因みに曹操の字(あざな)は孟で、曹家の操孟(ツァオメン)は南中国を統治しました。
また因みに、孟子は孔子と並び賞される古代の哲学者で(BC3世紀)、仁愛による統治を研究して日本の江戸時代に大きな影響力を発揮した人です。
こうした誇り高き武人の山里は、太平天国の崩壊後も永く根拠地の湖南に立てこもった時に落ち延びた場所で、山奥を開拓して隠れ里を拓きました。
希聖の祖父母がそうした開拓者達で、両親も幼い頃から開拓を手伝って、ようやく希聖の代には暮らしにゆとりが持てるように成って来ました。
子供達は遊ぶ権利を奪われる事なく、日が登ってから暮れるまで山で遊び回れました。 それは子牛を放牧すると逞しく育って良く働くように、幼い子供達にとって山は最高の学校であり、希聖は山の隠れ家で何日もへっちゃらに過ごす子供でした。(湖南は温かい)
里には学問所がありましたが子供達に勉強を強制せず、子供の気性と意欲を見極めて教えるべき事を伝授しました。
希聖は山遊びが好きで学問所にはあまり寄り付きませんでしたが、大人達は彼の天性の才を見抜いて特別に目をかけます。
それは学問だけでなく、武術からスパイ術に至る徹底した目のかけ方で、曹一族は乱世に覇を唱える支度を怠ってはいませんでした。
シーシェンは12人兄弟の7男だったと前に書きましたが、これは私の創作です。
しかし当時はこのくらい兄弟が多いのは普通で、小さい子供達の面倒は大きい子供が見る習しでした。
希聖の記憶は小さい頃にタイムスリップして、自分の面倒を見てくれた女の子の面影が鮮明に蘇り、少し大きくなってからその娘に恋して付き合った記憶まで蘇らせます。
こんな感じで、臨死体験は殆どが記憶の最も古い所からスタートするみたいです。
私もイランでちょっと体験しましたが、それは実にインパクトの強い体験でその後不眠症ハイが続きました。
話をシーシェンの子供時代に戻しますと、それは山と動物と兄弟達に囲まれた真に恵まれた子供時代で、その思い出は尽きる事なく何日も続いて行きます。
そしてその光明は、最初の七日目に絶頂へ到達すると「チベット死者の書」には記されています。 この書は臨死体験のガイドブックと見られ、 そこには
「七日目に女神が登場して世界は光明に包まれる」 と書かれております。
行善の歩みも七日目にはチベット人地区に到達し、ラマである彼は人々から比護を受けます。
希聖は点滴による水分補給を受けられ、苦しみを忘れて明るい子供時代に還れます。