ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

1998年10月(5歳)

2001年01月31日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年10月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(木)

車に乗る時に自分で

ドアを開けることができるようになった。

手のひらや指に力がついたのだろう。

ドアが開いた時の得意そうな顔がかわいい。



2日(金)

いよいよ明日は福江まつりです。

2回目の参加だけど、

去年の初日は回りのムードに押されて
地面に立つことができず、
ずっとダッコにおんぶだった。

今年も1日目は覚悟しなければいけないかも。

でも、2日目は最後までねぶたを引いて歩いてくれた。

この事は私にとっても、由紀子にとっても

大きな自信になったから
今年もがんばろうと思うのです。



3日(土)



福江まつりの初日が終わった。

今年の由紀子は去年とは違ってしっかりしていた。

集合して出発するまでの時間に
何度かダッコをせがんできたが、

「がんばろうね!」と声を掛けると
後ろから抱き付いて我慢することができた。

ねぶたが出発すると去年を思い出したのか、

時には「ラッセーラ」と
声まで出してニコニコして歩いていた。

途中見物人の中に何人か知り合いの人に
声を掛けられたりしたが

由紀子はあまり反応しなかった。

でも、担任のO上先生が
手を振って応援してくれる姿を見つけた時には

嬉しそうな顔をして
「Oうえせんせい」と呟いていた。

先生とのつながりの深さを見たような気がした。



4日(日)

王直まつりのイベントで
唐船に乗って1時間ほど海の散歩に出かけた。

思ったより小さな船で
音楽が大きな音で鳴っていたりしたので

由紀子は耐えられるか心配だったけれど
私のひざの上でじっと海を見ていた。

「我、自閉症に生まれて」の本の中に

船に乗った時の苦痛さが書いてあったことを思い出して、

もしかしたら由紀子も辛かったかもしれないと少し後悔した。

ねぶたは2日間とも最後までがんばりぬきました。

えらい!!!!!



5日(月)

保育園でもお祭りごっこをして遊んだそうだ。

由紀子はハネトの鈴をつけてもらって

ご機嫌だったとか。

親は昨日の疲れで体が痛い。



6日(火)

最近、夕飯の時によそったご飯を

それぞれの席まで運ぶのが由紀子の仕事になりました。

今日もお姉ちゃんにもらった
お茶碗をお父さんの席に運んで、

そばに寝ていたお父さんに
「お父さんごはんよ」と声を掛けていた。

声を掛けられたお父さんは
ビックリしたように飛び起きて席についていた。



7日(水)

由紀子が今こっているのはジグソーパズル。

保育園でできるようになったという

アンパンマンの「あいうえおのパズル」と

お誕生日会でもらった「小さなパズル」と

付録についていた「秘密のあっこちゃん」のパズル。

毎日あきもせず、作っては壊しの繰り返しで遊んでいる。



8日(木)

保育園でお散歩の時間に
図書館に連れていってもらったらしい。

保育園では人の本を欲しがったりしない由紀子が

図書館でお友達の本を欲しがって

「かして!かして!」

と騒いで先生に叱られたらしい
(我が家ではいつものことなのだが……)。

場面が変わるとルールが分からなくなることを改めて感じた。




9日(金)

教育委員会から就学のための
健康診断のはがきが届いた。

まだ普通学級にするか、
特殊学級にするかの打診もない内に

はがきが来るとは思っていなかったので
なんとなく複雑な感じがした。

先日若竹の会の集まりの中で
今年は特殊学級に1年生が
3人も入るかもしれないと聴いた。

由紀子と多動の子と、ダウンの子……。

私が思い描いていた特殊学級とは
少し違ってくるかもしれないと思った。

特殊学級に入れようと決心したはずの気持ちがまた揺れている。



10日(土)

体育の日でお休みなので、
朝からスーパーへ連れて行く。

由紀子に言わせると
「マクドナルドのスーパー」なのだそうで

スーパーに着くと同時に
ハイテンションで走り回っていた。

大好きなトトロのぬいぐるみや、
ビデオがたくさんあるのだが

いつもの事で大好きなものは苦手!

ビデオが映されると
全力疾走でその場から逃げ出してしまう。

そのくせ、家に帰ると
トトロのビデオがみたいという。

私にはわからない!



11日(日)

コスモスの花がきれいに咲いているというので
ドライブにいく。

正直言って私は花が少なく
さびしい感じがしていたのだが、

由紀子はコスモスの花の中でとても感激したように

「わあー!きれい!」

とうれしそうにしていた。

あまりに嬉しそうにしているのでもしかしたらと思って

由紀子の視点まで下がってみたら、

なんと一面花ばかり、

すばらしい景色だった。

しばらく花の中に座って
由紀子の世界で遊ばせてもらった。

時には由紀子の視点で物を観る事も大事だなと思った。



12日(月)

台風が近づいているので
今回も療育をお休みしてしまった。

明日がまーまー(次女)の修学旅行の出発日でなければ
無理をしても連れていったのだが、

もしも帰りのジェットフォイルか欠航したらと思ったら
船に乗れませんでした。



13日(火)

O野先生を迎えに大波止へ。

次回の療育は26日になった。

今日は子ども劇場の例会日だったが

「ゆきちゃん、お歌を聴きに行こう」

と言った途端

「おしまい!」が始まって

「いかない!」「いかない!」

と大騒ぎになってしまった。

この前見に行った
少年少女合唱団の時の後遺症らしい。

すっかり文化会館が苦手になってしまったらしい。

今日は例会をパスする事にした。



14日(水)

よいお天気だったので
保育園で河童公園まで散歩の行ったらしい。

かなり遠い公園なのだが、
みんながんばって歩いていっているのだろう。

今日は公園にカモやカメがいて

由紀子は他の子どもたちに手を引張られながら
走り回っていたそうだ。



15日(木)

最近字が上手に読めるようになった由紀子。

保育園で絵カードの下に
文字カードを張っていくゲームをした時、
由紀子も参加したそうだ。

クラスの子どもたちは
由紀子が字を読めるようになった事に
気づいていなかったらしく、

上手に張るのを見てみんなびっくり!

大拍手をもらったそうだ。



16日(金)

明日は保護者講座の日。

毎年バザーのための作品作りをするのだが

私が講師を務めて3年目になる。

いつもは夜なのだが
今年は土曜の午後にする事になった。

由紀子は保育園で預かってくれるという。

予定の変更に弱い子なので不安だが、
O上先生に任せてみる事にする。



17日(土)

台風で雨風がひどい中、
講座は予定通りに行われた。

講座の内容も心配だったが
やはり由紀子の事が1番心配だった。

保育園に行ってみると
由紀子はもう既にお昼寝をしていた。

私の声に少し目を覚ましかけて
泣いたがすぐにまた眠ったらしい。

土曜日にお昼寝をする子は
10人程度しかいなかったが、

由紀子はあまり戸惑う事もなかったらしい。

由紀子にとっての保育園は
家庭のようになっているのかもしれない。



18日(日)

台風は行ってしまったが天気はいまいち。

由紀子を連れてサティーへ遊びに行った。

エスカレータを登った途端、

由紀子が耳を押さえて走り出した。

後を追いながら見るとおもちゃ売り場にテレビで

「トトロ」のビデオが流されていた。

例のごとく大好きな「トトロ」のビデオなので

嫌なのです!


でも、私には何も聞こえなかったのに
由紀子にはトトロの声が聞こえたのだろうか?



19日(月)

今日は保育園の散歩で中央公園に行き、

アスレチックのような遊具に
がんばって挑戦してきたらしい。

以前に比べるとみんなと
同じ事をしたいという姿勢が見られて、

いろいろな遊具を嫌がらず
自分から登ったりしているとの事だった。

おともだちの存在を意識できるようになった事が嬉しい。



20日(火)

お風呂に入る時お父さんが

「今日は頭を洗うぞ!」と声をかけたら、

トイレに行きかけていた由紀子が

急にお父さんに擦り寄って
頭を匂ってくれというポーズをとった。

それがまるで、

「今日は頭、臭くないでしょう?! ねえ?!」

と言いたそうで、おかしくて。


お父さんもつい

「仕方ない今日はお顔、ふきふきでおわり」
と言ってしまった。

その時の由紀子の嬉しそうな顔。

本当に面白い子です。



21日(水)

今日もお風呂の時間になったら、

お父さんの胸に頭をつけに来た。

「だめ!今日は頭を洗う!」

と言われた由紀子。

「きょうは…・。きょうは…・。」

と言いながらお風呂場に消えていきました。

笑ってしまう。



22日(木)

保育園で鼻血を出した。

給食の食器を食堂に持って行った時、

いつもなら寄り道をして
なかなか帰ってこない由紀子が走ってきて

「O上先生、鼻血、ふいてふいて!」

と言ったそうだ。

言葉の使い方が上手になった。



23日(金)

保育園の健康診断だった。

上手に受ける事ができたらしい。

入学のための健康診断が火曜日に予定されているので

いい予行練習になった。



24日(土)

若竹の練習に行った。

スポーツの時間はコンサートの発表の練習だったが、

ブロック渡りも、
トンネルくぐりも、
滑り台も得意。

滑り台の上でのポーズもバッチリでした。

でも、音楽は、
ドラえもんの歌がどうしても受け入れられず、

耳を押さえて私の腕の中で硬くなっていた。

みんなに「嫌いなの?」と聞かれ

「いいえ、大好きだからだめなの!」と答えるが

みんなは「?????」です。



25日(日)

少し風邪気味。

本当にどうして療育センターが近づくと体調が悪くなったり、

天気が悪くなったりするのかしら。



26日(月)

久し振りに療育センターへ。

由紀子はジェットフォイルの中もバスの中も

上機嫌で少し興奮気味だった。

療育が始まってビックリしたのは、

今まで絶対に登ろうとしなかった
はしごを自分から登った事。

初めは登った事にも気づかず、

どうやってあの高い所に登ったのだろうと思った。

2回目はわたしの目の前でするすると登っていった。

由紀子の中で何が起きたのだろう…。

3年間療育の療育の結果を見たような気がし



27日(火)

今日は就学前の健康診断だった。

由紀子はとてもがんばって
辛抱強く順番を待ったり、

初めての場所にも嫌がらず、
とてもおりこうさんでした。

でも、いく先々の検査の時に

「この子は自閉症なので、」
といわなければならない場面があって

わたしは少しつかれてしまった。

視力検査の時は片目を押さえて答える事ができず、

両目でお願いした。


聴力検査は電子音か聞こえたらボタンを押して、
消えたらボタンをはずしてください。

の説明に思わずため息が出てしまった。


無理だと説明しても一応させてくださいといわれ、

終わった後に「
測定不能と書いてくださっていいですよ。」
というと

「聞こえていたようなので丸をしました。」
と言われた。

何のための検査なのだろう? 

他の検査も同じような感じだった。

廊下で他の子どもたちに混じって順番を待つ時、

何かが込み上げてきて涙が出そうになった。

ぐっと堪えながらこれから
この先何度もある事と自分に言い聞かせて帰ってきた。



28日(水)

芋掘り遠足。

たくさんのお芋をリュックに詰めて

30分の道程を歩いてきたと聞いてビックリしてしまった。

土の中のお芋を見つけた時、

手で一生懸命掘って、
ひっぱっていたと先生に聞いて

3年前の芋掘りの時に、

泥をさわることができず
ふきの葉っぱで遊んでいた事を思い出して

成長したと思った。

おいしいお芋でした。



29日(木)

2本目の歯が抜けていた。

最初の歯は26日に療育センターにいく
ジェットフォイルの中で
抜けている事に気がついた。

その時もだが

抜けた歯が見当たらない。
ひょっとしたら由紀子のおなかの中かな?



30日(金)

最近おねしょをしなくなった由紀子が

2時ごろ久し振りに失敗してしまった。

そのせいなのか3時ごろしくしく泣き出して
1時間ほど続いた。

夢を見たのかもしれないが、

訳もわからず泣かれるのはつらい。

朝は2人とも睡眠不足。



31日(土)

今日は保育園の先生たちに
パッチワークの講習会をしにいった。

1時半から初めて終わったのが5時半。

その間由紀子は他の居残りの子どもたちと
別の部屋で保育をしていただいた。

家においてくるより安心できていいのだが、

4時を過ぎて他の子どもたちのお迎えが始まると

由紀子が心細くなっているのではないかと
心配になってしまい

「先生、ここに連れてきてもいいですか?」
といってしまった。

先生が様子を見にいってくださったら、
ニコニコして遊んでいるとの事だった。

子離れしていない過保護な親の姿をさらしてしまって
少し恥ずかしかった。

一人になって連れてこられた由紀子は
それでも平気な顔をしてニコニコしていた。

恐れ入りました。



=END=
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1998年9月 (5歳)

2001年01月30日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年5月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(火)

最近由紀子が急に太ったような気がして連絡帳に書いたら、

先生からの返事で
4月の体重測定では18・8kgだったのが、

8月は21.3kgになっていたと書いてあった。

びっくり。


2日(水)

午前中保育園の側を通ったら
由紀子たちがリレーの練習をしていた。

木の陰に隠れて見ていたら由紀子が走り出した。

ニコニコしているのはいいのだが
トロトロ走っている。

回りの子どもたちは
「がんばれ!がんばれ!」と
応援してくれているのに。

バトンを渡したところで
O上先生にお尻をたたかれていた。

みんなの思いが由紀子に通じてくれればいいと願う。


3日(木)
毎日運動会の練習で疲れている由紀子。

今日は組体操の練習で
みんなに引張られながら頑張っていると
先生のお手紙があった。

よほど疲れたのだろう
お昼寝は先生が添い寝をしようと
由紀子のところへ行った時には
すでに1人で寝ていたらしい。


4日(金)

昨日の夜中、
私の体をたたいて
「おかあさん」と言うの
でビックリして起きると真剣な顔をして

「むし!」

と一言。

蚊か何かがいたのだろうが
おかしくて私が眠れなくなってしまった。


5日(土)

運動会の練習で疲れているだろうに、
由紀子は今日も元気です。

我が家の大きなボールの上に座って
柱につかまって

「危ない!危ない!」

と言いながらジャンプをしては
柱で頭を打ちそうになる。
(でも上手に柱を避けて、まだ1度も打っていませんが…。)

心配性のお父さんは

「危ない!やめなさい!
お母さん、どうして黙っているんだ!」

とうるさい。

私はやっと子どもらしく
スリルを味わっている由紀子を見ていると
やめなさいと言えません。

由紀子がお父さんの真似をして
「危ない!」と言っているのも
おかしくて笑いながら見てしまいます。


6日(日)

今日はねーねーの高校の運動会。

お父さんはソフトの試合。

まーまーはお父さんの応援。

結局、由紀子と2人でお留守番。

つまらないのでお姉ちゃんの
運動会を見に行く事にした。

行く途中で由紀子が転びそうになって
足をひねってしまったようだ。

少し足を引きずっているように見える。

「痛くない?」と聞くと
「ごめんなさい」としか答えないので

状態がつかめないまま
由紀子は眠ってしまった。

運動会の練習は大丈夫かな。


7日(月)

金曜日に療育センターのK田先生から
留守電が入っていたので
センターに電話する。

特別児童手当についてだったが、
やはり由紀子は該当しないだろうと言う事だった。

正直、お金はほしい。

でも、由紀子の知能指数が高くて該当しないのだ、

喜ばなければ……。

由紀子の保育料はまた内職でがんばるさ!


8日(火)

保育園のお手紙に

今年の運動会の障害物競走は
高いところが多いので
由紀子はたいへんだと書いてあった。

でも予想以上にがんばっているとも書いてあった。

「助けて!」と叫びながら
練習しているであろう由紀子の姿が
目に浮かぶようだ。

介助してくださる先生たちもたいへんだろうな。


9日(水)

今日は保育園で親子遊戯の練習があった。

由紀子は保育園にたくさんの人が来た事に戸惑って、
私の抱きついて地面に降りようとしない。

途中でO上先生に見つかって

「ゆきちゃんは何をダッコされているの、
下に降りて踊りましょう。」

と言われた。

その後は地面に降ろそうとする私と、
しがみつこうとする由紀子の戦い。

おかげで踊りはまったく覚えられないまま
終わってしまった。

明日も練習にいかなくては…・。


10日(木)

親子遊戯の練習2日目。

今日はスムーズに練習に参加してくれた。

昨日で様子見が終わって納得したのか、

ニコニコして昨日とは別人のようでした。

今朝鼻血を出してから行ったので、
気になっていたが、
やはり保育園でも鼻血を出したらしい。

O上先生の話では
園長室に行って出したと言う事だった。

由紀子に

「鼻血が出たの?」と聞くと

「そう!」。

「誰が拭いてくれたの」

「S野先生、園長先生」

と答えた。

「明日ありがとうって言わなくちゃね。」

「う~ん!」。

長い会話でした。


11日(金)

保育園に行った時に
園長先生に昨日の事をお話してお礼を言った。

やはり園長室で鼻血を出したらしく、

去年の担任のS野先生に
処置をお願いしたとの事だった。

由紀子の話はちゃんと合っていた。


12日(土)



今日は保育園の運動会だった。

毎年ビデオを持って行くのだが、

撮ったビデオを一度も見直した事がなかったので、

今年はしっかり自分の目で見てこようと思って
ビデオを持って行かなかった。

ところが、今年の運動会は
由紀子がとてもがんばっていて

ビデオに撮っておいてやるべきだったと後悔をした、


13日(日)

昨日の運動会で綱引きをしたせいで、
腕も肩も足も痛くて大変です。

由紀子はとても元気で家の中でばたばたやっている。
若いっていいよね!


14日(月)

由紀子たちは「マリアの園」という
老人ホームの慰問に行った。

お年寄りたちと軽運動会をしたらしい。

ケーブルテレビで
明日放送されるとの事楽しみです。


15日(火)



お父さんと3人でプールに行った。

冨江のプールには大きな滑り台がある。

由紀子も滑らせてみたいと思いながら、

恐い目にあった時プールまで
嫌になるかもと思って黙っていた。

ところが今日、
帰り際になって由紀子が滑り台の方に歩きながら

「おとうさん!」

と呼んで、
まるで決心したように階段を上り始めた。

お父さんのひざに抱かれ滑って水の中に……。

ニコニコして上がってきたと思ったら

また階段へ。

とうとう4回も滑ってお父さんは
くたくたになりました。

由紀子も滑り台の事がずっと
気になっていたのだろう、

そして今日勇気を出して1歩を踏み出した。

くがんばりました。


16日(水)

保育園のO上先生の手紙です。
===================================================
運動会の太鼓の時には、私もゆきちゃんを見て涙が出ました。
それで、あまりゆきちゃんの方を見る事ができなかったのですが、
後で、他の人から
「ゆきちゃんは時々、チラッと先生の方を見ながらしていたよ。」
と聞かされました。
組体操がすごかったでしょう!!
自分のする事、する場所はしっかり覚えて他の子たちと変わらずできたんですよ。
障害物にしてもそうですね。
体が地についていないと安心しないゆきちゃんが、
あの細い鉄棒をわたったのですから。
ひとつひとつ、ゆきちゃんなりに頑張りを見せてチャレンジした運動会でした。
心から拍手を送りたいと思います。
=====================================================
ありがとうございました。


17日(木)

最近由紀子はひらがなを
少し読む事ができるようになった。

広告の中の簡単な名詞を
指で押さえてやると拾い読みをする。

物の名前は良く知っているので
「あいうえお」の本などは
絵を見て答えて練習にならない。

何かいい本はないかとずっと探していたら、
「ノンタンのことば絵本」という本を見つけた。

名詞だけではなく、
動詞や副詞がたくさん載っている。

由紀子はすっかりはまってしまったようだ。

大成功。


18日(金)

由紀子の就学について
保育園に私たちの意向を伝えに行った。

先生たちとは何回も話をしてきたが
きちんとした形で報告をしておきたかったので
時間を取ってもらった。

「特殊学級に入れるかもしれない……」
ではなく
「入れます。」

話をした事で、
私の心の整理もついたような気がする。

これからは前向きに小学校入学の準備をしたいと思う。


19日(土)

保育園のお迎えの時由紀子が

「こうえんいったの。
Oうえせんせい。
ななちゃん。
すべりだい。
ぶらんこ。
おすなば」

といっきに話した。

抱きしめてやりたいほど嬉しかった。

由紀子と会話をしたい!

それが私の一番の夢です。


20日(日)

明日は療育センターにいくと
由紀子も楽しみにしているのに、
台風が来そうな様子。

由紀子自身もくしゃみがひどいし、
どうなる事やら。

くしゃみをする度に鼻水が垂れて大騒ぎ! 

「お母さん。ティシュ!」と
叫んで鼻を垂らしたまま私を探す。

鼻を拭くのは私の仕事と決めているようです。


21日(月)

台風はよそにいってくれたようだけど

由紀子の体調が悪いので
療育センターをキャンセルした。

昨日から楽しみにしていたので、
いかないと分かった時の
反応が心配だった。

やはり朝おきて
「ジェットフォイル!」と
言って泣いたが無理をさせるわけにはいかない。


22日(火)

熱が高くなったので病院へ連れて行く。

いつもと違う駐車場から病院に入ったら

景色が違うせいかかなり動揺して

「おんぶ、だっこ!」と叫び出した。

抱えて走って
小児科の前までいくと
ケロッとして絵本を抱えて椅子に座った。

診察も落ち着いて上手に受ける事ができた。

ウイルス性のクループで
心配はないだろうと言う事だった。


23日(水)

今日は勤労感謝の日でお休み。

休みが続いたので退屈してきたのか

1日中なんだかイライラして
みんなに当たり散らす。

寝る前に、
おもちゃで私の顔を叩いたので
久しぶりに本気で怒ったら、

とても悲しい目で、
じっと私を見つめて泣き出した。

私は怒らない人と思っているのだろうか。

小学校に入って環境が変わった時の
由紀子の反応が恐くなる。


24日(木)

今日は保育園でパズルに挑戦していたとお手紙にあった。

好きなのがアンパンマンのひらがなのパズル。

誰かが先にしている時は
横に座ってずっと待っていたとも書いてあった。。

(誰かがしている時には終わるまで貸してと言ったり
口をはさんではいけないというクラスの約束があるらしい。)

1回目は少し手伝ってもらって、
2回目は完全に一人で完成させたとのこと。


25日(金)

先月のお誕生会でもらってきた
小さなパズルを持ってきて
組み立て始めた由紀子だが

ピースが小さすぎて
自分一人ではできずに
わたしに助けを求めてきたので

枠を組みたててやったら
ほとんど一人でできた。

いつもの事だけど興味を持つと
びっくりするほど早く上手になる。


26日(土)

最近オープンした大型のスーパーに
由紀子を連れていった。

大好きなマクドナルドや
ミスタードーナッツもあって
由紀子は大興奮!

1時間ほど売り場を端から端まで走り回って

後ろを追いかけるわたしは足が痛くなるほどだった。


27日(日)

昨日の夜のこと。
由紀子を寝せつけながらうとうとしていると横で

「ご・そ・つ・え・ん・お・め・で・と・う」

という声がした。

目を開けてみると
由紀子がアルバムを開いて

去年の卒園写真を見ながら
写真の中の字を読んでいた。

少しずつ読めるようになっていることは
わかっていたけれど、

こんなに読めるようになっていたなんて、
びっくりしてしまった。


28日(月)

保育園で交通指導があった。

楽しかったらしく保育園の帰り道

「かみしばい!」

と、指導員のお姉さんがしたことを教えてくれた。


29日(火)

注文していた運動会のビデオテープが出来上がってきた。

さっそくみんなで観ようとしたが、

由紀子が

「おしまい!おしまい!」

とパニックのようになって
見せてくれなかった。

時々「どうして?」というようなことにパニックになる。


30日(水)

今年の福江まつりは
「王直まつり」も同時に行われることになっていて、

保育園の子どもたちがパレードをする。
(由紀子はその夜に若竹の会のねぶたを引くために参加しないが)

その時の衣装のチャイナの靴を履かせてもらったらしいが、

履かせた途端に意識してス
テキな歩き方をしてみんなに大受けしたそうだ。

なかなか役者のゆきちゃんです。




=END=
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1998月8月 (5歳)

2001年01月29日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年8月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(土)

お父さんが北海道から帰ってきました。

予定では由紀子を保育園に連れていってから
私一人で船まで出迎えに行くつもりだったのに、

車が保育園に着いても由紀子が降りませんでした。

どう説得しても
「おしまい!」と言って聞きません。

その時、由紀子はお父さんのお迎えに行きたいのかもしれないと
気がつきました。

そこで「お迎えに行くの?」と聞くと
「行こうか!」と答えた。

とうとう保育園をお休みしてお迎えに行きました。

お父さんを見つけると大きな声で
「お父さん」といって走り出した。

やはり状況は分かっているようだ。


2日(日)

今日は若竹の会の海水浴だった。

海が大好きな由紀子はずっと水に入って出てこない。

いろいろなイベントが用意してあったのに
何もせず、ただ水の中だった。

でも、浮き袋の中でニコニコしている
由紀子の顔を見ていると本当に幸福そうで、

これでいいかと思ってしまった。

でも、お父さんは北海道から帰って
すぐ海だったので辛かったようです。

夜、日焼けした背中が痛くて
お風呂のお湯を嫌がる由紀子でした。


3日(月)

保育園の先生にも
よく日に焼けましたねと言われるほど
黒くなった由紀子ですが、

疲れている親とは違って元気そのものです。

毎日プールや海で欲求が満たされているのか
パニックを起こすこともなくニコニコと上機嫌です。


5日(水)

学習合宿に行っていたお姉ちゃんが
1週間ぶりに帰ってきた。

保育園から帰宅して
座っているお姉ちゃんの顔を覗き込んで

「ねーねーだ!」といって
嬉しそうにしていた由紀子でした。


6日(木)

数日前から機嫌がいいと思っていたけれど

今日はケラケラ声を上げて笑いながら
家中走り回っていました。

何か保育園でいいことがあったのかな?

と家族で話すほどでした。


7日(金)

今日で保育園のプール遊びも終わりでした。

保育園=プールのような生活だったので、

来週保育園でパニックにならないか少し心配です。

本人は何も知らず寝てしまった。


8日(土)

家族でプールへ。

浮き袋に入れてやると
くるくる回って楽しそうに浮いている。

子ども用のプールでは
階段を上ったり降りたり、

プールの端につかまって浮いてみたり、

自分で遊びを工夫しているように見える。

帰りにまたうどん屋さんに寄って
大好きなうどんを食べた。


9日(日)

外に連れ出した時に歩き方がおかしいので
靴を脱がしてみると、

親指のつめから血が出ていた。

自分でかんだようだ。

手の指の爪がなくなってしまって、
噛むところがなくなると
足の爪まで噛んでしまう。

前回OTの先生に
つめかみの代用品としてホースを教えてもらってから、

少しは改善してきたと思っていたのに
いつ噛んだのだろう。


10日(月)

今日は東京から遊びにきている
お父さんのいとこ一家が食事にきました。

由紀子は少しストレスだったのか
となりの部屋で絵本を読んだり、
おもちゃで遊んだり静かだった。

みんなが帰ると
今度は急にハイテンションになって、
なかなか眠れなくなってしまった。


11日(火)

保育園で昼寝前に鼻血を出したらしい。

少し風邪を引きかけているのかもしれない。


12日(水)

保育園でセミ取りに行って初めてセミに触ったと、
手紙にあった。

恐がりで、ニワトリも犬も猫も見ると

「○○さん、こわいよ!」

といって後すざりする子が
良く触ったなあと感心してしまった。


13日(木)

今日からお盆なので
お墓に提灯をともしにいった。

去年は私に抱き付いて離れなかったが

今年は花火をしたり
親戚のおばさんのひざに座ったり
とても社交的でした。

でも、帰宅して急に泣き出し、
おお泣きの後はけろっとしたり、

やはりストレスだったのかもしれない。


14日(金)

保育園が休みなので家でごろごろしていると

突然

「ばーばー(おばあちゃん)いこう」

と言って立ち上がった。

どうしようかとお姉ちゃんたちと話しているうちに、

さっさと靴を履いて外へ出ようとする。

よっぽど退屈だったのだろう。

夜はまたお墓でした。


15日(土)

由紀子とお父さんと3人でプールに行った。

この前まで浮き袋でぷかぷか浮いているだけだったのに、

今日は自分でバタ足をして
移動することを覚えた。

元々好きなプールが
またまた大好きになったようだ。

プールの後、
お父さんとお昼ご飯は
家で食べようと決めて、

由紀子に帰ろうかと声を掛けると
「うどん」と言って走り出した。

プールとうどんはセットになってしまったようだ。


16日(日)

昼間、洗面所で水遊びをして
洋服が濡れてしまったので、

もうお風呂に入れてしまうことにした。

一緒に遊んでいるうちに悪乗りして
ボディーシャンプーを湯船に入れて
バブルバスにして遊んだ。

もったいないなと思ったが、
由紀子が大喜びするので止められなくなってしまった。

正直言って私も楽しかった。


17日(月)

太鼓の練習が始まっていた。

由紀子はどうしているのだろう。

運動会が楽しみなような恐いような。


18日(火)

保育園に高校生の子が
ボランティアにきてくれているようだが、

世話を焼いてくれる人を
見抜くのが上手な由紀子は

さっそく着替えなどを手伝ってもらおうと
わざとゆっくりやっているらしい。

洋服をもってお姉さんのところに行った時、

O上先生と目が合うと

「O上先生!!自分のことは自分でしましょう!」

といいながら決まりの悪そうな顔をするという。

その様子か目に浮かぶようです。


19日(水)

明日は就学相談だ。

学校訪問の記録をお父さんと読み直しながら、

るべき事はやった!と確認し合って
明日は何を言われても
結論を出さずにおこうと決めた。


20日(木)

就学相談。お父さんと3人で緊張していった。

知能テストと精神科の先生の診察を受けた後、

県教委の先生の相談だった。

「親御さんはどうお考えですか?」

と質問されて、

お父さんが

「私たちは普通学級、
特殊学級にこだわってはいません。」

と答えたら、

「そうですか、
後は市の教育委員会と相談して
子どもさんが幸せになるように決めてください。」

と言われて終わりだった。

あっけない終わりに気が抜けてしまった。


21日(金)

保育園でお誕生日会があった。

8月はいつもお化け屋敷。

由紀子は一人で入ったらしく

「こわい、こわい」

と言いながら立ち止まったり、
後すざりして泣き出したり、
大変だったようだ。

夜は、お父さんの学校のATさんが食事に来た。

今年は黒人の女の人で
明るくてすてきな人だった。

でも、日本語がまったく話せず、
辞書だけを頼りに過ごした
4時間はハードでした。

由紀子の自閉症も理解してくれて
「キュート」と言ってくれた。


22日(土)

若竹の会のキャンプだった。

泊まっても由紀子を寝せる自信がなかったので
日帰りにした。

キャンプ場での由紀子はア
スレチックの遊具が気に入って、

目を離すとすぐに走り出して
よじ登ろうとする。

自分でできるのならばいいのだが
少し高いところになると、

大きな声で
「おかあさん!おいで」と叫ぶ。

自分のしたいことを表現したり、

私を呼んだりできるようになったは
嬉しくてたまらないが、
体力がもたない。

暗くなると
「おんぶ、ダッコ」
といって地面に立ちたがらない。

もうクタクタです。


23日(日)

久ぶりの雨で、
気持ちいい朝だった。

昨日テントに泊まった
若竹のメンバーはどうしただろう。

昨日のせいか腕と背中が痛くて
由紀子の相手がしにくい。

来年は誰か家族も一緒に行ってもらおうと思う。


24日(月)

お迎えにお姉ちゃんたちも一緒に行った。

教室まで自分たちだけで行くというので
やってみたが、

由紀子は大喜びで
二人に手をつないでもらってニコニコでした。

ネーネー(長女)。
マーマー(次女)。
と呼び続けて車の中でも大騒ぎでした。


25日(火)

保育園では運動会の練習が始まっている。

今日は組みたいそうの練習だった。

みんなの真似をしながら

少しずつやっていると聞いて少しほっとする。


26日(水)

川崎先生に療育センターでの
最後の診察をしていただいた。

就学について
先生も特殊学級がいいだろうと言われた。

将来養護学校の
高等部に入れるのが目標ですと言ったら、

先生は

「私はもっと高いところを考えている。
単純作業のような仕事なら自立できるかもしれない。」

と言ってくださった。

希望を持ってがんばろうと思う。


27日(木)

昨日の疲れだろうか、

鼻血が出る。

福祉事務所から電話があって

療育手帳を取りにくるようにと連絡があった。


28日(金)

療育手帳をもらいに行った時、

もしかしたらと思って
特別児童手当の所得制限の限度額を聞いたら
我が家でも大丈夫だった。

ヤッタ!と思ってセンターに電話をしたら
由紀子の知能指数では無理かもしれないと言われた。

やはり我が家に手当は縁のない物だった。

療育センターに月に2回連れていきたい。

音楽教室に通わせてやりたい。


29日(土)

保育園では運動会の練習が本格的になってきた。

リレーの組み分けにともなって
教室の中でも班分けをしたと
先生からお手紙があった。

机がかわって、
元の席に座りそうになると

回りの子どもたちに
「ちがう!ちがう!」
と言われながら
お昼ごろには切り替えができたらしい。



30日(日)

午前中にお父さんと3人でプールに行った。

今日は帰りにう
どん以外のものが食べたいと言うお父さんが

由紀子を説得して
ちゃんぽんを食べに行く事になった。

ところがお店がみんなお休みで、

結局うどんを食べる事に…

でも、由紀子は
「ちゃんぽん」と言ってすごく不機嫌。

お父さんは再び説得。
たいへんでした。


31日(月)

昨日の夜は
福江の少年少女合唱団の発表会を聞きに行った。

このまえ大人の合唱祭をずっと聞いていたので
大丈夫だろうと思っていたら、

暗くなっていた会場に入れなくて
私に抱かれたままロビーで聞く事になってしまった。

聞こえてくる歌は好きな歌ばかりなので
曲が途切れると「おうた」と言う。

思い切って休憩時間に無理やり連れて入ってみた。

初めは泣いていたが
舞台の幕が開くと黙って聞き入っていた。

大好きなトトロの歌にはニコニコしていた。

=END=
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1998年7月 (5歳)

2001年01月28日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年5月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。



1日(水)

保育園の予定表にプール開きが13日と書いてあった。

早く来い来い13日!

由紀子に新しい水着をかってやった。

今年は黄色の花柄。


2日(木)

今日は保育園で昼寝をしなっかったのか

機嫌が悪くて回りに当たり散らして寝てしまった。

今日は福江小学校に通う
自閉症児の親3人で集まってお茶会をした。
(私は来年入学ですが・・・。)

転勤してこられたN西さんは頼もしい存在です。

3人で何が出来るか分からないけれど
保健婦の増田さんを巻き込んで何かをしたいと思う。


3日(金)

由紀子とお風呂に入って

「今日保育園で何したの?」

と聞いていたら、

「O上先生いない」

とつぶやいた。

入院の日にも同じ事をつぶやいたことを思い出して
ドキッとしてしまった。

そういえば昨日から機嫌が悪かったっけ。

もしかしたらO上先生が
また出張しているのかもしれない。

先生がいなくなるかもしれないという
不安がまた膨らんでいるのかもしれない。

「O上先生帰ってくるよ!
明日はいるかもしれないよ!」

必死に慰めて寝せました。


4日(土)

朝保育園に行くとO上先生が出迎えてくれた。

由紀子はうれしそうに
私にバイバイと手を振って中に入っていった。

先生に昨日のことを話したら
そうかもしれないと言っていた。

これから長く出張に出る時には
由紀子に

「待っていてね!」

と言ってくださると助かるのだが・・・。


5日(日)

お父さんに金曜日からのことを話していると

横にいた由紀子が急に

「おしまい!」

と言った。

話の内容がわかっているのかもしれない。

その後、お父さんとチャンネル争いをして大泣きし、
ついに勝った由紀子でした。


6日(月)

福江小学校の校長先生のところへ
由紀子のことで話を聞きにいってきた。

前回福江小学校の見学にいったとき

校長先生の話を聞くことが出来なかったので
あらためてお願いをした。

障害のある子供は

個別の指導を受けたほうが
その子のためだと言うことと、

特殊学級に入ったからといって
そこに閉じ込めてしまうのではなく

親学級との交流を大切にしていることを強調された。


入学時に普通学級に入ってから
学期の区切れで特殊学級への移行はできるのか

という私の質問には

「121人とか、
学級数の変更を伴わない移行であれば問題はない」

ということだった。


7日(火)

昨日の夜中からまた咳がひどくなった。

用心のために病院へ連れて行くことにした。

たいしたことはないということなので
病院の後保育園へ。

保育園から七夕のささをもらって帰ってきて
家で飾り付けをした。

毎年この時期になると
2年間前にビニールの笹に飾り付けをしていて
H山先生に

由紀ちゃんには本物を与えてください。」

と注意されたことを思い出す。


8日(水)
 
昨日の夜中から39.4℃の発熱。

再び病院へ昨日と違って食欲もなく元気もない。


9日(木)

薬が効いたのか朝には
熱も引いて元気になった。

ただ食欲が戻っていないのが気になるが
今は好きなものを少しずつ食べさせよう。


10日(金)

元気な様子なので保育園に連れていったが
帰宅後また熱が出てきた。

もう1日休ませてやればよかった。

療育センターへ行く日が近づくと
いつも何かが起こる。

夜中にわがままばかり言って、

気に入らないと私に
「バイバイ」と言うので、

「わかったよ」と言って
由紀子に背を向けて
洋服ダンスにくっついて寝たふりをしていた。

15分ほど一人で何かをしていたが

ごそごそと這ってきて
洋服ダンスと私の間に無理やり入り込んできて

私の腕を枕にして寝たふりをする。 

おかしくて吹き出すと
由紀子もニャッと笑った。

子供らしいことをするようになったと
嬉しくなってしまった。


11日(土)

保育園を休ませて家でゆっくりさせることにした。

熱もなく元気だが食欲がない。

天気がいい日に病気で家の中に閉じこもっているのはつらい。


12日(日)

明日の療育センターに行くのを
どうしようかと悩んでいる。

明日行かなければ2ヶ月間行けないことになる。

就学相談前に1度先生たちに会って
話をしておきたい気もする・・・。

でも体力があるだろうか・・・。

明日の朝まで様子を見て決めるしかないかな?


13日(月)

療育センターへ。

行きがけの船には静岡の伊東から来たという
観光客の団体と一緒になってほぼ満席状態。

私たちの回りもお年寄りがいっぱいで
由紀子を見つけると
嬉しそうにみんなで質問をしてきた。

「お年は?」

「お名前は?」

「どこへいくの?」…。

たまらず

「ごめんなさい!
この子は自閉症なので返事が出来ません。」

と言うと、

みんな困ったような顔をして黙ってしまった。

この瞬間がとても辛い!

も、その中の数人のおばあちゃんが

「どんなふうにあるの?」

と声をかけてきてくれた。

気を使って黙られるよりも、

こんな質問をしてくれる方が救われるのです。


14日(火)

保育園では昨日がプール開きでした。

少し風邪気味で、
咳が出ているけれどプールに入れてもらう事にした。

見学など絶対無理だと思うから。

連絡帳にはプールが嬉しくて
大はしゃぎで入っていたと書いてあった。

少し日焼けした背中が

本当に楽しかったと言っているようだ。


15日(水)

プールが始まって由紀子の
洗面所での水遊びがなくなりました。

水遊びの要求が満たされていて
落ち着いていて夜もぐっすり寝てくれるので
大助かりです。


16日(木)

今日はお天気が悪くてプールはお休みだったけれど、

シャワーとスイカ割りがあったらしい。

「プールしたの?」

と聞くと

「シャワシャワ…」


「すいか割りもしたでしょう?」

と聞くと

「そお~!」

と答えてくれた。

毎日保育園が楽しくてたまらない由紀子です。


18日(土)

以前から由紀子と約束していた
自転車を買いました。

夏休みになったら赤い自転車と
口癖のように言っていたので
まだ無理かもしれないと思いながら買ってやった。

乗れるようになるのはずっと先の事と思っていたのに、
その日のうちにペダルを踏む事を覚え
広場で何とか乗れるようになって
嬉しいびっくりです。

足の力が弱いので
少しの坂でも大変そうだけど、
いい訓練になるか。



19日(日)

家族でプールへ行きました。

水が大好きな由紀子は
大人用のプールに浮き袋をつけて入り
クルクル回ったり、

みんなに引張ってもらったりご機嫌でした。

少々顔に水がかかっても平気で、
みんなの真似をして

足をばたばたさせる事も少しできるようになった。


20日(月)

保育園はお休みですが
いつもの退屈な休日とは違って、

自転車があるの由紀子はルンルンです。

自分で乗れるのがよほど嬉しいのか
こちらが疲れて帰ろうといっても
「いや!」といって降りようとしません。

いつもは「おしまい」としか
拒否の仕方をしないくせに

こんなときはちゃんと答えるのだから…。


21日(火)

福江小学校の特殊学級の先生に
由紀子と会ってもらう約束をしていたので

保育園に行く前に小学校へ……。

Y田先生は由紀子を見て

「私が由紀子ちゃんの親でも特殊に入れるか、
普通学級に入れるか迷いそうです。」

と、おっしゃった。
本当に境界線上なのだなとつくづく思う。

『普通学級に入れた場合

よくお母さん方が

「成長した!普通学級でも問題なくやっていけている」

といわれるが、

中には障害を持っている子が成長したのではなく、

回りの子供たちが成長した事で、

上手にお世話ができていることがある。

そのことを勘違いしては行けない。』

といわれた先生の言葉が胸に残った。

その通りかもしれない。

保育園で由紀子がストレスを感じずにすごせるのは
やはり回りの子供たちのお陰だと思うから。


22日(水)

保育園で、
みんなと一緒にプールの中を走れるようになった
とお手紙にあった。

少しずつでいいからみんなに付いて行こうね。

日に日に背中の水着の跡がはっきりしてくる由紀子です。


23日(木)

保育園でプールの後に
冷たい水を飲ませてもらえるらしいのだが、

早く着替えた順に並んで待っていなければならない。

いつもは早くしなさいと
言わなければ終わらない由紀子が

この時だけはすばやく着替えて
いつも列の中にいるそうで、

先生がびっくりしていた。

いつもこうだといいのですが……

とO上先生が言っていた。


24日(金)

家族で由紀子の失敗したことなどを話していると急に

「おしまい!」と言って

不機嫌になることがある。

もしかしたら話の内容が分かっているのかもしれない。

これからは気をつけて話そうと

家族で確認し合いました。


25日(土)

商店街の夜市があったので家族で出かけた。

家を出る時に

「風船を買おうね!」

と、話していたら、

ずっと

「ふうせん、ふうせん」

と言いつづけて、

買ってやったとたんに

「おうちに帰ろうか」

と言い出した。

その時、

“そうか由紀子は夜市に来たのではなく
風船を買いに来たんだな”

と思った。

でも、

「金魚もいるよ」

と話すとまた歩き始めた。

これで金魚を買うまでは付き合ってくれるねと

家族で笑ってしまった。


26日(日)

今日はアパートのレクレーションで、
バーベキュー大会でした。

由紀子は焼き肉を食べないので
あまり楽しそうではなかったけれど、

ざわざわした中でも
あまり動揺しないでおにぎりを食べられるようになった。

そして、お腹がいっぱいになるとさっさと
自転車に乗りにいってしまった。

いつでもマイペースです。


27日(月)

今日からお父さんが北海道に出張で、

1週間も居ません。

なんとなくのんびりとしたムードの中、

問題はただ1つ。

由紀子の頭を洗う人がいなくなること。

お父さん以外の人が頭を洗うと

おお泣きする由紀子です。

どうしよう!

今日は洗いませんでした。


28日(火)

とうとう頭を洗いました。

初めは「おしまい!」と言って
泣きべそをかいていましたが、

「あたまかゆいでしょう」

と言うと

「あたまをあらおうか」

と自分で言って

シャンプーハットをかぶりだした。

少し泣きましたがおりこうさんでした。


29日(水)

保育園の散歩で芋畑まで行って
オクラの収穫をしてきたらしい。

他の子どもたちは競って
大きなオクラを捜す中

マイペースで畑のいろいろなものを見たり
確かめたりしていたとお便りにあった。

何があったの?

どんなにおいがしたの?

いろいろ聞いてみたい。


30日(木)

療育手帳の申請のために
児童相談所の知能テストを受けにいった。

鈴木ビネー式テスト

 CA5:6 MA3:6 IQ64

手帳は出してもらえるような話だったので安心した。

我が家はこうゆう申請をしても
いろいろな理由で出してもらえないことが多いから……。

児童手当も、特別児童手当もみんなだめでした。


31日(金)

由紀子が保育園で
一番恐いのは担任のO上先生です。

となりのクラスのM田先生は
あまり叱らないので

O上先生がいない時に、
パジャマの上着などを着せてほしいと
持っていくらしい、

「自分のことは自分でしましょう」

と先生に言われると

「M田先生、して、して、早く早く」

それがまるで、

O上先生が帰ってこないうちに早くと
いっているようだと
先生方が笑っていらした。

昨日からネーネー(長女)が学習合宿に行ってしまって

家にはマーマー(次女)と由紀子とお母さんだけです。


=END=
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1998年6月 (5歳)

2001年01月27日 | ゆきちゃんの日記
これは1998年6月の日記です。
月に一回しか通えなかった
療育センターに持っていくために
書いた日記です。


1日(月)
夜中ついにパニックを起こす。

起きているときは我慢が出来るようだが、

眠くなるともう歯止めが利かない。

1時間近く泣き続け点滴のひもを引っ張ろうとする。

その内泣き疲れて眠ってしまった。

もう限界のようだったので先生にお願いして
自宅で投薬治療にしてもらった。

家に帰って由紀子は上機嫌で遊び始めるが、
私は目が開かないほど疲れてしまった。


2日(火)

今日も私が使い物にならないほど疲れていて、
横になるとすぐ眠ってしまう。

由紀子は咳が出るものの
元気でお昼寝もしてくれない。

とぎれとぎれに目を覚まして
相手をする私をいいことに
洗面所で水遊びを始めたり、

引き出しの中の物を出して遊んだり・・・・・

でも怒る元気もない私でした。


3日(水)
 
今日まで保育園をお休みさせることにした。

でも元気はあるし、

昼寝はしないし

私は今日も眠い。

夕方お散歩に連れ出したときの

由紀子の言葉

「ああ!空気がおいしい」


4日(木)
 
今日から保育園。

登園したときO上先生がお迎えをしてくれた。

先生の顔を見たときの
由紀子の顔がおもしろかった。

一瞬「あっ!」というような顔をしたかと思うと
その場で固まってしまった。

先生がお迎えに来てくれると
照れて私の後ろに隠れてしまった。

4月にとても可愛がってくださっていた
2人の先生が転勤された。

由紀子の転勤の意味が分かるはずがない、

急にいなくなって待っても待っても帰ってこない。

その転勤した1人の先生の名前が
「M本先生」そして、

新しく保育園に入ってこられた
副担任の先生の名前も「M本先生」。

由紀子は最近まで家でその名前を口にしなかった。

5月になって「M本先生」と言ったときや
っと前のM本先生にお別れが出来たのだと思った。

今回のO上先生の長期出張中ずっと
由紀子はきっとこのまま帰ってこないかもしれないと
不安でいっぱいだったのだろう。

今日のうれしそうな顔を見てそう思った。


5日(金)

久原養護学校を見学に行って来た。

のびのびとした子どもたちを見て
いいところだと思った。

でも、1年生の教室の様子は
由紀子には物足りないかもしれないとも思った。

身辺自立を目的としたカリキュラムのようだったし、
先生の声しか教室の中にはなかった。

由紀子が入れば由紀子にあった
カリキュラムを組んでくださるだろう事は解ったが

それでも何か物足りなさを感じてしまった。
 
しかし、高学年と中学部の子どもを見たとき
大きくなったらここがいいかもしれないと思った。

由紀子がどのくらい成長するか解らないけれど

普通学校についていけなくなったら
養護学校へ入れてやろうとお父さんと話した。

そして、最後の目標は養護学校の高等部です。


6日(土)

お父さんのおごりで外食をしました。

大好きなエビフライを食べてご機嫌な由紀子が

「ああ幸せ」といって、

みんなに大うけだった。

最近いろいろな言葉を使うようになった。

「もう一回」・・・・楽しいことをしてもらったとき催促をする言葉。

「いらない」・・・今まで拒否の言葉は「おしまい」しか持っていなかったが、
          物をすすめられたときにちゃんと拒否出来るようになった。

「お母さんおいで」・・今までは用事があるときは「お母さん」だけだった。

「○○○たすけて」・・○の所は家族の名前です。

大切な言葉だと思うので、

指名された人は何をおいてでも
駆けつけて助けてやることにしています。


7日(日)

高総体と中学校の陸上大会のため、

みんないつもの通り出かけてしまった。

退屈した由紀子に

「明日はお船に乗ってイチジク人参
(療育センターのこと)に行こうね」

と話したら、

突然トイレに行って、
靴を履いて

すっかりお出かけの準備をしてしまった。

しかたなくおばあちゃんの所で納得してもらった。


10日(水)
 
このごろの由紀子の行動を見ていると
いろいろ考えているなと、
思うことがよくある

お父さんと3人で
近所のスーパーへ歩いていくときなど、

2人ともに手をつないで欲しいらしく、

私がスーパーの袋を持っているときなど
お父さんとどっちの手をつなげば
私とも手をつなげるか立ち止まって
考えていたり、

洋服を着替える時も、
私が出した服が気に入らないと、

着たい服をタンスの中で探したり
(前は何を着せても黙っていたのに・・)

小学校入学を前に、
この子もそれなりに成長しているとうれしくなる。


11日(木)
今日はS小学校の学校見学をしてきた。

特殊学級を見せてもらったが
とても明るくて楽しそうな様子だった。

今年新設された特殊学級で
2年生の女の子が1人、
3年生の男女1名ずつ、計3人。

F小学校の一対一の授業とは違って
活気があるように見えた。

3人とも軽症の障害のようで
字も簡単な計算もできているようだった。

特に2年生の女の子は言葉がはっきりしないこと以外は
とても特殊学級にいる子どもには見えなかった。
 
その子の普通学級との交流は、
朝の会から親学級に行って、
国語と算数の時間だけ特殊学級に来ている
という形だった。

こんな事もできるのかと思った。

由紀子にとって、
どこが一番居心地が良いのか?!

居心地が良いだけで良いのか?!

どうしてみんなは普通学級にこだわるのか?!

考えても考えても分からない。
 
S小学校の校長先生は

「障害を持った子どもも
子どもの集団の中で生活することが大切だと思う。
でも、みんなについていけない部分は
個別に指導を受けることも大切だとも思う。」

と、おっしゃった。

そうなのかもしれない。

でも、・・・・・・・・。


12日(金)
 
時の記念日に保育園で作った
車の時計を持ち帰った。

その車にはたくさんの顔がかいてあった。

O上先生、由紀ちゃん、お父さん、お母さん、
くま、うさぎ、あきちゃん、じゅんくん・・・。

2回聞いても同じ答えだったので
きっと意識して書いたのだと思う。

くまとウサギの絵には家族中大拍手でした。 

今日は日本脳炎の予防接種を受けてきた。

大泣きをしたけれどがんばって受けてきました。


13日(土)

若竹の会の訓練日。

由紀子は最近訓練を楽しみにしているようだ。

家にいてもお友達が居るわけでもなく
ビデオを見るわけでもなく
退屈なのだろう。

近所の子どもたちと
1人だけ違う保育園に通っているのだから
仕方がないと思いながら

由紀子の寂しさを考えるとかわいそうです。

小学校に入ったら家で遊べる
お友達が出来ると良いなと思います。


14日(日)
 
鏡の前で何かしているなと思って
後ろから見ていると

突然「バラモン」と言って
目を指でつりあげていた。

「バラモンだこ」が気に入って
飾ってあると喜んでいたが
よく見ているなと感心してしまう。

後ろで「上がり目、下がり目、バラモンの目」と歌って

つり目をして見せたらすごく喜んで
まねをしてしばらく遊んでいた。


15日(月)
 
就学相談日が8月20日に決まった。

障害児の親の中には

就学相談を受けない。
障害児にも普通の子どもたちと
同じように学校へ行く権利がある、

と主張する人たちがが居るけれど

社会の中にそういうシステムがあるのなら

正面からぶつかって自分の意志をしっかり話して
一番良い方法を探ってこようと思っている。

今ここで就学相談をさけても
この後いくつも壁があると思うから・・・・。

逃げてばかりはいられません。


16日(火)
 
ここ数日家に帰ってから
わがままがひどくて困る。

鼻水が出たといっては
私にふけと言って聞かず、

自分でしなさいと言うと
大泣きする。

自分で読みたい本が見つからないと言っては
また泣いて・・。

泣いた後、
鼻歌を歌ったり。

どうしたの?と言う感じです。


17日(水)
 
保育園にわがままのことを相談したら先生から、

2日間お昼寝の時間にO上先生が居なくて、

他の先生が添い寝をしたけれど
とうとう寝なかったと返事をもらった。

そして、泣いてしてもらおう

泣いて勝とうとしているのかもしれないし、

お母さんの反応を見ているのかもしれない、

とも書いてあった。

そうかもしれない
私は由紀子に見透かされていると思う。

どうすれば自分の言うことを
聞いてくれるかよく知っている。

私、よく反省はするのだけど結果が出ない。

「困ったものだ!」

これ、お父さんの一言です。


18日(木)

朝の「ポンキッキ」という番組の中に
音を聞いて何をしている音かあてるゲームがある。

今朝ご飯を食べながら見ていた由紀子が

「カチャカチャ」

という音を聞いてすぐに

「パソコン」と答えた。

ピンポーン!!

想像する力もついているとうれしくなった。


19日(金)

朝からすごい雨だった。

保育園に行くのをためらうほどの雨だったが、

私に抱かれて雨の中を
車まで走る事を由紀子は大喜び。

久しぶりに長靴を履かしてみたら
小さくてはけない。

大きくなったんだなと思った。

新しい長靴をかってやらなくては・・。

今日は2回目の予防接種の日だった。

2回目という事で
部屋に入った時から由紀子は逃げ腰で
泣きべそをかいていた。

「終わったらアイスを買ってあげる」
という言葉だけにすがっているようだった。

針が刺さった瞬間、大きな声で

「いたーい!ありがとうございました!!!」

と叫んで、

会場中大爆笑になってしまった。

今日も由紀子はがんばりました。


20日(土)

今日は 若竹の会の練習もなくて、

いつもの退屈な土曜日でした。

雨は降るし最悪!


21日(日)

今日も雨。
由紀子が頭をかきむしってかゆそうなので
髪を短くしてやることにした。

先日、先輩ママに

髪は美容院で切ってもらった方がいいと

助言を受けたので思い切って
友人がやっている美容室につれていくことにした。

シャンプー、ドライヤー、えりそりなどは
やめてもらいたいこと。

途中で泣き出して、
中途半端になってもかまわないことを告げて、

由紀子を鏡の前に座らせた。

初めは「おしまい!」と
拒否するような感じだったけれど

鏡に映った自分がうれしかったらしく

「かわいい、かっこいい」

とおだてられながら
最後まで切ることが出来た。 

私が心配したほど抵抗もなく
ニコニコして座っている姿を見て、

この子は私が思っている以上に
しっかりしているのかもしれないと思った。


22日(月)
また風邪をひいたのかくしゃみが出ている。

「ティシュ、ティシュ」と大忙しです。

こんな日は鼻血が出やすいので気をつけなくては・・・・。


23日(火)

保育園の給食の時おかわりをするほど
たくさん食べられるようになったらしい。

家でもよく「おかわり」という言葉が
聞かれるようになった。

お肉が好きになって
煮付けた物も炒めた物もよく食べる。

今までタンパク質は玉子と豆腐でしか取れなかったので
心配だったけれど

これでメニューが楽になる。


24日(水)

今日は保育園で歯科検診があった。

朝から納得させようと

「今日は保育園には医者さんが来るから
泣かないでアーンとしてね」

といったら、

「おしまい!保育園、保育園。」

と、歯医者さんに行くものと
勘違いされてしまった。 

でも、保育園ではお利口に出来たらしく、

虫歯0本で先生に誉めていただいたそうです。

良かった、

由紀子を歯医者さんに連れていくことを
想像しただけで疲れてしまう。


25日(木)

今日は土田先生が保健所の研修にみえられて、

由紀子たちを使って療育訓練の研修会を開かれた。

由紀子の他に10人ほどの子どもが来ていたが、

福江にこんなに療育を必要としている子どもが居るのかと
びっくりしてしまった。

早く保健所で教育訓練が出来るようになることを
心から願った。

夕方からは小学校の先生方を対象とした
講演会があると聞いていたので

由紀子を上の娘に頼んで出かけてみたが
先生は誰も来ていなかった。

(1人だけ遅れてみえた)

先生方の関心がないのかな? 

来年入学を控えた者には不安なことでした。

私を含めて3人の自閉症児の親が参加していたが、

れから自閉児のネットワークを作って、
もう1度講演会を企画しようと話し合った。

夜は土田先生を囲んで食事ができた。

先生といろいろ話が出来、
とても有意義な1日だった。


26日(金)

今日は由紀子の保育園での生活を見せてもらうために
保育参観をさせてもらった。

普通にに見行くと由紀子が甘えてくるかもしれないので

先生と話し合って
保育園の手伝いをしながら見せてもらうことにした。

エプロンをつけて教室に座って
七夕に飾りを作っていると

由紀子が先生方への挨拶が終わって
教室に帰ってきた。

私を見つけてびっくりしたようだったが、

先生にトイレに行くように言われて
走っていってしまった。

帰ってきた由紀子はお尻を半分出していた。

直してやりたい気持ちを抑えて知らん顔をしていたら

先生や回りの子どもたちに
注意されて自分で直していた。

それ以来由紀子は気にしながらも
1度も私に話しかけてこなかった。

今日は保育園の仕事をしに来ていると思ったようだ。 


27日(土)

若竹の会の訓練日。

前回の訓練まで両足飛びでケンパのように
閉じて開いてとしながら進む訓練は

私に手を引いてもらわないと
前に進めなかったが
今日は一人で飛んでいた。

由紀子の順番が来たことに気がつかず、

みんなの拍手で驚いて見ると
得意そうに飛んでいる由紀子の姿があった。

すごい!すごい!

由紀子は本当がんばっている。


28日(日)

今日はお父さんの学校の人たちと
地引き網に行った。

初めこそたくさんの人に驚いて
私の背中に張り付いていたけれど。

網があがって海辺につれていくと
洋服のまま腰まで水に浸かって、

網からこぼれた5センチ程の
アジを手づかみにして
じっと見つめてポイッと投げ捨て

もう1匹掴んで・・・

と夢中になっていた。 

天気が悪かったので親に止められ、

理性のはたらく回りの子どもたちは、

唖然としたりうらやましそうだったりしていた。


私は明日、熱が出たとしても、
この瞬間の、
由紀子の目の輝きを大切にしてやりたいと思った。


29日(月)

昨日のことで熱を出すこともなく
元気に保育園に行った。

先生に昨日のことを話すと

「自然の中では構えることもなく
自分を出せるからいきいきと見えたのでしょう。」

とおしゃった。

そうかもしれない。

台所で魚を見ても手づかみにしたりはしないだろう。

自然の中だから、
海の中だから、
由紀子も自然の中にとけ込んでいったのだろう。


30日(火)

夕方、洗面所に由紀子が入って
長く出てこないので様子を見に行くと、

石鹸を使って頭から首まで洗っていた。

ベタベタになった姿を見て
一瞬何が起こったのか分からなくて
由紀子と見つめ合ってしまった。

早く保育園でプールが始まって
水遊びの欲求が満たされるといいなあ~!

と心から思います。

=END=
コメント
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