2003年8月16日午前10時頃、笠懸野岩宿文化資料館(現みどり市岩宿博物館)を訪問。
岩宿遺跡は1946年(昭和21年)に日本で最初に発見された旧石器時代の遺跡であり、
この遺跡が発見され、日本にも旧石器時代が存在していたことが証明されました。
それまでは土器時代以前の日本列島に人類は居住していなかったことが定説だったそうです。
日本で最初に発見された旧石器時代の遺跡ということもあり、
1979年(昭和54年)岩宿遺跡は国の史跡に指定。
この発見以降、日本全国で旧石器時代の遺跡が多く発見されています。
石器の出現から農耕が始まるまでの時代を旧石器時代(および中石器時代)と呼ばれています。
特に、打製石器が使われ始められていた石器時代初期~前期にかけてが、旧石器時代にあたり、
旧石器時代は、一昔前まで、現代より1万年~3万年前頃といわれてきましたが、
遺跡発見の度に年代はさかのぼり、現在、日本最古の遺跡とされているのが、
島根県出雲市の「砂原遺跡」で約12万年前といわれています。
旧石器時代 ⇒ 縄文時代 ⇒ 弥生時代 ⇒ 古墳時代 ⇒ 飛鳥時代 ⇒ 奈良時代 ⇒ 平安時代・・・。
と日本史は続き、現代にいたります。
館内には勾玉(まがたま)作り体験コーナーがあり、子供たちが体験しました。
鏡・勾玉・剣。
勾玉は三種の神器のひとつですね。
<出典:国指定文化財等データベース>
岩宿遺跡
種別:史跡
指定年月日:1979年(昭和54年)8月17日
本遺跡は、赤城山の東南方、渡良瀬川右岸地域の小独立丘陵上にあって、丘陵の北部は稲荷山、南部は山寺山及び金比羅山と呼ばれる。稲荷山と山寺山を分ける低い鞍部には町道が通るが、相沢忠洋が始めて石器を発見したのは、昭和21年頃、この道路の切通しにおいてであるといわれており、昭和24年の明治大学の調査では、切通しの北側はA区、南側はB区と命名され、A区において上下2層の石器文化層が確認されたのである。下層の岩宿I文化と呼ばれる石器群は、地表下約1.5メートルの中部ローム最上部の暗色帯中に含まれており、楕円形の石斧2点の他、掻器類・刃器状剥片・石核があって、石材には主に頁岩[けつがん]が用いられている。同層からは多数の自然礫やクリ材の炭化物もみられた。この暗色帯の最上部にはAT火山灰がみとめられ、岩宿I文化の年代は2万年前以前に溯ると考えられる。岩宿II文化は、上部ローム層中に含まれる切出状のナイフ形石器を指標とする文化で、瑪瑙・頁岩・黒耀石・安山岩など多様な石材が用いられている。
なお、丘陵の一部には、繩文土器の包含された地点や岩宿I文化よりも古い石器文化を探索するために調査された地点なども含まれている。
本遺跡は、確実な人工品として学界で広く承認された石器の中でもきわめて古い部類に属する石器群を出土し、日本文化の起源が旧石器時代にまで溯ることをはじめて立証した遺跡として著名であるので、指定し保存をはかるものである。
マンモスゾウの全身骨格が展示されていました。
義父(2018死去)と長男とマンモスゾウの骨格標本。
現在は、群馬県みどり市で人口は50,239人(令和2年4月末日)。
みどり市は、平成18年3月27日に、新田郡笠懸町、山田郡大間々町、勢多郡東村が合併して誕生した、群馬県第12番目の新しい市です。
みどり市の両側に桐生市が存在し、飛び地合併が見られます。
1995年の国主導による「平成の大合併」、地域によりいろいろな事情があったのでしょうね。