そんな大都会には当然多くの「光と陰」があり、その光陰こそがノッペラで退屈な田舎から人々をバンコクに惹きつけているのでしょう。
わたしはバンコクには何度も訪れているのでホーム感があり、常宿としているのは2つある大きな空港で、そこではとても多くの旅行者と一緒に夜を過ごせます。
でも昨晩は最終バスで寝過ごしてしまい空港まで辿り着けず、郊外の大学で野宿するコトになしました。
タイの大学はバス停が構内にあるくらいオープンで、警備員も見当たらず、外で横になれる座席も数多くあって、良い場所を選べて平和に眠れました。
そこにはトイレも充電スタンドもあり、5つ星を付けても善い程のパークホテルでしたが、蚊にはだいぶ悩まされました。
バンコクは野外泊する人がとても多い街で、多くの人はシーツをスッポリ覆って寝ていますが、わたしはそれが無かったのでた帽子とTシャツでなんとか工夫して顔を覆いました。
バンコクの下町には野宿している人向けの、シャワーと洗濯を70円程で出来る処があり、とても野宿旅に向いた大都市と言え、さすがは原始仏教を重んじる国だけのコトはあると感心します。
そんなバンコクには世界中から観光客が集まっており、とても国際色豊かな観光都市に成っています。
特にインドからの旅行客が近年とても増えており、タイのシャンティ(平和)さがインドにまで伝わって行っていると感じます。
実はわたしは今デリーにトランジット中で、約1時間後に電車が走り出すまでに、カスタマーサービスのオフィスで道を聴いたらとても親身にガイドしてくれ、その際にWi-Fiにも繋げてくれたのでこれが送れます。
話をバンコクの「陰」の部分に戻しますと、一極集中化が進んでいるサービス業に陰りが見え、下町の産業は明らかに停滞している感があり、閉鎖している工場などもよく見掛けました。
田舎からバンコクに出て来た人々は、川に杭を建てて乗り出す形の違法建築バラックに住んでおり、そんな地区を歩き回るのも「陰」を味わえて一興です。
そこはとても平和な処で、夜中でも女性が1人で歩き廻れるほど、観光客等の明るい「光」が入っています。
一方で、一極集中しているデパート街の光にも陰りが見え、これは余りにも供給過剰なタメの「陰」で、中国の様な無軌道な競争を生んおりますが、とにかく綺羅びやかなので観光客を呼び寄せます。
正直に言えばわたしはそうしたギラギラしたデパートよりも、古いチャイナタウンや郊外にも在るひなびた感じのデパートの方が好きです。
そこでは冷房が効いたフードコートに100円足らずの飲み物で居座れ、同じ様にマッタリしている老人も多くて寛げます。
因みにバンコクのフードコートは中国ほどではありませんが食べ残しが多く、原始仏教の教え「eat only leftover (食べ残しだけで生きよ)」を楽に実践できる処です。
コロナ禍のせいでそうした大盤振る舞いな風潮は衰えましたが、それでも「大量消費・大量廃棄」は続いており、そうした繁栄の光のすぐそばで、貧しさや環境破壊といった陰も観られました。
最後に明るい話で締めますと、タイの果物は中国のよりもずっと長く生命力を保ち、悪くなっているのをどこにも見掛けない程でした。
わたしは悪くなっているフルーツが好きなのでそれを食べましたが、まだまだ全然生命力を保っており、成熟した味わいを楽しめました。(特にグァバがお勧め)
こうした果物の生命力は、農業用ダムに生物分解の促進用にEMが入れ、その水で育った果物だからかと思えます。