7代目の平安統惟雄が嘉永3(1850)年に書き残した「世之主由緒書」。
数少ない島に残る古文書の中で、世之主について文書として残る貴重な古文書です。この古文書については、お爺さまが携わっていた明治期から昭和の初期に開催されていた親族会においても話題になっており、当時の本家の当主であった武重爺の2つの希望がお爺さまに伝えられていました。
①当時で古文書が書かれてから約100年が経過しており、原本が磨滅に近い状態であるため、書き写しが必要である。
②古文書が古字で書かれているため、後世の者が判読しにくくなるであろとのことから、現代文字で書き残すこと。
その作業をお爺さまは昭和28年の3月に終わらせ、本家の武重爺に収めたようです。その記録の前文が以下になります。
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戦後、奄美群島と沖縄はアメリカ統治が続いていました。昭和28年3月は奄美群島が先に日本復帰する数か月前。お爺さまは一族の子孫のために、複写を終らせたのです。
原本の書き出しのページはこのような感じです。紙も随分と痛んでいますし、とても薄いガーゼのような紙で、折れ曲がったり、端は縮れたりしています。
湿度の多い島で、薩摩の役人からの取り上げられないようにひた隠しにし、災害や戦時中を乗り越えて保管してきた、大切なご先祖様の記録です。
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この古文書を書いた平安統惟雄は、口碑伝承だけではいずれ薄れてしまい忘れ去られるであろうご先祖様について、記録で残しておく必要があると判断し子孫の為に書き残されたようです。
私は以前から、なぜ平安統惟雄がこのタイミングでこの記録を書き残そうと思ったのかという経緯が非常に気になっていました。
たまたま歴史好きで、思い付きで書き残そうと思ったのか?色々考えられることはあるのですが、先日の旅行で東北大学の教授とお話をさせて頂いた時に、大変共感するお話を伺いました。
それは、ご先祖さま達が何か記録を残そうとするときには、社会における大きな変化がある時であったと。
確かにそうだなと思いました。
このあたりについては、次回に書きたいと思います。