夢」「希望」の需要、必要性は見えてきた。

さて、皆様にもこの作品を見て欲しい。ご連絡下さい。販売致します(笑)でも、本当に本当に面白いんですよ。