非才無才の雄叫び

つぶやくこと、叫ぶこと、すべてボケ防止だ!

痛ましいプサンの火災事故

2009-11-17 19:21:11 | 日記
1昨日の続きを書こうかなと思ったけど、もっと大事なことがあ

る様な気がして・・・。

プサンの火災事故・・・・亡くなった人たちに申し訳ないな。日本の人たちに申し

訳ないという思いです。

ニュースの映像が流れるたびに胸が痛む思いと懐かしさで複雑な思いです。

あのプサンの市場は、50年近く前と町並みがそんなに変わっていません。

私が5~6歳ごろ、12~3人のいとこたちと一緒に走り回ったりして遊んだ所

です。当時は米軍の援助物資や横流しの品物が溢れていて、子供の目にも、珍しく

楽しいものがいっぱいありました。たとえば、お人形。町のおもちゃ屋さんには

目を閉じるお人形はありませんでしたが、あの市場に行くと、アメリカのものをお

いているお店の店先には、寝かせると目を閉じ起こすと目を開ける青い目の人形な

ど珍しいものがいっぱいありました。もちろん私たちのおこずかいで買える物では

ありませんので、お店に行っては眺め、店員さんの目を盗んでは触るのが唯一の

楽しみでした。医院を開いていた伯父さんからは毎日といっていいほどおこずかい

を貰いました。私は1ウオン。大きな飴玉が2個買えたのを覚えています。今の価

値でいうと10円くらいだったのでしょうか。夏休みになると10歳くらいのお兄ち

ゃん達を先頭に12人ほどが、朝8時ごろから伯父さんの診察室の前に年の順にず

らっと並んで、おじさんから、その日のおこずかいを貰うために静かに待つのが日

課でした。クラッシック(後年聞いて解かったことですが)の音楽が止むと診察室の

扉が開いて、小銭の入ったステンレスのトレーを抱えた伯父さんが私達の前に立っ

て、両手を揃えて前に差し出した小さな手に、年齢に応じた小銭をいれていくので

す。私は真ん中ほどのところに並んでいて、1~2年して私の上の弟もその列に加

わったのでした。最後尾の者が貰い終わると「ありがとうございました」と皆で言

って、外に駆け出していきます。そしてバス停で4から5つくらい先の件の市場ま

で皆で歌ったりしながら通ったものです。市場の中で見物したりかくれんぼしたり

して一日を過ごし、日が沈む頃帰ってきました。

その思い出の地で、あのような大惨事がおきたこが残念でなりません。

なくなられた7人の方々のご冥福をお祈りしたします。