「Alcohol」はキンクスの名盤「マックスウェル ヒルビリーズ」の中の曲で、これは田舎者が都会に出てきて非常に苦労する物語を描いたコンセプト アルバムです。(ほぼ自伝 家賃払えずテント生活に落ちぶれたり)
キンクスはこうした物語アルバムの名手で、もう一つ有名な「アーサー or 大英帝国の栄光と衰退」の曲は、インドでのジョジョの若き日の冒険に被せて幾つか紹介しました。
今回「アルコール」を紹介するのは自分に被せてなのですが、それは前回ちょこっと自己批判めいた事をやって、「そんなんで総括ができたつもりか!」という映画「光の雨」の山本太郎のセリフが自分に向けられる気がしたからです。(この映画も前に紹介しました)
という訳で酒についてもっと掘り下げて自己批判するのですが、私には5年程も断酒に成功した輝かしき時代がありました。
酒好きの人ならば、私がこんな大げさに5年を誇る訳が分かるかと思いますが、日本で酒を断つ事はそれほど困難なのが現状かと思います。
私が3年間まったく酒と縁を切れたのは海外に居たお陰で、1年はアメリカ留学した時で向こうはかなり酒の販売にナーバスで(禁酒法があった国だけに)、学生が酒を飲む事に対するネガティブな感情も強く、山奥の田舎町で唯一のアジア人だった私がそんな恥曝しなマネを出来るはずはありませんでした。
しかし日本の大学ではほぼ毎日サークルの飲み会に参加しており(サークル5つ入ってた)、そんなアルコール漬けの日々で勉学などはかどる筈もなく、大学時代は私の人生で一番勉強しなかった時期でした。
海外での断酒はあと、イスラム圏の旅が半年と、インドやイタリア、アメリカなどでのお寺生活(日本山)のお陰でした。
因みに前回インドは酒が違法だと書きましたが、これは州によって厳しさがマチマチで、外国人は滅多に摘発されないので旅人はみんな普通に(大事に)飲んでました。
続いて2年間を日本で断酒できた理由について述べるのですが、これはヒルビリーズ(貧乏な若者達)の物語と重なります。
私は震災後福島で2年間ボランティアをし、最初はテント生活から廃屋を年1万円で借りて住み、次の年は店舗を借りて(EMの無料配布所として)住み込みました。
その間収入はほぼ無く貯金(50万)暮らしで、相当な切り詰め生活でした。(農業ボランティアで作物は貰えた)
こうした輝かしい貧乏生活のお陰で酒を断て、お金は貰えなくとも人の為に働けて精神的には満たされ、クリアーな頭で勉学にも集中できました。
今こうして振り返ってみますと、あの頃の自分には「慢心の病」がほとんど無く、そのお陰で身軽に自由な旅が出来たと思います。
震災から10年が経ちますが、福島の放射能汚染地域での農業復興はまだキビシイのが現状です。
私もそのキビシさに挫けて投げ出してしまったのですが、いつかまた戻って国土復興の力になりたいと思っております。