希聖は師である行善に一切を託しているので、日本山のスタイルで行って問題は無いはずです。
希聖は日本を利用して内戦を勝利に導いたので、日本人から恨まれこそすれ、彼が日本の仏教スタイルを拒絶する理由は全くありません。
行善は日本人ではありませんが、彼の姉(鈴々)は通訳をこなす程に日本語を覚え、それを弟にも教えたので彼は生き延びる事が出来ました。(第一章「襲」)
話を山奥の洞窟での密葬に移しますと、
前回で祈りの言葉(真言)を決めたので、次にそれを唱和する為の太鼓のリズムを紹介します。
これは前に三拍と四拍に分けて打つと書きましたが、詳しく楽譜的に言いますと、六拍子のメロディーの中で半拍を三つ打ち、半拍あいだを空けて残りの四拍をゆっくり一拍ずつ打つ、というリズムになります。
この太鼓のリズムに合わせて南無妙法蓮華経を唱和し続けるので、太鼓が乱れると唱和もバラバラになって祈りが中断されてしまい、これは日本山ではしばしば起こる失敗です。
幸い山奥の洞窟の儀式では行善一人が太鼓を打つのでこの失敗は起こらず、残りの参加者は手拍子を太鼓に合わせて南無妙法蓮華経を唱和します。
こうして動作と声を合わせる行法は、言葉に心を込めて唱える道を開いてくれます。
これは平和行進では特に大きな効果を発揮し、歩いて地面を踏みしめる足で六拍(半拍も合わせるので12歩)を取り、大きなマザーアースに小さな身体でノックする感じで「南無--」を唱えられます。
一回の唱題で一呼吸を吐き切るので、次の六拍は他のグループが唱えて、その間に息を吸って替わり番こに唱えます。
この際に、先頭を行く導師が一人で唱題し継いでその他が唱和する、というスタイルもありますが、行善はそうした特別扱いは望まず、替わり番こに唱和するどちらの回にも自由に参加できるスタイルにします。
これは断食修行で14時間ぶっ続けで唱題する時などに効果を発揮し、導師が一人で六拍を受け持ったら休む事が出来ず、うっかり居眠りすると祈りが途切れてしまうからです。(これもしばしば起こる失敗です)
洞窟では常時10人程が唱題行を続け、自由に入れ替わりして休めるようにします。
行善も太鼓を他の人に渡して休み、約一週間のあいだ途切れることなく祈りは続けられます。
太鼓の早さはカッチリ決まっておらず、早過ぎるのはセッカチな祈りになるので戒められますが、ゆっくりな分にはいくらでも佳しとされ、永ければ永い程に祈りは深まるとする見解もあります。(日蓮上人)
そうは言っても、あんまり長くナームと引っ張っては歌として節を付けるのが難しくなるので、一回の唱題で30秒くらいが限度かなと思います。(30秒も息を吐き続けられたら立派なモノです)
太鼓の音もゆっくりの方が周りの反響を味わえるので佳く、長時間エンドレスに唱えるのでゆったりしたペースじゃないとキツくなり、また一定のペースを保つ事は心を安定させて祈りに集中させるので、太鼓のリズムはとても重要なポイントです。
そのリズムに乗って、歌うように南無妙法蓮華経を唱えるのですが、その節付けは自由です。
外国人の僧侶などはかなり独特の節で唱え、日本人は周りから浮き出さない様に唱える傾向がありますが、私はどちらかと言うと外国人流で美しい節を追求してしまいます。
しかし大事とされるのは、節の美しさではなく声の大きさなので、私はヨーガの呼吸法を習得した成果をみせようと、周りの誰にも負けない大声で行進した思い出があります。
最後に「歌の祈り」のアルバムと曲を挙げたいと思います。
アルバムはディランのキリスト教三部作から「Saved」を挙げさせてもらい、その中の「What can I do for you」は特に好きで、ドラマのエンドロールにピッタリの曲かと思います。
もう一枚、ポール-サイモンの「Surprise」から「War time prayer(戦時の祈り)」も挙げさせて貰います。
どちらも名盤なので是非とも聴いてみて下さい。