真の動物福祉牧場を目指して

農聖サイオンの伝説

ブレサリアンの話の続きなのですが、こうした人々は当然過去にも存在しており、様々な伝説となっております。

ヒマラヤの詩聖ミラレパ(11世紀)は大麦若葉だけを食べて修行し、彼の開いた教派は現在でもチベット圏で命脈を保っております。

近くでは世界平和統一家庭連合(統一教会)の開祖、文鮮明(1920~2012)が北朝鮮の収容所にて、周りの多くの人々が餓死していく中でブレサリアンとなり、救済の道を歩む事になったエピソードが語り継がれております。

中国にもこうした聖者の伝説があり、農聖サイオン(祭恩) の名は台湾から沖縄に伝わり、その徳にあやかって初期のEMの商品名となりました。今でも台湾と沖縄ではサイオンEMとして販売されております。

祭恩の血脈は、近代中国の革命の荒波の中で途絶えてしまい、詳しい伝記は残っておりませんが、彼等は一族で聖なる腸内細菌を相伝し、それを農業に活用する事で中国の国土を豊かにして来たとされます。

中国の国土は乾燥地帯が多く、そこで多くの人口を養うには水の灌漑が必須であり、灌漑農業では往々にして土地の塩分が地表に吸い上げられ(毛細血管現象)塩害を引き起こします。
これはとても大きな問題で、世界の農地の5分の1が塩害によって生産性が半減していると、国連が発表しております。
これを克服することは将来の人口を養う上で真に重要であり、祭恩一族は昔からその取り組みに成果を発揮して来たようです。

EM農法による塩害農地の速やかな回復は、現場でも研究でも高い評価を得ており、その論文はEM研究機構のホームページに載っており、私は全文を翻訳する仕事をしたので特に思い入れがあります。 エジプトでは国が農民にEMを無料で提供するシステムが出来て、灌漑農地の生産性が飛躍的に高くなったと評価されてます。資源の枯渇から来る食糧問題に対峙する上で、これは非常に心温まる報告であります。

話はサイオンの伝説に戻ります。
中国では共産主義革命によって、近代史が闇に閉ざされている時期があります。
それは富農から土地を貧農に分配する革命であり、優秀な農家であった富農は殆ど追放か処刑され、共産党から土地を貰った貧農は党に逆らう事ができずに、空想的な理想主義の農法を押し付けられました(大躍進政策)。それは中国全土で大失敗となり、4000万人もの餓死者を出して(都市では餓死者出ず!)、中国の農村の伝統と多民族間の融和を完全に破壊しました。
この歴史のレポートでは、香港ジャーナリストによる「餓鬼 hungry ghost」が優れており、この大躍進の時期に中国から香港に逃げて来た人は100万人に登ります。

この苦難の時期に、祭恩一族はどう立ち向かったのか。これは誰かが書き残しておいて欲しかったのですが、歴史の闇に葬られてしまっています。
誰も書いてないならば、せめて物語として私が記念したいと思い、その最後の活躍を想像して書いております。

大躍進の時期に追放された富農、知識人達は、西部辺境の塩害で打ち捨てられた農地で強制労働をさせられました。
「知識人ならばこの農地をなんとかしてみろ」といった党の処罰でしたが、その強制労働所から生きて戻った人々はごく僅かでした。
サイオンは身を挺して塩害に立ち向かい、十分な堆肥を得られない中、自らを基質(微生物を培養する有機物)として農地を蘇らす。といった結末の物語です。
この大躍進時代の闇を照らす物語には、他に四人の主人公がおり、日本の占領統治の歴史も絡めた大河ロマンとして描くつもりです。
香港、台湾の民主主義が脅かされている今、こうした歴史の苦を抜いて楽を与える(抜苦与楽)の物語が求められていると思います。

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