この7:3という数字は共産主義革命の功罪にも当てはまるのですが、果たしてこんな数字だけの総括に意義が有るのかは疑問です。
マオの功はまず封建主義を打破した事が最上とされますが、これは日本の明治維新の様に平穏には行かず、中国には西郷隆盛のような軍閥が多く割拠していて熾烈な戦争を繰り返しました。
この戦争に勝利したマオは、中国に深く根を下ろしていた封建主義を根絶しようとし、その為に先祖崇拝を根絶して自分が替わりに国民全ての崇拝を集める政策を実行しました。
これは一文では伝え切れない事なので、アメリカ人に成った中国女性作家の文章を引用させて貰います。(「中国の悲しい遺産」)
-- 中国の至るところに、自分たちの好きだった、あるいは大切にせよと教えられてきた先祖の肖像画を眺める楽しみを持たない一族がいる。 文革時代に、それは封建的な行為として非難され、先祖の像は根こそぎ破壊されてしまった。 神としてではなく、神のように私たちの魂に人間の形と命を与えてくれた先祖を崇めてきた伝統と文化は無残に踏みにじられた。 --
こうした価値観のラディカル(極端)な変革に、若者たちは直ぐに対応して熱狂しましたが、老人たちはうろたえるばかりで悲しい最期を迎えました。
今でも中国に墓は無く、死者の灰はとても小さな箱に納められ、それは寒々とした施設の整理棚に番号付けされて押し込められています。
それをわざわざ引っ張り出して供養する人は稀で、先祖の魂は忘れ去られるままとなっております。
この宗教の根絶も共産主義革命の功として数えられておりますが、それを罪と捉えるチベット人やウイグル人との意見対立は永遠に続くかと思えます。
崇拝の対象をマオ個人に限定させた事については罪とされますが、その罪の重さがどれ程だったかは総括されておりません。
文革時代に紅衛兵達はマオのバッチをコレデモカと言うほど軍服に飾り付け、伝統文化の破壊に没頭しましたが、それを煽動したマオの罪は計り知れないモノでしょう。
いつか近い将来に、マオの功罪が3:7にひっくり返る事は必至かと思え、台湾ほど豪華でなくとも中国に墓場が復活する日もそんなに遠くない事を祈ります。