琉球時代から現代に至るまで、南方の島々にはユタと呼ばれる人々がいます。
同じような響きを持つユタとノロの違いについては、「3月1日:要家とのつながり」で説明しておりますが、今回はユタさんがおっしゃった「琉球」に関する話を島に在住の知り合いの方から聞きましたのでお伝えします。
ユタの話によると
沖縄がずっと昔は琉球と呼ばれていたことは皆さんご存じだと思います。この琉球の「りゅう」の意味は琉球国のシンボルとなっていた「龍」、これが「りゅう」の意味なんだそうです。
この「龍」なのですが、実は長崎県のお祭りである長崎くんちで披露される「龍踊」というものがありますが、この「龍」が南下してきて琉球国を作ったのだそうです。
何だか神話的な話のように感じますが、私はこのユタさんの話は神話ではないかもしれないと考えています。
最近の琉球の歴史研究の中で、琉球は倭寇が作った国であるという見解が出ています。諸説異論もあるようですが、1400年代~1600年代頃に主に活躍した倭寇は、長崎県の対馬や五島列島、平戸などを拠点としており、日本の幕府や長崎地方の大名とも関わりが大きかったようです。
倭寇=海の海賊というイメージもありますが、この倭寇を通じて中国や朝鮮、東南アジアやポルトガルといった国々との交易があっていたようです。
そう考えると倭寇の拠点となった長崎=龍=琉球と結びついていくものは確かに感じられますよね。
もちろんこの話は歴史研究として正式に発表された話ではないので正しいのかどうかは分かりませんが、今後の琉球史の研究の1つとして何か答えが出てくるといいなと思います。
龍と竜の違い
日本語には「龍」と「竜」の二つの漢字がありますが、意味の違いを調べてみました。
日本では龍が旧字体の常用外漢字、竜が新字体の常用漢字と指定されており、通常の生活で利用するのは竜の方となっています。龍はどちらかというと名前や名称に使われることが多いです。
中国でも龍が最初に認定されたと考えられており、竜がその省略体となって広まっていったと言われています。
中国でも龍が最初に認定されたと考えられており、竜がその省略体となって広まっていったと言われています。
ネットで検索すると中国のりゅうが龍であり、西洋のりゅう(ドラゴン)は竜と書くという説明がありますが、根拠となる文献は見つかりませんでした。
広辞苑では「龍」は頭にかざりがあり、大きな口をあけ、からだをくねらせているへびの形を描いた象形文字。「竜」は、その省略形と解説されています。よって「龍」と「竜」は同じ生き物であると言う説が有力です。
ちなみに古代中国では雄のりゅうを「龍」、雌のりゅうを「竜」として分けていたとの話もあります。
漢字は違いますが、現代においては意味は同じなようです。
龍の爪の本数
皆さんは龍の爪(指)は何本あるかご存知ですか?
龍の爪の本数に違いがあるの?と私も初めて知ったのですが、昔の中国人にとって爪の本数はとても重要な意味を持っていました。
実は古代の中国では龍の爪数について明確に定まってなく唐・宋の時代までは三本爪が基本でした。※前足が三本爪、後足が四本爪の場合もあります。
元代に入ると五本の爪をもち、頭に二本の角をはやした「五爪二角」だけが本当の龍であると定義されます。延祐(えんゆう)元年(1314年)には五爪二角の龍文が皇帝専用の文様となり、以降中国では皇帝以外の者が五本爪の龍を使用することが禁止されます。
明・清の時代になると爪の本数が所有者の地位を意味するようになり、階級によって三本爪、四本爪、五本爪を明確に分けるようになったのだそうです。
爪の本数と階級
前述のように明・清の時代になると爪の本数が所有者の地位を意味するようになり、三本爪、四本爪、五本爪が使われます。爪の本数が多いほど地位が高いとされます。
五本爪の龍
最高位の王を表していました。五本爪が使えるのは皇帝だけであり、もし他の人が間違えて使うと政治犯として罰せらました。
四本爪の龍
皇族を表しており、親王や地方の王だけが使うことが出来ました。ちなみに四本爪の龍を刺繍した礼服は蟒袍 mǎnɡ páo(大蛇の長衣)といい、皇帝が着る龍袍 lóng páo(龍の長衣)とは区別して呼んでいました。もし親王や地方の王が五本爪の龍袍を着ると、それは皇帝に反旗を翻したと解釈されました。
三本爪の龍
役人の礼服などで使われていました。
龍の爪数の決まりは、服飾以外の芸術品にも適用されています。現存する明・清時代の芸術作品はほとんどが四本爪の龍です。皇帝に捧げた五本爪の龍は非常に希少であり博物館などでしか見れないそうです。
日本との関係は
この爪の本数は冊封制度による上下関係を示したものであるので、日本は聖徳太子の時代(1400年前)に冊封体制を脱したので、この数にとらわれる必要がなく、芸術品を見ても龍のツメは様々だそうです。
よって京都の建仁寺の龍の爪は5本です。
これは王府の形式にも同じ事がいえ、 中華王朝、朝鮮の景徳宮、ベトナムのフエの王宮、沖縄の首里城は冊封体制の中で作られた城であるため、形状や色(赤)や使われているパーツが似ています。日本はこの形式に沿う必要はないので、城の色も形も異なるのです。沖縄は薩摩がやってきてからは薩摩の役人も歓待する必要があったので、首里城南殿だけは和風の白木造りをしているそうです。
まとめ
龍との関わりや爪の本数だけでも色々と意味があるのですね。
琉球と倭寇の関係については、当家との関わりも色々と話がでておりますので、別で記事にしたいと思います。